第278回 7つの習慣のススメ3 -第1の習慣「主体的である」
こんにちは、キャリアコンサルタント高橋です。
今回は「7つの習慣のススメ」シリーズの3回目です。前回は7つの習慣を理解するための土台となるお話をさせていただきましたが、今回からは具体的に7つの習慣を1つずつご紹介させていただきます。まずは私的成功を得るための最初のステップである第1の習慣「主体的である」からです。
■主体的と反射的
例えば、目の前に人がいるとします。その人は手にゴムボールを持っています。そのゴムボールをあなたに見せつけ、「行きますよ」といってゴムボールをゆっくりあなたにほおり投げてきました。あなたならどうしますか? 恐らく、投げられたボールを無意識に受け取ろうとするのではないでしょうか。その「ボールを取る」という行為は反射的に反応しています。主体的とはその逆で自らの意思で行動することをいいます。
この反応的、主体的については、以前「自分の天気を持つ」というコラムを書かせていただきました。この時のコラムを一部引用します。
「自分の天気を持つ」とは自分の気持ちや感情を天気になぞらえ、気持ちや感情をコントロールすることを表しており、第1の習慣「主体的である」の中に出てきます。
(中略)
「私たちが感じる喜怒哀楽の感情は、私たちに起きた出来事に対して、私たち自身がそのように感じたいから感じている」
私たちが怒ったり、笑ったり、悲しんだりするのは、私たちがそのようにしたいからです。再び、その時のコラムを引用します。
しかし、この腹が立つ、怒る、嘆くといった感情は私がそうしたくて起こった感情です。これはどういうことか? このことを理解するために、部下へのモノの見方や偏見などを外して部下の行動をもう一度考えてみると、部下はただ私に資料を返却しただけなのです。その行為に対して善悪はありません。その行為に善悪を紐づけているのは他ならぬ私なのです。私が資料を返すという行為に対し「不遜だ」「仕事を拒否された」だと考えてしまったことによって、私が怒りや嘆きの感情が引き起こしたのです。
もし、私が「資料をそのままの形で返さなければならない特別な理由があったのかもしれない」と捉えることができていれば、そこから生まれる感情は変わってきたかもしれません。
すべての事象に対して感情を起こしているのは、外ならぬ私たち自身がそうしたいからやっています。だからこそ、私たちは自分の天気を持つ、いい方を変えるならば、自分の感情をコントロールする術を持つことができます。そのためには、刺激を反応の間にスペースを空けます。そして、「自覚」「想像」「良心」「意志」という人間だけに与えられた4つの能力を使い、行動を選択する自由を持つことが効果的です。
例えば、怒りの感情を起こす何かの刺激があったとしましょう。その刺激に対して即反応するのではなく、一旦立ち止まり、考える時間をもちます。このとき「自覚」の考え方を使うならば、自分の状態を一歩引いた立ち位置で客観的に見つめ直してみることもできるでしょう。もし「想像」を使うなら、怒りに任せて行動する自分自身の姿がその後どのような影響を与えるのかをイメージすることができるでしょう。そうして、主体的な言葉を使い、目の前の事柄に対応していきます。このようにすることで、私たちは自分の天気を持つことができるようになります。
■関心の輪、影響の輪
しかし、私たちが主体的であるためには、ただ闇雲に行動するのは得策とはいえません。そこで、7つの習慣には「関心の輪、影響の輪」という考え方があります。関心の輪というのは、気にかけたり、考えたり、話題にしたりすることはあるけれど、そこに対してコントロールできないと感じている事柄で、日常の天気、世界情勢などがあてはまります。影響の輪というのは自分自身が影響を及ぼし、コントロールすることができると感じている事柄で、職場の人間関係や5年後の自分などがあてはまります。そして、この関心の輪と影響の輪はこのような関係になっています。
7つの習慣ではこの影響の輪にフォーカスし、影響の輪の事柄に対して主体的であることを推奨しています。そうすることで、自分の影響の輪が少しずつ大きくなり、関心の輪が少しずつ狭まってくるのです。それは自分の影響力を広げることにも繋がっていきます。
そうしていくことで、やがて「流れを変える人」になることができます。流れを変える人とは、他の人の模範となり、他の人を強くポジティブ(プラスの方向)に成長させる人のことです。
これらのことからコヴィ博士は、第1の習慣はすべての土台になる習慣であるといわれています。
今回は7つの習慣の最初の習慣である「主体的である」を紹介させてもらいました。次回は第2の習慣「終わりを思い描くことから始める」のお話をさせていただきます。
コメント
匿名
主体的な思考が大事との内容はよくわかります
そのために反応の前に思考のスペース(余裕)を持つというのもわかります
しかしながら、そうなると反射(受動)の説明で例に挙げている
「目の前の人にいきなり軽くボールを投げられた」という想定において
どのように振舞えば主体的であったかが納得できません
投げられたボールに対して「掴む」または「避ける」の行動は、本人なりの判断が入ってはいませんでしょうか?(場合によっては弾くも選択になるでしょう)
一拍置いていたら体に当たることでしょう
ボールの材質や威力がわからない以上、掴むか避けるの判断を瞬間的に行うしかないと思います
一拍置く余裕もない状況に対しての行動、それを反射的(受動)だと言われるのでしょうか?
