目標設定
月刊「Windows Server World」の連載コラム「IT嫌いはまだ早い」の編集前原稿です。もし、このコラムを読んで面白いと思ったら、ぜひバックナンバー(2007年9月号)をお求めください。もっと面白いはずです。なお、本文中の情報は原則として連載当時のものですのでご了承ください。
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新人研修の総まとめに「1年後のあるべき自分の姿」を宣言させる企業は多い。筆者もやったような気がするがまったく覚えていない。それでも、宣言した時点での効果はあったはずだ。しかし、その目標は本当に実現したいものだっただろうか。今回は目標設定について考えてみたい。
●目標設定の効果
他人から命令されたことや、自分が心の中で思っただけのことはなかなか守れない。しかし、他人に対して公表したことは守る確率が高まる。これを「パブリック・コミットメント」と呼ぶ。新人研修のまとめでは、研修の成果を今後も継続させる目的で利用されることが多い。
筆者は約20年の間、毎年どこかの会社の新人研修を担当している。程度の差はあれ、どの会社でも新入社員の学ぶ力は素晴らしいものがある。「今どきの若い者は」と揶揄されるのがウソのようである。人事担当者は、これからもこの調子で頑張って欲しいと願い、新入社員に決意表明をさせる。
パブリック・コミットメントの効果がどれくらい持続するかは、状況による。周りに流されて何となく書いたものは長続きしないが、自分で納得して書いたものは一生の方針として残る。一般的には、あまり遠い先のことは自分でも分からないので、1年後や3年後のように具体的な時期を示して「あるべき姿」を表明させることが多い。一生の目標を設定するのはある程度のキャリアを積んだ後だ。
●TOEICで700点取る人になりたいか?
新人研修に限らず、目標を設定するのは悪いことではない。ただし、目標(目的)と手段を混同しないようにしたい。たとえば、よくある決意表明に「TOEICで700点取る」とか「マイクロソフト認定技術者(MCP)資格を取得する」というものがある。これは最終的な目標として適切だろうか。
一般には、得点や合否は達成したかどうかが客観的に示せるので良い指標だとされる。数値で評価可能な課題を設定することには筆者も賛成である。組織の管理基準として「数値に直せないものは評価対象として認めない」とする会社もあるくらいだ。小学生なら「頑張る」という目標もあるだろうが、会社ではあまり意味がない。頑張らないで実現できた方がいいからだ。そもそも頑張ったかどうかは他人には分からない。客観的で言い訳の余地のない評価をするためにも数値目標は重要である。しかし、それが本当の目標と言えるだろうか。
こう考えてみてほしい。
「その目標を達成したら、あるべき自分の姿を実現したことになるか」
TOEICやMCPは目標が達成できたかどうかの評価項目にはなるが、それ自体が目標ではないことに気付くはずだ。確かに中間目標ではあるだろうが、最終目標ではない。真の目標は「米国の技術会議で内容を理解したい」や「日常的なシステム管理作業を1人でこなせるようになりたい」というもののはずだ。
一般に、数値で評価できるものは最終目標ではない。最終目標とは「自分がなりたいもの」である。たとえば、TOEICの成績は実際には問題ではなく「英語を身につけたい」ことが問題だろう。TOEICは目標達成を評価する手段に過ぎない。順序としては「ありたい自分(最終目標)」を設定し、次に「ありたい自分に近付いたかどうかを評価する基準(中間目標)」を設定し、そのための手順を考えるべきだ。このとき、試験の得点は中間目標の評価基準としては非常に優れているので、積極的に利用しよう。
●なぜ? の嵐(*1)
似たようなことは、日常的に起きている。たとえば、セキュリティ対策では「盗聴を防ぐにはどうしたらよいか」がよく議論される。しかし、実は盗聴されることは問題ではない。盗聴された結果、情報が流出し、競合他社に社内情報が漏れることが問題なのだ(*2)。つまり、盗聴対策は「流出しては困る情報」についてだけ行えばいいし、盗聴以外の対策も必要になることが分かる。
「なぜ」を追求することの重要性は本連載でも何度か指摘している。「なぜ」の追求は、新しい技術を勉強するときだけでなく、あらゆる場面で心がけて欲しい。「なぜ売り上げを伸ばさなければいけないのか(株主が期待しているから)」「なぜTCP/IPの勉強をしないといけないのか(ネットワークのトラブルを解決するために必要だから)」等々。「なぜ」は常にあなたとともにあるようにして欲しい(*3)。
適切な目標を設定するためには、常に「なぜ」と自分に問いかけて欲しい。「なぜTOEICで700点必要なのか」「なぜ資格が必要なのか」。こうした問いに答えられなくなれば、それが最終的な目標であり、そのほかは手段や評価である。
