言葉が導く誤ったイメージ
IT 業界では、「上流」や「下流」と言った言葉で表す工程があります。上流工程では要件定義などを行い、下流工程では実装やテストを行うといった感じで用いられることが多いのですが、これらの言葉には、誤ったイメージが今もつきまとっているように思えます。
その最たるものが「上流工程は、能力的に優れている人間が担当する」というところではないでしょうか。
もともと、これらの言葉は、ウォーターフォールモデルにおける工程を踏まえた形で用いられています。作業工程には順番があり、先に行う必要のある要件定義や基本設計などを「上流」とし、プロジェクトの後半に行われる実装作業やテストを「下流」と表すものです。ここまでは特に誤りはなく、適した表現だと思います。ですが、ここに「SEはプログラマの上級職」という間違った思想がまじることで、おかしなイメージをつきまとわせているのではないでしょうか。
過去のコラムでも少し書きましたが、プログラマが育つことでSEになる、という考え方自体を私は賛同していません。
なれるかもしれないし、なれないかもしれない、その人その人の特性がプログラマに適しているかSEに適しているかが重要な点であり、一般社員がある程度年数を務めて主任などの職位に上がるようなものとは、位置づけが異なるのだと思います。
プログラマに求められる能力とSEに求められる能力は別物で、どちらが上でどちらが下、という考え方自体が根本的に間違っています。今の時代、プログラムができないSEは非常にたくさん存在しますし、SEもできるプログラマも同じくらいたくさん存在します。
携わる案件の規模にも影響しますが、小規模なプロジェクトではSEもプログラマもあまり分けずに開発を行う場合も多々あります。他にも商売上の理由でSEと記述することもあります。このような状況を見ると、そもそもプログラマとSEを分けて考えること自体が不毛で、すべてをひっくるめた形として「エンジニア」で統一してしまってもいいのではないか、とも思います。
そうなると、難しくなるのが「評価」です。現在はプログラマやSEといった職種をある種の職位としても考え、プログラマなら単価はこれぐらい、SEなら単価はもう少し乗せて、というようにされている企業が多いのではないか、と思います。
この方法に近い形で、内部での評価も行われている場合が多いです。プログラマなので給与はこのぐらい、SE になったのでもう少し給料を上げる、などです。人材の適切な評価は非常に難しい問題なので、言うは易し行うは難し、そのものです。しかし、現在、多くの企業で用いられているこの方法は、能力に基づいたものではなくそれ以外の要素で評価を行っている、というのは疑う余地がないのではないでしょうか。年功序列な思想を否定するわけではありませんが、それに見合う実力を発揮されないのであれば、疑問を抱かざるを得ません。
年齢を重ね、多くの経験を積んできたのだからSE としての作業ができるか? と言われれば「必ずしもそうではない」、経験を重ねた人の方針に従えば大丈夫か? と聞かれても「必ずしもそうではない」となります。年齢も経験も、すべてのケースに有用に作用するかどうかは良違いには言いきれません。
しかし、年齢や経験に過剰な期待や信頼を寄せてしまうことは、どうしても避けられないでしょう。確率的に考えると、よほど目新しいことを行わないのであれば、今までの経験を有用に生かすことができるはず、と考えることが多く、事実それらはあまり間違ってはいないことが多いです。だからといって、本当にイメージしたどおり経験の高い人が属しているので安定した開発を行えるかとなると、まったくもってそうではないケースが増えてきているようです。
このように考えていくと、「上流工程を担当する人は能力が優れている」という考え方は実態を正しく表していないことが分かると思います。
上流工程を行う人は、概要レベルから考え、システムの基本設計として落とし込む、そのような分野に秀でた人、であるはずなのです。「はず」と濁った言い方をしなくてはならないのは心苦しいですが、残念ながらそのようなケースは数多くあります。この問題を良い方向に進めるためには、ユーザー側から今よりもっと多く指摘をしてもらう必要があるのではないか、と思うほどです。外部からの圧力は、改善を進めるために非常に効果的です。問題がないのに圧力をかけるのは感心できませんが、あまりに問題と思える場合には、ぜひとも圧力をかけていただきたいものです。
言葉から受ける誤ったイメージは、他にもいろいろあると思います。イメージに惑わされず、常に考え、本質を見誤らないようにしていきたいものです。
今回は、よく話題に上る上流・下流を例にしましたが、他にも同じように惑わされる言葉というのが、いたるところに潜んでいるので、注意が必要です。自分で調べてみる、自分で考えてみる姿勢は、これからますます重要になるのではないでしょうか。