戦わないエンジニア
■敵はどこにいる?
デスマった現場は戦場に例えられる。では、その戦場で我々エンジニアが戦っている相手は誰なのだろう?
テクノロジーは敵ではない。サッカー選手にとってのボールと同じことだ。テクノロジーを敵と考えるなら、もはやその人はエンジニアではない。
時間も敵ではない。時間は淡々と進むだけだ。納期という形で時間を区切ったのは人間だ。つまり、我々にとって敵は多くの場合、人のカタチを取って現れる。
となると、誰と戦っているのだろう。要求を膨らませる顧客か、それを丸呑みする営業か、段取りの悪いPMか、不明瞭なドキュメントを書くSEか、バグばかり出すプログラマか、バグを見逃すテスターか、環境構築に手間取るインフラ担当か。
しかし、そもそも彼らは敵ではなく、同じ目的を共有する仲間なのではないか?
■24時間戦えますか?
和気あいあいとしたデスマはあり得ない。デスマとは殺伐としたものだ。そこでは誰もがイライラしている。そしてそれは、顧客も含めたプロジェクトのステークホルダー同士の確執が原因となっていることが多い。
このように、本来は仲間であるはずのステークホルダーを相手に戦っているのだとすると、デスマーチとはプロジェクトの現場で繰り広げられている内戦ではないだろうか。内戦というものは長期化、泥沼化するものだ。
自軍の陣地のはずなのに見渡せば四面楚歌。そんな殺伐とした戦場で、あなたは24時間戦い続けることなどできるだろうか。
■盾では誰も守れない
四面楚歌とはいえ、最小単位のチームでは結束していることが多い。その場合、チームのリーダーは「自分が盾になってメンバーを守る!」と考える。しかしこれは非常に危険な考えだ。悪魔の甘美な誘惑なのだ。自己犠牲の精神、メンバーを守るという気持ちは善意の塊であり崇高なものかも知れない。しかしそれこそが悪魔の罠なのだ。
よく考えて欲しい。「盾になる」というと響きは美しいが、それは「壁をつくる」と同義なのだ。壁はコミュニケーションを阻害する。プロジェクトの円滑な進行にはコミュニケーションが不可欠なのに、それを遮断しようとする行為ではないか。コミュニケーションなしにデスマからの帰還はあり得ない。つまり、デスマの現場に盾を持ち込むのは、火に油を注ぐのと同じことなのだ。
■戦ったら負けと思え
このように、誰かが自分自身も含めて誰かを守ろうとするたびに、職場には見えない壁が作られる。守ることは戦うことだ。そして、戦いを始めるということは壁をつくるということ。「戦いは何も生み出さない」といわれるが、それはプロジェクトを進める上でも同様だ。
もちろん、デスマは様々なファクターの積み重ねで発生する。それを避けるためにはきっちりとしたプロジェクトマネジメントが必要となるのは当然のことだ。しかし、個々のエンジニアが戦わないことを心掛ければ、見えない盾や壁によってコミュニケーションを阻害されることも少なくなる。
お互いを理解すること。それこそが状況改善の第一歩になるのだ。エンジニアは、戦ったら負けと思うべし。
コメント
自宅警備兼療養中
> 戦ったら負けと思うべし。
百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。(百戰百勝、非善之善者也、不戰而屈人之兵、善之善者也。)
孫氏謀攻篇の不戦のくだりを状況に沿ってアレンジしたらこうなりますということですね。