「英語を身につけたい」というものですら最終的な目標ではない。「米国に留学したい」のが目標なら、TOEICではなくTOEFLを受験すべきだし、「旅行先で知り合った人と友だちになりたい」なら英会話学校に通った方がいいかもしれない。さらに「なぜ友だちになりたいのか」も追求する必要があるだろう。こうして最後に「こうありたいと願う自分の姿」が描けるはずだ。この姿を実現することを「自己実現」と呼ぶ。
●自己実現とは
連載22回では「自分のあるべき姿は仕事(*4)を通してしか得られない」という意味で「自分探すな職探せ」と書いた。「自分があるべき姿」を自問すること自体は悪いことではない。むしろ望ましいことだ。
では、仕事を通して見つけた「あるべき姿」に近づくにはどうすれば良いか。ただ思っているだけでは実現しない。かといって、ただ頑張ればいいというものでもない。そこには戦略が必要だ。
マラソンランナーは、スタートからゴールまで全力疾走するわけではない。目標タイムを実現するために、序盤・中盤・終盤、あるいはもっと細かくコースを分割し、それぞれの目標値を設定する。最終目標はレースに勝つことだが、そのためにゴールまでの所要時間を設定し、さらに区間ごとのタイムを設定する。人生の目標設定も同じことだ。
筆者自身にも目標がある。その目標を達成するための中間目標として講習会講師と執筆活動をしている。そして、より深く広い知識を身につけるために、どの技術分野に力を入れるかを決める。講習会後のアンケートや、新しい技術分野での資格試験は、中間目標を達成したかどうかの評価だ。
自分の目標と会社の方針が合わない場合はどうするか。人生の目標とあわない場合は転職するしかないだろう。中間目標が合わなければ職種や部署を変えるだけで済むかもしれない。また、最終目標への経路を変更し、会社の方針と合致するような中間目標にすることもある。100%合致することは難しいので、ある程度の妥協も必要だ。
●目標設定
さて、新人研修の「決意表明」は多分に儀礼的な面がある。何を宣言したか忘れてしまう人も多いに違いない。何を隠そう筆者も何を宣言したかすっかり忘れた。きっと目標を達成したのだろう。そういうことにしておいてほしい。
しかし、人生の目標は、いったん見つけたら忘れることはない。変わることはあるだろう。まだ仕事を始めたばかりの人は大きな目標を設定できていないかもしれない。目標が見つからない人は焦ることはない。今の仕事に全力を尽くすべきだ。そして、いったん目標が見つかったらそれを実現するための中間目標に分解し、中間目標が実現できたかどうかを評価する基準を設けよう。大きな課題を解決するには昔から決まっている戦略がある。
手に負えない問題は分割せよ。
(*1)おニャン子クラブ吉沢秋絵(会員番号25番)のデビュー曲
(*2)顧客の個人情報に関しては、漏洩するだけで行政指導や刑事罰が適用されることがある。
(*3)ヨシュア記1章9節のもじり。
(*4)ここでいう「仕事」は賃金労働のみを意味するわけではない。ボランティア活動でも何でもいい。責任を持って何らかの価値を提供するものは全て「仕事」だ。
■□■Web版のためのあとがき■□■
「自己実現」という言葉が大流行である。これは「本来自分がありたいと思う姿を示現すること」の意味である。自分がありたい姿と、自分の今の姿の差異が大きいと、ストレスが高まる。
最も極端な例は性同一性障害だ。自分は女だと思っているのに、自分は男の姿をしている(または逆)のは精神の健康上よくない。一般的には、自分が思っている方が「本当の自分」とされる。だから一定の条件を満たせば、肉体的には病気ではなくても「治療」を受けることができる。ただし、「治療」が効果を発揮するのは、社会的に要求される性別役割(ジェンダー)と、性的嗜好(セクシャリティ)が一致しており、生物学的な性(セックス)のみが異なる場合に限られる。
松浦理英子の小説「親指Pの修業時代」には、「ジェンダーが女で、セックスが男、そしてセクシャリティは同性愛(女性が好き)」という人物が登場する。「生物学的には男なのだから、女の子を好きになるのは普通だ」と指摘されると「でも、相手の女性には私を女として好きになって欲しいのよ」と反論する。思わず笑ってしまうシーンだが、当人は深刻である。
仕事上での自己実現はこれほど深刻ではないが、重要な問題である。何度か書いたように、自分が本当にしたい仕事は、与えられた仕事に真剣に取り組むことでしか見つからない。真剣に取り組んだ結果、どうしても好きになれないとしたら、仕事を変えるしかない。ところが、仕事に真剣に取り組むには3か月や半年では無理だ。2年や3年はすぐ過ぎる。そして、3年間勤めた職種と違う職種に移るのは決して簡単ではない。若者の焦りはここにあるのだろう。
