野良アプリを禁止するのはこれからの時代も有効なのか
以前より、システム開発を行ったはいいけれども現場が望んだ形にならなかった、という事故は数多く存在します。要件をまとめたはいいけれども、そのポジションにいた人が現場の業務を把握していないことが原因のケースもありますし、全社的な視点からシステムの投入を決断したが現場と合っていないものだったということもあります。そういったことを何度か経験すると、現場では独自に仕組みを構築することが珍しくなくなります。
Excel のマクロや野良アプリと呼ばれるものが部門内や社内に存在する事が問題だと考え、情報システム部などが監視を行うことで管理されていないものを除外しようという試みは、多くの会社が実践していることと思います。多くの社員が集まる会社という環境では、管理していないものが存在するのは多くのリスクを抱えるためです。管理する側からすると、業務を回す為とは言ってもリスクを抱える事の方が重大な問題になる可能性があるので統制するのが当然と考えます。事実、現場で作成したアプリが原因で大きなトラブルになることもありますし、未承認のアプリを導入したために情報が漏洩してしまう事件もこれまでに発生したことがあります。
ですが見方を変えると、現場側ではそのようなアプリを導入しなくてはならない理由が別にあり、正当な手続きに則っては間に合わない、または認められないから独自に判断したという理由も考えられます。手続きが煩雑で時間がかかるためとか、申請してもよほどのことがない限り認可されないからとか、そこには様々な問題も隠れていることが多いです。
何かしらの問題が存在した場合、片方の視点からでは解決できないことがあります。管理側から見ているだけ、現場側から見ているだけでは、どちらかの考えしか聞くことができず、本当の問題はどこにあるのか気づけない事がほとんどです。ある意味でそのばしのぎな解決になってしまい、問題をずっと抱えたままになります。野良アプリがいつまでもなくならない原因は、管理側にあったとしても何も不思議はありません。
今ではノーコード・ローコードも普及していますので、これまでよりもさらに多くの野良アプリと呼ばれるものは増える事になるのは避けにくいところだと言われます。人によっては、会社という環境なのだから管理されることが当然と考える人もいるでしょう。ですが、時代は流れて各種アプリを現場が生み出していき、それが社内に広まっていくケースも増えています。アプリの開発が現場でも行えるようになってきた現在だから起こりえる事です。
このような背景を考えると、単純に野良アプリだからといって禁止するのではなく、他でも利用可能かどうか、利用するためにはここを改善して欲しい、というように前向きな形で管理側も受け入れていく必要があるのではないでしょうか。多くのものを禁止したところで現場の業務は一向に改善されませんし、本当に必要なものを管理側から提供できるかと言われれば疑問と言わざるを得ません。
現場で作成されたものを受け入れていく事は、より多くのアイデアを取り込む可能性が生まれる事にもつながります。自分たちの作ったものが受け入れられることは、会社に対する気持ちも好意を持ち約なりますし、なにより本当の意味で自分が業務に加わることができる実感も感じられるようになります。それは更なるアイデアの発現にもつながるかもしれません。
これからの時代は、市民開発者や内製化、DX といったキーワードに現れるように現場主体の時期が続くことが予想されます。その状況を活用するためにも、いかに多くの人の考えを取り入れていくか、現場のやり方を尊重していくかといったことが非常に重要になっていくのではないでしょうか。
これまでのような、管理側が上から押さえていくのではなく、現場側にもある程度の自由を与えていく事で、最終的には全体がより活発に活動できていくのではないか、そんな可能性を考えてみるのも必要なのだと思います。