第199回 終焉とその先にあるもの
こんにちは、キャリア・コンサルタント高橋です。
先日、うちの8歳になる娘が「死」について尋ねてきました。もう、そんなことを考えることができるようになったのかぁと感心していたのですが、その話の中で彼女なりに納得した答えを教えてもらいました。その答えがとても興味深い内容だったので、今回はこのことをネタにコラムを書いてみました。
■「死んだらどうなるの? 」
人の生き死にが理解できるようになってくると、人は自分の死について考えるようになります。ただし、この問題には答えがない(と私は思っている)ので、答えがないことを理解できない間は不安に感じることが多いと思います。うちの8歳になる娘もちょうどそんな時期でした。
「お父さん、人って死んだらどうなるの? 」
子どもがもう少し小さければ、「良いことをしていると天国に、悪いことをしていると地獄に行くんじゃないかな」と答えたかもしれません。しかし、8歳といえばある程度物事の分別がつく年頃です。そういう答えは望んでいないように思いました。そこで、
「それは、死んでみないと分からないなぁ」
と答えました。すると娘が、
「死ぬのは怖くないの? 」
と聞いてきました。私は、
「怖くはないけど、今死ぬのは嫌だなぁ。まだまだやりたいことがたくさんあるから、それを全部やり切ってから死にたいなぁ」
と返しました。娘はまだ納得ができないような感じで質問を続けます。
「お父さんは死んだ後の世界ってあると思う? 」
「ひょっとしたらあるかもしれないし、ないかもしれない。さっきもいったけど、それは死んでみないと分からないことじゃないかな」
このあいまいな返しが子どもにとっては理解しづらいのでしょう。娘は納得できない表情で考え込みました。そこで、うちにある一冊の本を読んでみるようにアドバイスしました。
■葉っぱのフレディ
それは『葉っぱのフレディ』という本でした。有名な本なのでご存知の方も多いと思います。この本は葉っぱのフレディが周りの葉っぱと関わり合いながら生きることや死ぬことを考えていく絵本です。内容が内容なだけに子どもむけではなく、大人向けの絵本のような気がします。私はこの本を娘に読むように伝えました。
それから、しばらくして娘が『葉っぱのフレディ』を読んだ感想を教えてくれました。正直な所、深い意味までは理解できていないようでしたが、「何だか死ぬのか少し怖くなくなった」と教えてくれました。そして、「死んだ先に何かがあるのかもしれない」ということも感じたようでした。
■終焉とその先にあるモノ
「死」とは何かが終わることを指している言葉です。私は娘との会話で「ITエンジニアの死(終焉)」というキーワードが頭に浮かびました。私は既にITエンジニアを引退しており、現在はキャリア・コンサルタントを生業にしています。そういった意味では、ITエンジニアである私は死んでいます。しかし、私の場合、その「死(終焉)」は次のキャリア・コンサルタントという「生」につながりました。
ひょっとしたら、何かの死(終焉)は次の何かを生むのかもしれません。そうやって世の中は流れているような気がします。だとしたら、死(終焉)は次の生を生み出すために必要なモノなので、そんなに「死(終焉)」を怖がる必要はないのかもしれません。それよりも、もっともっと生きていることを楽しめばいいように感じました。このように考えたことを娘に伝えたところ、「いってることは分かるような気がする」と納得してもらえたようでした。
ただ、その後、「これ以上考えると、頭がパンクするのでいっぱい考えないようにする」といって私との会話を止めてアニメをみだしました。そうして、5分も経たないうちにアニメに夢中になり、大笑いしだしました。
その姿をみて、結局これが正解の姿なんだろうなぁと感じました(笑)