地方エンジニアが感じる地方・中小企業での悩み

他の意見に感じるストレス

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 何気なく会話している中で、たまに主語が大きい話をする人がいます。私もあまり大きなことは言えないのですが、日本人はとか男性は女性はとか、そうそう簡単にまとめるっことができないほど、多様性に溢れているものも何かとひとくくりにしてしまう人がいます。

 ご存知の通り世の中のあらゆることは、そんな単純ではなくもっと複雑にたくさんのケースが存在しています。例えばエンジニアと言っても様々で、プログラマー的な人アーキテクトな人、または色々な領域をマルチにこなす人など、数多くの人がいます。そういった背景を感じていると、エンジニアは〇〇だ~、といった主張は、そのほとんどがある一部を指しているだけにすぎず、主語の大きさと噛み合わない内容です。

 プライベートか仕事の場かに関わらず、このように一部しか知らないのに全てを知ったかのように振舞える人を見かける人も多いでしょう。そのような人は、自分の考えに必要以上の自信を持っていることも多いので、なおのこと私には合わない性格です。

 似たような言葉ですと、普通とかみんなとかが同じように当てはまると思います。ここは私の性格の問題と思いますが、どうしてもそれが本当に普通なのか、本当に皆が感じているのかを示すことは不可能なので、この単語を使われるだけで話半分にしか聞くことができません。普通こうだよね、と言われると反射的に、いや違うね、と思ってしまうのです。

 そのような心情もあり、私が話したり書いたりする言葉では、普通とか一般的とか、そういった広い範囲を表す単語はなるべく利用しないように心掛けているつもりです。それと話す言葉はあくまでも私個人の考えである、その点は気を付けるようにしています。時々注意していても外れた形となることもありますが、ここでのコラムを含め私個人が思うこと、というのを徹底するようにしています。

 本来はなにがしかの意見もこのように、一個人の考えでしかないので、広い範囲を示す言葉を使っていても、伝えたいことはそうでないのかも知れません。ですが、知っている相手の言葉ならともかく、知らない相手に対してそこまで読み取ることは単純に面倒です。それであれば、ふーん、と思ってスルーしてしまうのが良いと思っています。

 恐らくですが、どのような経験を積んだ人であっても、本当の意味で業界全てを知るようなことは不可能だと感じています。広く知っているように思えても、その人が見てきた世界に、私が見てきた世界が含まれているとは限りません。実は調べてみると、私が考えている方が多数派であるかもしれないのです。しかしそれを本当に調べるには、非常に多くの時間も必要ですしそこまでする意義もあまりありません。そう考えると、どのような相手の意見であったとしても、ただの一つの意見とし受け止め付き合うことが重要なのではないでしょうか。

 正しいか正しくないか、そこは数学などの世界な話題でなければ明確な回答は出ません。十人十色と言われるように、色々な人がいて色々な考え方がある、たまたま今まで目にしてきたことがそうであっただけで、世の中が本当にそうであるかは誰にもわからないのです。

 それであるならば、最初から正解はわからないものとして、多くの意見の中から自分が共感できるものを採用していくことが、精神的にも負担が少ない考え方ではないでしょうか。考え方が合わない違憲と出会ったとして、それは決して間違っているのではなく自分の思想と合わないだけ、そう思うことができれば余計な衝突や苛々に悩まされることも減るのではないでしょうか。

 多くの情報や思想と触れることが多い今のご時世ですから、そこから感じ取るストレスもまた非常に大きなものとなります。それならば、できるだけ負担の少ない付き合い方をすることで、一時の流れに身を任せるようなことも減り、より深く物事と向き合っていける、そのように私は考えます。

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