例としてはとても不適切のような気がします
主体に対しての対義をとるのであれば、反射・受動・従属といった関係性になりますので、
「明日11時から客先でMTGを行うので、8時半までに出社しろ」と上司に言われて「あたりまえに8時半出社をした」の様な、新人の時によくありがちな「言われたからそうした」というようなケースではないでしょうか
否定的で申し訳ありませんが、どうにも腑に落ちないのでコメントさせていただきました。
キャリアコンサルタント高橋
匿名さま、
コメント、ご質問ありがとうございます!
お問い合わせの件について回答させていただきます。
ボールのくだりについてですが、匿名さまのコメントをいただき、再度本文を読み直してみましたが、意図する内容が正しく伝えられていなかったです。。。
捕捉(という言い直し)をさせていただきますと、これは実際に7つの習慣のワークセッションで行っているワークを紹介させてもらっております。このときはボールはゴムボールを使っているのですが、具体的には以下のような動きをしています。
1.ゴムボールを相手に見せる
2.「行きますよ」とだけ相手に伝える
3.ゴムボールを軽く相手に向けて軽くほおり投げる
※これらをゆっくりした動作で行う
コラムではこれらを表現しようとしていました。
一応、動作の説明で「軽く」という表現を入れ誤解がないように配慮したつもりでした。しかし、改めて見直してみると「刺激即反応」の例えとしてはこれでも意味は通じたのかもしれませんが、匿名さまが仰るように「主体的に行動する」ことまで想定すると、言葉が足りず誤解を招いてしまう表現でした。。。
大変失礼いたしました。後程本文は修正させていただきます。
この例えで表現したかったことは、「ボールが飛んでくる」という刺激に対して「取る」という反応を取ってしまうように、私たちは様々な刺激に対して即反応しがちになってしまうこと体験によって気づいていただくことが狙いでした。
ちなみに、このワークには相手に気づきを得てもらうための続きがあります。
4.相手が投げられたボールに対して反応する(実際には100%ボールを取ってくれます)
5.なぜそのような行動を取ったのかを尋ねる
相手の反応(ここではボールを取るという行為)に対し、相手になぜそのような行動をしたのかを尋ねるのですが、この質問を成り立たせるためには相手が主体的に考える余地を与えなければならないので、ここまでの動きをゆっくり行っています。この質問をすると、「ボールが投げられたから反射的に取った」と答えられることが多いので、そこから気づきへと繋げていきます。…ここの説明が不十分だったので誤解を招いていたように思います。重ね重ね失礼いたしました。。。…と、ここまでお話しすると完全にネタバレになっちゃってますね(笑
尚、匿名さまがおっしゃる
> 「明日11時から客先でMTGを行うので、8時半までに出社しろ」と上司に言われて「あたりまえに8時半出社をした」の様な、新人の時によくありがちな「言われたからそうした」というようなケースではないでしょうか
は刺激即反応の良い例だと思います!ありがとうございました!