Windows Serverを中心に、ITプロ向け教育コースを担当

著作権(COPYRIGHT)は何のため

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 1980年代から、ソフトウェアが著作物と認められるようになった。

 初期のソフトウェアは、ハードウェアの付属物で、独立した価値があるとは思われていなかった。大成功したIBMの汎用機System 360のOS(OS/360)の初期版は「パブリックドメイン」、つまり何の権利も存在しなかったため、自由にコピーして利用できた。ハードウェアだけを複製したマシン(IBM互換機)でビジネスができたのは、OS/360を自由に利用できたからである。OS/360の開発は難航し、ソフトウェア工学誕生のきっかけになったにも関わらず、完全に無償だったのは、今の時代では想像できない。もちろん、その後OSは非公開・有償となり(「アンバンドル」と呼ぶ)、後の日立・富士通産業スパイ事件につながる。

 1970年代には、ソフトウェアに「知的所有権」を認めるために、特許権を使うべきか、著作権を使うべきかが議論されたらしい。結局、1980年頃に著作権が採用された。特許権は、排他的な利用を認める代わりに公開が原則で、保護期間も原則20年と短い。一方、著作権は権利設定が自由にできる上、公開の必要もなく(もともと著作権は公開の可否の権利である)、保護期間も50年と長いために採用されたという説がある。

 そもそも著作権(COPYRIGHT)は、複製(Copy)を行なう権利(Right)であり、印刷業者の権利だったらしい。それが著者の権利となったのは、イギリスの、通称「アン法」(1710年)からである。アン法の精神は、現行の著作権規定である「ベルヌ条約」(1887年)にも生きている。

 著作権の目的は(法哲学的には正確でないかもしれないが)、大きく2つある。1つは著作者の財産を守ることで、もう1つは新たな創作を促すことである。著作権があるから、著者は収入を得ることができ、本人が新たな創作を生み出せる。また、著作権保護期間が過ぎれば、ある作品をベースに別の人が新たな創作を生み出せる。

 例えば、2003年に平原綾香氏が「Jupiter」という曲をヒットさせた。これはホルスト(1874-1934年)の管弦楽組曲「惑星」の「木星」をモチーフにしたものであるが、ホルストは楽曲の改変を禁止していたため、著作権保護期間中であれば訴えられた可能性がある。実際には、保護期間中にホルストの楽曲が改変されて公開された例もある上、著作権違反は親告罪なので著作権者の訴えがなければ罪に問われないのだが、ホルスト財団が訴えた曲もあるため、例としてよく紹介される。

 著作権は著者の権利を守るだけではない。多くの場合、著作権は(アン法以前のように)著者ではなく出版社の権利を守るために使われる。実際にはこの方が多いくらいだ。映画の著作権の保護期間が50年から70年に延長されたのは、映画制作会社の利益を守るためだと、多くの人は思っている。

 著作権は自然発生するものなので、特別な契約書で縛らない限りすべての著作権は著者にある。ほとんどの雑誌記事執筆は契約書がない。そのため、編集作業が入る前の原稿に関する権利は100%著者が持つ(編集が入っても、著作権は著者のみにあると考える立場もある)。にも関わらず、既発表作品を別の媒体で出版しようとすると、元の出版社の了解を求められるケースがあるらしい。明らかに過剰反応なので、担当者が無知なのかと思ったら編集部の方針だったと聞いてさらに驚いた(念のため、何人かの出版関係者に聞いてみたが私と同じ感想だった)。

 それでも文章の著作権はまだマシな方である。音楽著作権は管理が面倒なので、JASRACなどの著作権管理団体に委託することが多い。しかし、そうすると自分の著作物も自分で自由にできなくなる。たとえば、フュージョンバンド「カシオペア」のキーボード奏者として知られる向谷実(むかいやみのる)氏は、一部音源に関しては個人が非営利でWeb公開することを自由に認めていたが、JASRACとの契約に伴い申告制となった(向谷倶楽部の音源の使用に関して(2011年8月24日改訂))。利用料金は向谷氏がいったんJASRACに支払うそうである。何とも無駄な話だが、事務手続き上はその方が簡単なのだろう。

 では、ソフトウェアはどうだろう。ソフトウェアは、創作物としての側面と、工業製品としての側面を持つ。そして、ソフトウェア産業全体として見ると、工業製品としての意味が強い。そのため、多くのソフトウェアは、著作物である「ソースコード」が公開されず、複製も制限されている。著作物が公開されなければ、その著作をベースに新たな創作が生まれる余地もない。

 こうした状況を憂い、R. M. ストールマンが提唱したのが「Copyleft」であり、ライセンス体系「GPL(Gnu Public License)」である。著作権(Copyright)は、著者が著作物の扱いを自由に設定できる権利である。一般には複製する権利者を特定の出版社に与え、価格を維持することで収入を確保するために使うが、逆に「自由に複製・流通させなければならない」(正確には「流通を妨げてはいけない」)という権利を主張することで、ソフトウェアの発展を図った。copyleftのleftは、もちろんright(権利・右)に引っかけてleft(保持・左)としたものである。

 ストールマンのCopyleftは、ソフトウェアの進歩に対する政治的主張が見られる。ここから政治的主張を薄め、ビジネス分野にも受け入れやすくしたのが「オープンソース」運動である。ストールマンはオープンソースの祖とも言われているが、ストールマンとオープンソース陣営が、お互いに一定の距離を置いているのは思想の違いからである。

 さて、実はここまでが前置きである。前回「クラウドのリスク」で紹介した通り、Webサイト「Computer World」がなくなっている。そして、ありがたいことに、何人かからComputer Worldで連載していたコラムをもう一度読みたいという声をいただいている。そこで、次回から、この場を借りて再公開しようと思う。ただし、そのまま公開するのも芸がないので、加筆や修正は行うつもりである。

 雑誌の習慣にならい、Computer Worldとは正式な契約書はない。米国本社は「執筆時の契約が有効」という見解なので、自然発生した著作権がそのまま何の制約もなく適用される。安心して再利用できる状況が確認できたので、もう少し頻度を上げて公開していきたい。

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