地方エンジニアが感じる地方・中小企業での悩み

標準思考功罪

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 開発の世界に限らず、色々な物事においては標準と呼ばれるものが存在します。それに従うことで、余分な手間やコストをかけないようにしようという目的もありますので、システム開発を行う際にも、業界標準に則った設計を行ったり実装を行ったりしているかと思います。

 Saas と呼ばれるようになったタイミングでもありましたが、標準に従った外部サービスを用いて業務を執り行うという考え方は今でもよく目にします。業務をシステムに合わせるというところですが、最近の私の中ではその考え方に少々疑問が芽生えてきました。

 話がプロトコル的な、ルールの部分で標準というのはあって然るべきだと思います。ですがビジネスの方法論としての標準というものは、果たして有用なものなのでしょうか。

 特に販売管理の世界では顕著だと思いますが、著名なシステムの挙動に自社の業務を合わせることで効率化を図る、という話題がいつになっても出てきます。確かに自社の業務をシステム側に寄せることで、導入コストは下がり運用も楽になる面は多いでしょう。しかしそこには、自社独自の強みを失わせてはいないのでしょうか。

 標準的な部分というのは確かに存在します。ですがそこだけを行っているのでは、他社との差別化が行われずに、体力勝負の世界にしか持ち込めません。提供できる価値も同じであるのならば、体力が大きいところが執り行うほうが、価値以外の部分で差をつけることが簡単だからです。

 だからといってその独自色の部分をシステム化するとなると、標準からはみ出てしまう部分となりますので、当然カスタマイズが発生します。カスタマイズをシステムに対して行うことは、皆さんご存知のように色々と大きな問題に付きまとわれることになります。

 では、自社独自の部分をシステム化しないで業務を執り行うことが正しいか、と言われればそれもまた何か間違っている気がしませんでしょうか。

 強みを伸ばす方法と、弱みを補う方法が世の中には存在していると思います。標準に則るだけの方法は、どちらかというと弱みを補う方法です。弱みを補うことで、平均には近づけるかもしれませんが、そこを抜けることは難しくなります。反対に強みを伸ばすのであれば、他社に更なる差をつけることも可能です。もちろん、その施策がうまくいくことが大前提にあるので、一概にどちらが良い悪いというものではありません。

 過去にガラパゴスな話題を扱った時にも感じたことですが、各種媒体や有識者が言い続けているように世界標準的なものに則っていくというのは、本当に必要な事なのでしょうか。

 業界標準に則るということは、反対に言えば既存の方法に従うということです。言い換えると、新しいビジネスを始める場合には、このようなことを考えてはいけないでしょう。

 業界の中で自社がどの位置にいるのかを踏まえたうえで、標準を取り入れることは良い方法だと感じます。ただそれも、標準を取り入れてさらに売り上げを伸ばそうとか、そういう思想でいるのであれば、あまりうまくいくことはないのではないか、と思います。

 今ある強みを更に生かしたいのか、今抱える問題点を解決したいのかによって、取るべき手段は異なってもよいのです。そこにシステムはこうあるべきな、べき論を紛れ込ませることはそれほどのメリットがあるとは思えません。極端なことを言えば、例えどんな識者がそう言うのであろうと、自分たちの考える目標とそれに適応さえる手段が見えているのであれば、世の中の動向を一切気にしないという選択も、また正しいのではないでしょうか。

 個人的には、日本独自、というのは全てを無くす必要はないと考えますし、すべてを世界に合わせる必要もないと思います。グローバルにビジネスを行いたいのであれば別ですが、そうでないのならそこまで世界標準にこだわる意義は見出せません。取り入れることで自分たちの目標が達成できる、と判断できたときにのみ従うというのも、一つの考え方にはならないでしょうか。

 私たちが作るシステムというのは、どこまで行っても道具です。主体となるのはあくまでもビジネスなのです。その点の考え方をおざなりにして、世界的にこうだから、業界的にこうだから、という考えに捕らわれてしまうのは、もしかするとよりよく発展するための機会を潰している可能性もあるのかもしれません。

 何が良いか悪いかというのは、その状況や関連する人によって大きく変わることも多々あります。標準という言葉に捕らわれて、思考停止することこそが、もっとも会社にとっても業界にとってもよくないことなのではないでしょうか。

Comment(3)

コメント

山無駄

仰る通りだと思います。パッケージに業務を合わせる事が正しいか、間違って
いるかはその会社次第だと思います。大きかろうと小さかろうと、会社内には
その会社の強みとなる業務と、汎用的な業務が内在しております。
強みとなる業務は、おそらくその会社独自の業務なので汎用的ではありません。
ということは、その業務に適したパッケージは世の中に存在しないという事に
なります。この業務をパッケージに合わせてしまうと強みが強みでなくなって
しまいます。逆に汎用的な業務を独自運用してしまうとシステムにかける金は
多くなり、会社の首を絞めることになるでしょう。
これからのシステム屋は、その辺りをしっかり見極め、提案できるようになら
ないと生きていけないのかもしれませんね。

通りすがり

例外的な場合もあるでしょうが、自社の強みや独自性が整理できておらず、あいまいなままなことが多いようにも思います。独自性が、実は属人的・人間関係的なものを含んでいたり。。。

標準に対して、独自性や強み「のみ」を切り出す過程では、身内の「想い」なども切り捨てる部分も出てきます。
「私じゃないと回らない!」と思っていらっしゃる人がいるような業務も、
やり方変えたら誰でもできるようになり、その人の相対価値が下がる・・・など。

自社の強みや独自性を保ったまま働き方(給料や働く人すらも!)を変えたら可能ですが、
雇用の流動性が低い日本では難しい面があるかもしれません。


欧米人が物事をシステム化する際の思考回路って興味深い点が多いです。


標準化しないメリットについては、
金融(通信を除く)や政府機関等のシステムでは、標準・共通化しないことでセキュリティリスクの範囲を限定できるという考え方はあると思います。

Ahf

大変遅くなりましたが、コメントありがとうございます。

>これからのシステム屋は、その辺りをしっかり見極め、提案できるように
>ならないと生きていけないのかもしれませんね。

SI の分野は、本来そのようにするのが生業だったと思います。
そこを忘れているのも、今色々悪いイメージが付きまとう要因の一つかも
しれませんね。

自分としては何が最も良い方向へ進めるか、をしっかり考えていきたいところです。


>例外的な場合もあるでしょうが、自社の強みや独自性が整理できておらず、
>あいまいなままなことが多いようにも思います。独自性が、
>実は属人的・人間関係的なものを含んでいたり。。。

その通りだと私も思います。
仕事柄、運用側や業務設計側と色々顔を突き合わせて云々することもありますが、
言われるような状態に気づいていない事も多々あると感じます。

そこを、どのようにすれば気づいてもらえるかは難しいですよね。
日々格闘しています。

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