あなたは何を求められていますか
唐突ですが、あなたは周囲からどのようなものを求められているか、考えたことはありますか?
技術者として、多種多様な技術に精通することでしょうか。勤務先が得意とする業種に精通して、その道のプロフェッショナルとなることでしょうか。はたまた、広く浅く対応できるよう対応力を磨いてほしいのでしょうか。
会社によって、またその企業が保有している人材によって、求められるものは変わります。技術者が揃っている環境で、さらに技術者を求められるのは、なかなか稀だと思います。その会社で不足している領域、もしくは増強したいと考えられている領域をカバーできるよう求められる場合が多いのではないでしょうか。
例えば、わたしの勤務先ではどちらかというと、ある程度広い領域をカバーできる人材が求められています。現有しているリソースとしてベテラン層が多いので「尖った」開発者を求めるかとも思いましたが、実際はそうでもなかった様子です。
そのような環境では、例えプログラムを組む技術にものすごく長けていたとしても、あまり正当な評価が下されることは少ないと思います。反対に、プログラムを組むことよりも実際にユーザー先へと赴いて要件定義やサポートなどが行える人材の方が、より評価されることになります。
このこと自体はまったく問題ではありません。企業としては、至極当然なことだと思います。企業が求めるスキルと企業に提供するスキルが一致する場合が、最も評価を高くするのは当然です。仮に自分が経営者の立場であれば、と考えることにより理解、納得ができるのではないでしょうか。
これはある種の真理みたいなものですので、そこに不満をいうことは間違っていると思います。自分の能力を正しく評価されていないと感じる場合、よくよく考えてみると企業側が求めているものを提供できていなかった、ということはかなりあります。
もちろん、本当に正当な評価がなされていないケースもありますので一緒くたに言い切ることはできないでしょうが、そのような企業は遅かれ早かれ何かしらの問題を起こし、衰退していくでしょう。最も発生しやすいのは、人材の流出だと思います。正当な評価が望めない環境に対して、そこに留まろうと思い続ける人はそれほど多くはありません。
現状に不満をもつのはかまいません。それ自体は問題のない、むしろ人間として健全な状態だと思います。ですが、大切なのは不満を持つだけで終わりにするのではなく、その不満を解消するにはどうすればよいのか、このことについてじっくりと考えて行動することなのだと思います。
改めて考えてみることにより、自分が抱いているイメージと会社が求めているものとのギャップに気づくことができるかもしれません。
それでも、自分は自分の望む道で突き進みたい、そう考えられる方もいるかと思います。しかしそれは平坦な道ではありません。自分を貫き通すためには、周囲を納得させるだけの実力が最低限必要です。求められているレベル以上の実力を備えてこそ、会社の方針に従わなくとも認められる、ある意味の“わがまま”を通すことができるのだと思います。
そのレベルに達してもいないのに、自分がやりたいことだけをやるというのは決して良いことではありません。会社のため、だけではなく、自分自身のためにも良くありません。結果を残していない状態で、わがままが許されるのは、いい換えると自分を甘やかしているだけなのです。給与をもらう立場、払う立場に関わらず、労働を行って結果を残すことは、プロとして最低限守るべき一線なのだと、わたしは思います。
そうはいっても、どのようにして周囲に認められれば良いのか分からない、そう考える方もいるでしょう。そのようなときには、自分をプロデュース、またはセールスを行うことを考えてみてください。
もし社内の同僚や上司がユーザーだとしたら、どうすることで「自分」という商品を使ってもらえるか、またはどうなっていれば使ってもらえるか。いまの社内の状況や世の中の状態を考えると、どうあれば他よりも使ってもらえるか。そのような視点から考えてみると、今の自分に不足している部分や伸ばすべき部分も見えてくるのではないでしょうか。
「プログラマだから、ITエンジニアだから、これだけできればよい」。そのような時代はもう過ぎていると思います。今までの積み重ね+αで、または今までとはまったく異なる部分で、自分という1つの商品を売り出せられるようになれば、自ずと目指したい道を進み続けることができるようになると思います。
これは、決して新入社員をはじめとする若い世代だけの話ではありません。ベテランであろうと同じことです。むしろベテランであるならばこそ、さらに技術を、知識を、コミュニケーション力を身につけていかなければならないのではないでしょうか。
コメント
沖田 十三
>「こんなにプログラミングをがんばっているのに、なぜ会社は評価しないのか」と不満を抱くのではなく、「違いはどこにあるのか。自分は何を求められているのか」と考える方がよい、とAhf氏は語る。
評価してるのは会社では無く、上司の個人的主観によるものが殆どです。
そこに客観性は無く、上司の人格、部下への好き嫌いで
評価は180度変わってしまうものです。
他人というものは人のことはなかなか認めないのが普通です。
さらに上司は部下に対し、権力的に優位な立場にあるため、多くは
職権を悪用するという形で、評価にも現れてしまうものです。
したがって上司の評価ではなく、自分自身が自分自身を客観的に評価すべきです。
> 「自分がやりたいことをやりたい」という人は、周囲を納得させるだけの実力が最低限必要だ。結果を出していない状態で、自分のわがままを通そうとするのは、甘えでしかない。
会社全体の利益になるものであり、それを自分のやりたいことであれば、
何ら問題なく、本来、そうした前向きの努力姿勢は評価されるべきです。
それは自分のわがままと考えるのは考え方の正確さ、健全性について疑問が
あります。
沖田 十三
>もちろん、本当に正当な評価がなされていないケースもありますので一緒くたに
>言い切ることはできないでしょうが、そのような企業は遅かれ早かれ何かしらの
>問題を起こし、衰退していくでしょう。
筆者に教えて欲しいのですが、社員を正当に評価できるシステムが正しく機能して
いる会社とはどこの企業でしょうか?