これに対する答えはない。しかし、1つ言えることがある。人生は若者が考えているよりも長い。筆者が20代のころ、40代の仕事は想像できなかった。IT業界で働くエンジニアの平均年齢は若く、40代には管理職しかいなかったからだ。しかし現在40代の現役エンジニアなんていくらでもいる。50代だって大勢いる。40代になってから専門を変えた人もいる。
職種を変えた人もいる。技術者から営業になった人、あるいはその逆。筆者と同期入社の友人はデータベースのサポートエンジニアからセキュリティ対策ベンダに転職し、数年前に農家になった。音楽家になった人もいるから驚く。いずれも30代から40代での転職だ。
■□■もうひとつのあとがき■□■
このコラムを書いたのはずいぶん前だが、昨年、作家の岡田斗司夫氏のこんな言葉を発見した。高校生のころに付き合っていた女性に言われたという。
岡田君は、なりたいばっかりだなぁ。わたしは、やることばっかりだよ。
筆者は岡田氏の発行する同人誌「岡田斗司夫のひとり夜話」で読んだ。この同人誌はトークライブの内容をまとめたもので、オリジナル映像がWebサイト「オタキングex」で公開されている(ひとり夜話)。
岡田氏は「なりたい」ばっかりの自分を恥じる。確かに「なりたい」だけで夢を実現することはできない。しかし「やる」ための原動力は「なりたい」しかない。最終目標を「なりたい」、中間目標を「やる」に設定するのが効果的だと思う。
コメント
★you★
ブログ拝見しました。
コメントいただきありがとうこざいます。
目標設定がこのような形で紹介されているのを何度も拝見しております。
批判という肯定の意味をこめて、私が6月8日から岡田氏の「中身を設定して行動する」という部分を紹介したいと思います。ネコさんのお役に参考になると幸いです。
ただ、注意してほしい点があり、誤解もあるのでこの部分は譲れませんので記入します。
私の場合、宣言などして周囲を巻き込んでの目標公言はとてつもなく危険です。ダイエットに30キロ成功した祭にも、ダイエット宣言をせず自分の力とレコダイを駆使して成功させましたが、周囲にダイエットしていると宣言した場合、私の自己管理の能力は薄れ、意志の力も弱くなり、ふたたびリバウンドが始まりました。つまり成功しても、しなくとも私には宣言はストレスやプレッシャーとなりうるので極力さけた方がいいという結論です。数値的な解釈も提供できないので、信憑性も客観性もない意見ですが、幼馴染の友達に相談しても「お前は宣言する失敗するが宣言しないと成功する場合が多い」という意見から考えてきづいたものです。
意見をのべるときに周囲に公言できませんが、岡田氏の意見をとりいれてから一つ目標を立てて今も行動しています。ネコさんにお伝えできないので申し訳ありませんがご了承ください。
■まず目標ですが、岡田氏が配信映像でも申し上げているとおり三段階にわけました。三段階に設置し色学生・中学生・高校生という感じで目標設定を少しずつあげていくという段階です。
■一番はじめまの小学生状態のときには自分の足でまずいけるところを網羅しています。中学生の問題をこなすことは事実上不可能なので、まず自分がどの立場であり、どういう能力があるのかを箇条書きにして自分の足で培える場所の選定を行っています。
■中学生の段階では、周囲から一応声がかけられる状態になりうると思いますが、ダイエットの件も考慮してここではまだ公言しません。公言すればするほど、他人からのプレッシャーが強くなりメンタルの弱い私には進んでおこなっていることが苦痛に変わりえます。
■高校の段階で初めて自分がどういう゛状態の努力を展開して、進んでいるのかを周囲に公言したいと思います。自分の作った道ではこのあたりでは、少し慣れてきているので次の展開へも目録もできる状態へと育てる状態です。
かいつまんでの具体的ではありませんがノートを使用して私も今後の活動に使用したいと思います。
残念ですが、知的階層ではないのでこのような駄文でもうしわけありません。
また私のノートは岡田氏の行ったノート術とともに、私独自で発案している自分分析のツールとして「スケジュール+日記」というノートの使い方をしています。これも毎日自分の変化にきずくことのできる楽しいノート術です。
長々と失礼しました。
読んでくださり、またネコさんのように社会で活躍されている方に声をかけていただいたことは、私の一生の思い出となります。
オタキングexでの活動や交流など祈り、筆を置きたいと思います。
PS:メカゴジラの逆襲を見ながら。
横山哲也
長文のコメントありがとうございました。
公言することで、逆にプレッシャーとなるのでしょうか。
そういう場合はニセの目標を公言しておくのもひとつの方法かと思います。
いずれにしても、段階を設定することは重要なようですね。