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第179回 格ゲーから学んだこと

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 こんにちは、キャリア・コンサルタント高橋です。

 最近、コラムニストの方が何人かデビューされています。同じコラムニストとしてとてもうれしい限りで、新しいコラムニストのコラムは必ず読ませてもらっています。その中で、くれあさんがコラムをアップされていましたが、くれあさんは格ゲー(対戦格闘ゲーム)もされているとのこと。そういえば、遠い昔、私も格ゲーに没頭していた時期があったので、懐かしく思いながら読ませてもらいました。そこで、今回は私の格ゲーでの体験から学んだことを書いてみようと思います。

■私と格ゲー

 私が格ゲーを始めたのは、「Street Fighter」というゲームからでした。当時、高校生だった私はこのゲームにとても強いインパクトを受けました。詳しくはWikipediaに書かれていますが、筐体型でボタンが大きく、ボタンを押した強さで攻撃の力が変わるという何とも一風変わったゲームでした。ゲームの中身はいたってシンプルで、プレイヤーが対戦相手と1対1で戦いながら勝ち進んでいくゲームでテンポもよくすぐにハマってしまいました。ただ、このゲームは巨大ボタンに致命的な欠点があり、その後、巨大なボタンが弱・中・大という普通のボタンに分かれたモデルが登場しました。

致命的な欠点:実際にやってみると分かりますが、力の加減が難しく、ラウンドが進むとプレイヤー自身の体力も大幅に消消耗するという大きな欠点がありました。

 このゲームは二人同時プレーができるようになっているのですが、一つの画面を二人で共有するため、並んで座らなければならず、当時は仲間内だけで対戦をするような位置づけでした。ちなみに、このゲームはある特定のコマンド(レバーやボタンの動かし方)を入力すると必殺技が出るようになっているのですが、そのタイミングが異常にシビアで、必殺技が的確に出せるだけで羨望のまなざしでみられるようなレベルのゲームでした。。。

 その後、この「Street Fighter」が発展、進化した「Street Fighter2」が登場します。このゲームも最初は「Street Fighter」と同様で横並びで座るようなプレースタイルだったのですが、あるタイミングから対面に置かれた2つの筐体で互いにプレーし合うことができるようになりました。これによって、直接相手の顔を見ることなくプレーができるようになり、「Street Fighter2」は爆発的なヒットになりました。また、当時「Street Fighter」はゲームセンターでしかプレーできなかったのですが、これが家庭用ゲーム機であるスーパーファミコンに移植され、これが更なるヒットを後押ししました。

 そして、この頃になると、「遠征」といって違う地域のゲームセンターに足を延ばし、強いプレイヤーと対戦するようなことするプレイヤーが出始めました。私も地元ではかなり強まってきたこともあり、電車に乗っていろんな地方のゲームセンター巡りをやっていました。

 その後、しばらくはゲームセンターに入り浸る日々が続いたのですが、あるとき、「バーチャファイター」というゲームが登場しました。このゲームも対戦格闘ゲームの1つですが、登場するキャラクターがすべて3Dで表現されており、初めてみたときは中に人が入っているのでは? と本気で錯覚するような衝撃を受けました。当然のことのように「バーチャファイター」にものめり込みました。

 当時セガサターンという家庭用ゲーム機があったのですが、XBANDという通信システムを使うことで、自宅で「バーチャファイター」ができるようにもなり、もはや一日中「バーチャファイター」ばかりやっているような日々を過ごしていました。この「バーチャファイター」はシリーズ化され2、3…とナンバリングタイトルが増えてくるのですが、その過程で盛り上がりはどんどん加速していきます。全国各地で大会も開催されるようになり、私も何回かこういった大会に顔を出せるようなレベルになりました。

 しかし、この頃から少しずつゲームセンターに通わなくなってきます。理由はいくつかあるのですが、大きな理由は「ストレス」でした。対戦プレーというのは突き詰めるとじゃんけんになります。相手がパーを出すからこちらはそれを読んでチョキを出す。相手はこちらがパーを出すと踏んでるのでチョキを出そうとするから、グーを出す…、こういった動きや技の読み合いのレベルにになってくるのです。私はそれが対戦ゲームにおける本当の楽しみだと思っていました。しかし、中にはそうでない人もいます。勝ちにこだわるスタイル、リスクを冒さないスタイルなど人によってプレースタイルが違ってくるのです。

 基本、私はどのようなプレースタイルであっても自分のスタンス(読み合いを楽しむというプレースタイル)を貫きました。その結果、当然のことですが、勝率が下がってくるようになりました。最初はそれでもよかったのですが、それが長く続くようになると、次第にストレスをためながらプレーをしている自分に気づきました。本来、楽しむためにゲームをしているはずなのに、なぜストレスを感じながらゲームをしているのか?  こういったことを強く考えるようになり、あるタイミングで私はゲームセンターの対ゲーからすべて足を洗いました。

 実はちょうどそのころ、PCでインターネットを使ったオンラインゲームが登場し始め、それらをプレーするようになっていました。「Diablo」や「Ultima Online」といったインターネット上で複数のプレイヤーが同時にプレーできるようなゲームが流行しだしたのです。それがとても面白く、私はそこに対戦格闘を求めるようになりました。

 それは、ちょうどオンラインゲームにおけるPvP(Platyer vs Player)の走りだったと思います。自分たちでPvPのしくみやルール、技、テクニックなどを考え、HP上にアップをする。そうしていると徐々に同じプレースタイルを望む人たちが集まり、いつしか一つのコミュニティができていました。毎週末、大会を開催したり、別チーム(当時はギルドといっていました)との局地的な大攻防戦(数十人規模の同時対戦)を開催したりと、非常に大掛かりなことをやっていました。今でもネットで検索をすると、当時のPvPの記録がうっすら残っていたりします。

 しかし、それも最後は現実社会の仕事が忙しくなり、ネットゲームにまで時間が割けなくなり、次第にフェードアウトして終わってしまいました。

■格ゲーから学んだこと

 あれから、格ゲーやPCのオンラインゲームには一切手をつけていません。きっとやればハマるのでしょうが、今はそこにハマるだけの時間的な余裕はないので、傍からみている程度になっています。しかし、私は格ゲーで多くのことを学びました。

 その中でも一番に感じたことは「格ゲーは相手がいるからこそ成立する」でした。どのようなプレースタイルをする相手であっても、その人がいなければゲーム自体成立しません。だからこそ、自分がプレーできるのはその人がいるお陰であることを強く認識するようになりました。

 これは、私の人生観の一つになっています。仕事でもプライベートでも誰かがいて成り立っているような場合、その相手がいなければ成立しないのです。例えば、コンビニで何かを買おうとしたとき、レジ係の人がいなければ私はモノを買うことができません。仕事で何かをするにしても、許可してくれたり、サポートしてたり、参加してくれる人がいなければ仕事自体成り立たないのです。

 そう考えたとき、何をするにしても相手への敬意は絶対に必要だなと感じました。そして、この考え方は、今でも強くもち続けています。

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