ぜひその健全な会社の社名を教えてください。
少なくとも私の知る限り、そのような優れた企業倫理を持つ会社や組織は存在しません。
ほとんどの企業は比較的短い年数で廃業・倒産しています。
企業というものは程度の差こそあれ、生まれながらにして経営者は悪の精神を持
っており、有名な企業でもその隠された裏側には巨悪と欺瞞があるものです。
こうした社会背景で、会社が求めている仕事をして、評価を得るという議論の前提条件が存在しないと考えられませんか?
Ahf
沖田 十三さんコメントありがとうございます。
>他人というものは人のことはなかなか認めないのが普通です。
これはよく解ります。他人を認めるというのは、直接的な影響があればあるほど認めたくはなくなりますね。
>したがって上司の評価ではなく、自分自身が自分自身を客観的に評価すべきです。
自分自身で評価する、というのは今回のテーマから外れた部分においても必要だと感じています。上司の評価はその企業に籍を置く限りは関連してくるものですが、自己評価は企業にいようといなかろうと必要だと考えます。
>筆者に教えて欲しいのですが、社員を正当に評価できるシステムが正しく
>機能している会社とはどこの企業でしょうか?
これは非常に難しいですね。私もそれほど多くの企業を目にしてきているとは言い難いですので、実際の社名となると公表はできません。
ただ、感覚的なものも含めて次のように考えています。
・ある程度以上の規模を持つ大、中小企業ではシステムとして機能は難しい
・数人~数十人程度の小規模になるほどシステムは機能しやすくなる「可能性がある」
極論してしまえば沖田 十三さんの言われる通り、企業という形である以上は何らかの問題を抱えてしまっていると思います。それが悪か、善かは個人的主観によるところが大きいので一概に悪と決めつけることはできない、と私は考えています。
私が悪だと思うことが他の方にとっても同じく悪かと言われると、必ずしもそうであるという事は立証できません。
従ってここで言う「正当な」という基準自体、どうしても個人的価値観が含まれるのは避けて通れないのだと思います。どのようにしても個人的価値観により全員が納得できる評価基準というのは成立するのは難しいでしょう。大企業など社員数が増えれば増えるほど、成立する可能性というのは減少すると考えます。
では少しでも可能性があがるのは、となると社員数が少ない環境になるのではないでしょうか。人数が少なくなれば、その分価値観が共有できる可能性も増大します。そのような環境であれば、「会社が求める仕事を行い評価を得る」事は可能だと考えます。
このように私は考えていますので、議論の前提条件は成り立つと考えています。
どうでしょうか?
沖田 十三
現在のデフレと物価高が同居する経済失速、負のスパイラルはとまりません。
会社に頼って定年まで勤められる時代はとっくに終わっているのです。
会社の構造は、社員の稼いだお金を上位陣がほとんどを搾取する構造で成り立っています。
企業は本質的には悪なのです。
そのような悪人たちに、認められようは甘いです。どんなに成果を出しても利用され捨てられるるだけです。
また、このまま少子化が進めば、日本経済全体も崩壊していくのは確実です。
日本政府が溜め込んだ巨額の負債がいつ爆発するか、これから見ものです。
私たちは皆、職を失い、乞食になるか、飢え死にするか・・・
これからは自分で生計を立てることを考えないと自分も家族も支えられません。