第328回 失敗を考える
こんにちは、キャリアコンサルタント高橋です。
先日、知人からこのような記事を教えてもらえてもらいました。
最近、レジリエンスの活用事例はいろいろと聞かれていますが、叱る側ではなく叱られる側への展開というのは「なるほどなぁ」と思いました。それと同時にある種の少し違和感も感じました。そこで、今回はこのことについて書きたいと思います。
■「叱られる」とはどういうことか?
「叱られる」というのはどういったときに起こるのでしょうか?
一般的には何かやるべきことがあるときに、それができなかった場合に指導する意味合いで行われることだと思います。例えば、何か手順に則ってやるべきことがあり、その手順に則らなかったためにミスを犯してしまう。そうすると、その「手順に則らなかったこと」に対して叱られます。
こういったことは仕事においては良く見受けられる風景です。昨今、叱るという行為はハラスメントに直結する部分がありますので、叱る側も十分相手に配慮しなければなりませんが、それでも叱られるという行為には意味があるように思います。
■失敗を考える
一方、先の記事には以下のように書かれています。
上司や先輩の指導・叱責(しっせき)に応えられる若手社員を育成する...
この言葉の裏側にあるのは「上司や先輩の指導・叱責に応えられない若手社員がいる」ということです。これを上司や先輩が客観的に見てハラスメントに当たらない前提で指導や叱責をしていたと仮定した場合、若手社員側の受け取り方に問題があり、それを改善しようという試みになります。
そもそも、なぜ若手社員の受け取り方に問題があるのでしょうか?
その答えは一つではないと思いますが、キャリア論的な考え方で言うならば「発達段階」を正しく経ていないということになるのかもしれません。私たちは小さい頃から様々な人との関わりの中で生きています。集団生活の中で他人と衝突をしたり、勝ち負けで負けて悔しい想いをしたり、共に協力して何かに成功をしたり...こういったたくさんの経験が私たちの人格(パーソナリティ)を成長させていきます。
だから、私たちは失敗したことについて、そのことに傷つき、やがてそれを受け入れ、少しずつ前に進むことができるようになります。
しかし、そういった「発達段階」を正しく経ていないとどうなるか? 失敗を受け入れることができない、前に進むことができないといった弊害が生まれてしまうのかもしれません。少し乱暴な言い方かもしれませんが、それが先の「若手社員」のような物の見方になってしまっているのかもしれません。
■失敗を経験することの大切さ
冒頭に私が感じた違和感はここにあります。
私はこの記事を読んで、レジリエンスを若手社員に活用する事例にはとても共感する反面、失敗を受け入れる経験も必要なのではないかと感じました。勿論、それはその人が耐えられる失敗体験であることが前提ですが、そうやって心を育てていくことが必要なのではないかと思いました。
一般的にはそういった失敗体験は就業前に学ぶことが多いかもしれません。しかし、今の時代はそうでない方がおられるのかもしれません。それが「若手社員」といった括りになっているような気がします。
だとすれば、そういった方々が失敗をしたときに、その失敗に対して悩み、受け入れ、学び、気づき、そして前に進むといった心の成長を育むことができる社会(会社や組織)が必要なのかもしれません。
それがこれからの時代に求められる人材育成、人を育てるということになるのではないかと思いました。