地方エンジニアが感じる地方・中小企業での悩み

一人のエースよりも多くの凡庸

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 Brilliant Jarks な問題と呼ばれるものがあります。簡単に言えば腕があるけどその振る舞いには問題がある同僚のことです。一昔であれば、多少振る舞いに問題があってもその分結果を残せているのであれば、目をつむられていたと思われる話題です。

 以前においては能力が高いエース級の人材であれば、最終的に結果を出すことができる事もあり世間的にも許されていました。実際に、一人の有能な人がいた場合、その人が生み出す結果は確かにすごいもので、純粋に良い成果物であることが多いです。

 しかし時代は変わり、今のご時世では一人の問題ある有能な人よりも、突出していなくても周囲とうまく共同作業ができる人を求められるようになりました。これには様々な状況の変化があると考えます。

 その一つには、一人で対応できる範囲では今のご時世で求められるものが作成できなくなった、何かを作り上げるにあたり必要となる技術が広範囲に求められることになったというのがあるのではないでしょうか。スタンドアロンがサーバークライアントになり、多層なコンポーネントで構築するのを経由して、サーバレスなどのクラウドアーキテクチャの世界へと今はたどり着いています。また、小規模であればまだしも今求められるものの規模はますます大規模へと変化してきています。小規模なシステムであれば、以前よりも素早く簡単に構築できる技術も増えてきていますので、この部分では問題のある有能な人は必要なくなっています。

 大規模に対応できる腕前があり振る舞いに問題のある人は、まだまだ需要があるかもしれません。ただそれでも、現在の開発体制はチーム制が主体なのもあり、優れた個よりも凡庸な集団が優遇され、またその方がより良い結果にたどり着くことが多いとも言われています。これはやはり、一人で賄える量では今のご時世に対応できにくくなってきたからではないでしょうか。

 戦術的な用途として、一時的にでも瞬発力を高めたいときに問題があるけど能力の高い人を投入することはあります。投入時点ではその能力に比例した結果を次々と生み出すメリットがあるためですが、時間が経過するにつれデメリットである周囲への悪影響が大きくなります。多くの案件では、開発して終わりではなく運用開始してようやくスタートラインに立った状態です。長い目で見ると、チームとしてよい方向に活動できるようにすることが、最もメリットが大きいと考えられるのも当然のことです。

 この流れですが、しばらくは継続するのではないかと私は考えています。恐らくこれが覆るとすれば、技術がさらに進歩してもっと単純に簡単に今までと同じことができるようになる、そして知らなくても良いことが増えてきたときに、昔と同じく腕前重視となることがありえるかもと思います。そこまで時代が進めば話は変わりますが、それはおそらくまだまだ先の未来です。

 あまり先のことばかり考えるのは、それほど良いことではありません。極々たまに時代が追い付いたといわれるような場面もありますが、そのような場面に自分が関われることは本当に奇跡のような確率です。それであれば、今の流れに合った形のチーム制において、どう向き合っていくことがよいのか、その点を考えてみる必要があると思います。恐らくそれは、他人から自分のことを優れた人と見られることよりも、自分が関わったチームが素晴らしいと認められることのほうが、より高い価値を出せているのではないでしょうか。

 おひとり様案件として黙々と開発を続けていることもありますが、少し視点を変えると開発以外では多くの人が関わっているチームです。私自身はこのような考え方をしていますし、お世辞にも能力が高いとはいえない凡庸なエンジニアです。そうであるからこそ、なおさらチームとしてよい結果を出せるよう色々考えて動いていきたいと思います。

Comment(1)

コメント

山無駄

Jerksは確かに問題ですが、企業に異能は必要不可欠です。特に体力のない中小企業は、凡庸の集まりでしかないとイノベーションを起せず、やがて衰退してしまいます。なので一人のエース(異能)と多くの凡庸、というところでしょうか。

でも、凡庸と思われる人たちも、一人一人をちゃんとみていけばBrilliantな部分とJerksな面があります。そのBrilliantな部分を生かして、多くの凡庸を多くのエースに変えてゆくことがマネジメントの役割ではないかと。

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