ITエンジニアへの5分間キャリア・コンサルティングやってます!

第243回 【書評】レッドビーシュリンプの憂鬱

»

 こんにちは、キャリアコンサルタント高橋です。

 リーベルGさんの『罪と罰』が SBクリエイティブさんより装いを新たに、『レッドビーシュリンプの憂鬱』として2/16に出版されるそうです! (パチパチパチパチ)

 ありがたいことに、事前に原稿をいただくことができましたので、今回は書評をさせていただきます。せっかくの書評なので、いつもと雰囲気を変えて書いてみました。

■『罪と罰』に流れる普遍的なテーマ

 『罪と罰』といえば、真っ先に思い浮かぶのはドストエフスキー著の『罪と罰』。私も過去に読んだことがあるが、この本は「自分の信念と他人への情念の狭間で人はどのように行動するのか」といった人間の普遍的なテーマを扱っていると考えている。難しい言葉を使わずとも、このテーマは私たちの普段の生活の中に溢れている。例えば、自分の利益を得ることが他人の不利益にあたることを知っていたとしたら、その人はそれでも利益を得るのか? それとも放棄するのか? ドストエフスキーの『罪と罰』はある利益を得るために「罪」を犯す主人公が、他人の情念を知ることで良心の呵責という「罰」を背負うといったストーリーになっている。リーベルGさんの『レッドビーシュリンプの憂鬱』は旧題が『罪と罰』となっており、基本はこの普遍的なテーマを扱っている。

 五十嵐という人物によって起こされる様々な変化、そこで起こるWebシステム開発部内の軋轢。ある社員は五十嵐の変化を改革と呼び賞賛し、またある社員は既得権益の剥奪と非難する。しかし、そういった中でも粛々と五十嵐による変化が進んでいく。そうして、プロジェクトが終わる頃には一人一人が自らの行動に対する結果を受け入れなければならなかった。

 主人公であるレイコも最初は戸惑いながらも五十嵐の変化を受け入れ、その変化の一翼を担うようになる。彼女がそうした選択を選んだことでプロジェクトは成功する。しかし、同時に長年親しんできたカスミが会社を去ってしまう。その後、街で偶然見かけたくたびれたカスミの姿を見たレイコは、自らの取った行動に疑問を感じてしまう...。

■これは選択の物語だ

 リーベルGさんの『罪と罰』(現、『レッドビーシュリンプの憂鬱』)は投稿当時リアルタイムで読ませていただいていた。奇しくも、コラムをアップするタイミングがリーベルGさんも私も月曜日だったため、毎週月曜日に私のコラムがリリースされているのを確認した後、リーベルGさんの『罪と罰』を読ませていただき仕事に入る、そんなルーティンワークに近い日々を送っていたのを思い出した。今回、改めて『レッドビーシュリンプの憂鬱(旧、『罪と罰』)』を読み返してみて、当日の記憶や想いが鮮明に蘇ってきた。そこで改めて気づいたのだが、そのとき私はこの話を読み、「これは選択の物語だ」と感じていた。

 当時、私はこの話のエンディングがあまり好きではなかった。この話でカスミはアイコン的な役割を担っているが、彼女の結末は彼女の選択によるものだと考えていた。彼女が会社を去るまでの間、レイコは何度となくカスミのことを救おうとした。しかし、カスミは最後までそれを受け入れなかった。それが彼女の選択だった。彼女も既得権益に縛られた一人だったのだ。だからこそこの結末は然るべきであり、レイコが最後に抱く疑問に少しあざとさを感じていた。

 しかし、今回もう一度最初から読み直してみると違った見え方になってきた。カスミが結末のような選択をしてしまったのはなぜだろうか? 単に先見の明がなかったからか? それとも何か別の理由があったのか? ひょっとしたら、彼女はこの結末になることが分かっていて、あえてその選択をしたのではないだろうか? 今回新たに追加された『特別編 闇よ落ちるなかれ』を読んでその思いに至った。ここには五十嵐の過去の話が描かれている。五十嵐がなぜあのような強い態度を取るようになったのか? 五十嵐の信念をつくり上げたといってよい出来事が描かれている。

 この話を読み、信念が選択をつくり出すことに気がついた。ひょっとしたら、頑なにレイコの話を受け入れなかったカスミにも既得損益ではない別の強い信念があったのではないだろうか? それが何かは語られておらず分からないが、物語の一辺だけでは判断できない何かがあるように感じた。本来選択するということは、その人に係る様々な要素から決定される。自らが会社を去らなければならない、しかしその選択をしなければならない、そういった自分の力では変えることができない大きな力が働くことは私たちの人生では良くあることだ。甘んじてその選択を受け入れたカスミの心情を考えると少し心がざわついた。そう感じたことで、この話の見え方が大きく変わったのだ。とても考えさせられる話だった。

■自らの選択を考えるきっかけになる一冊

 私は『罪と罰』という話が抱える普遍的なテーマに対する答えはないと思っている。私たちはいつでも「罪」を負い「罰」を感じる。だからこそ、大切なことは自らの信念を持ち、相手の信念を受け入れ、その上で少しでも後悔のない選択に近づけるようにすることではないだろうか。この本はそんなことを考えるきっかけになるとても素晴らしい一冊だった。

 既に読まれた方もぜひ手に取ってお読みいただきたい。そこには新たな気づきがあることだろう。

Comment(0)

コメント

コメントを投稿する