目で見ることと手を動かすこと
まだプログラムを書くことに慣れていなかった時代、できることと言えばとにかく手を動かす、たくさんコードを打ち込むことだけが理解するためにできることでした。今では写経とも呼ばれる行為ですが、今の時代になってそれを行わない人も増えてきています。Google などで検索すれば、技術的に悩んでいることに対する答えがすぐにでも見つかる今のご時世、昔ほど手を動かさなくとも理解できたように感じやすくなっているのでしょう。
確かに今では多くのことに対して、検索することで答えもしくはそれに近いものが手に入ります。ですがそれだけで理解した気になるということには、非常に危険が潜んでいます。
何につけてもそうだと思いますが、知っていることとできることには大きな差があります。知識としてだけ身に着けている状態は、まだ最初の一歩を踏み出したばかりのようなもので、技術として用いることは難しい状態です。実際に手を動かしてみて初めて身につくことというのは、今の時代になっても変わらずあり、それは IT に限ったことでもないでしょう。どのような事にしても、実際にできる人というのは、たくさんの時間をそこにかけてきているのです。
しかし Web 技術が発達したことと引き換えに、実際に手を動かすというのを軽視している人が増えてきているのかも知れません。同じ事柄に対して、数多くの文章を目にすることで、理解できたと錯覚を起こしやすくなります。自身の引き出しを増やすという点では非常に有用ですが、技術を身に着けるという点ではむしろ悪い方向へと働きやすいのが技術の発展で得たもの失ったもの、とも考えられます。
考えてみると、キーボードを利用し文章を作成する事が一般的になり、多くの漢字が書けなくなった人も多いのではないでしょうか。昔に慣れ親しんでいたものであっても、しばらくの間体を動かしていなければ、できたこともできなくなります。ペンで文字を書くことで字を覚え、キーボードでコードを書くことでプログラムを覚えているためなのか、道具を変えてしまうとその経験が薄れていくのかも知れません。キーボードで文字を打っていても漢字を忘れ、コードを眺めるだけではプログラムを書けなくなるのは、私も実際に経験しているのもありそれほど外れていないとも考えられます。
もしかするとさらに時代が進めば、キーボードで文字を打たないと字を忘れるように変化していくのかも知れません。覚えるために利用した道具と同じでなければ忘れていく、そのような事も起こるのかもしれません。ただ共通しているのは、目で見ているだけでは身につくことはない、というところではないでしょうか。
私を含めた開発者に求められているのは、身に着けた技術でユーザーのためになるものを作り上げることです。そのためにも、実際に手を動かして覚える時間は必ず必要です。昔とは比べるまでもなく、できたほうが良い技術というのは増えています。それだけ手を動かすことを行わなくてはならないのですが、かけられる時間には限りがあります。何に対して実際に取り組むのが良いかを、考えて実行する必要が付きまといます。
このように書くと、選択を誤るとその後全てに影響する重要な事に感じられるかもしれません。ですが将来どうなるか、どの技術が流行るかなんてものは予想ができても正答を思いつくことはほぼほぼありません。であれば、何も考えずに自分が気に入ったものを突き詰めていくのが、今のご時世には最も適した選択なのではないでしょうか。
反面、手を動かさずに目で見ただけの人の場合、それらしいことをいう事はできるでしょうが、そこから感じるものに重さを感じることは少ないです。たまたま自分がほとんど何も知らない分野の話題でもなければ、なにか軽いんだよな、というイメージを持たれることが殆どになります。言葉にできない違和感を感じる、そういったこともあります。
私は勉強会などの場で、自分のしてきたことを話すことがありますが、そこではやはり今までにやってきた経験があるからこそ、話すことができていると思えます。知っていることを伝えるだけの場面であれば、目で見たものを伝えるだけで事足りるでしょうが、体験したことを伝えるのであれば相手に届かない言葉になってしまいます。それは話す方として本意ではありません。
自分の身につけるためにも、気になった事柄に対しては常に手を動かすことで、ありきたりな言葉ですがそれが自分の血肉にもなります。薄っぺらい言葉だけとならないよう、目で見るだけではなく、常に手を動かしていきたいものです。