Windows Serverを中心に、ITプロ向け教育コースを担当

雇われないで生きるには

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 月刊「Windows Server World」の連載コラム「IT嫌いはまだ早い」の編集前原稿です。もし、このコラムを読んで面白いと思ったら、ぜひバックナンバー(2008年3月号)をお求めください。もっと面白いはずです。

 なお、本文中の情報は原則として連載当時のものですのでご了承ください。

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 3月は卒業シーズン、そして4月は就職シーズンである。一昔前なら、就職とは正社員として雇われることだった。しかし、労働形態が多様化し、就職できても正社員とは限らない。今月は、IT業界の就労事情について考える。

●消防署の方から来ました

 現在のIT業界は高度に専門化されており、1社で顧客のすべての要求に応えることは難しい。そのため、他社と契約して業務委託を行うことが多い。「餅は餅屋」である。ところが「委託したと思われたくない」と思う人もいるらしい。例えば筆者は、身分を偽って仕事をするように要求されたことが何度かある。

 以前にも触れたが、筆者が勤めている会社(グローバルナレッジネットワーク)は、旧ディジタル・イクイップメント・コーポレーション(DEC)の教育部門が売却されてできた会社である(DECは後にコンパックに買収され、コンパックはHPに買収された)。売却時の契約により、DECは一定期間、社外教育を行えなかったので、グローバルナレッジネットワークが教育コースの提供を行うことになった。

 ところが、DECの営業担当者は「あくまでもDEC社員として客先を訪問してほしい」と言い張った。顧客との名刺交換も禁じられた。じゃあ「DECの方から来ました」とでも言えばいいのだろうか。これでは「消防署の方(方角)から来ました」という消火器詐欺のようだ。結局、筆者ではなく別の者が行ったのだが、もし筆者が行って筆者の顔を知っている人がいたらどうなっていたのだろう。「転職した」という噂が広まっていたかもしれない。

●独立請負業者

 下請けとか外注という言葉には、あまりいい意味が感じられない。単純作業しかできず、レベルの低い作業をやっていると思われる。もちろん、本来はそういう意味はないのだが、誤解している人は案外多い。DECの営業担当者は、顧客に「外注業者が訪問した」と思われたくなかったのだろうか。だとしたら、差別意識があるのはDECの営業担当者の方である。適材適所で多くの組織に委託することは、悪いことではない。

 IT業界に限らず、最近の職場では、正社員のほかに契約社員や派遣社員、業務委託契約を結んだ他社の人が混じっている。同じ会社で同じ仕事をするなら、契約形態に寄らず「社員」を名乗っていいように思うが、そう考えていない人は多い。

 顧客の意識にも問題がある。1つの仕事を依頼したとき、チームの中に複数の会社の人が混じっているのは、あまりいい気がしないという。

 「教育サービスはすべてグローバルナレッジネットワークに委託しています」というのは(まだ)よくても「今日の講師は正社員、昨日はA社の社員、明日はフリーのトレーナー」というのはよくないらしいのだ。

 やむを得ず、チーム全員に同じ会社の名刺を用意し、同じ会社の社員として仕事をすることになる。もちろん、業務委託契約を結び、その中に名刺使用のガイドラインも定めている。しかし、最近は、正社員と完全に同じ名刺を使うのではなく、業務委託されていることが分かる名刺の方がよいという意見が強くなっている(法的な規制もできた)。

 ところで、米国ではこうした問題はあまりないらしい。もともと、独立して仕事を受ける「プロフェッショナル」が多いため、同じチームに複数の会社の人がいても違和感がないというのだ。A社の仕事をするときは「A社の仕事を請け負ったXXXです」と自己紹介するだけだ。

 業務ごとに個人で契約する労働形態を「インディペンデント・コントラクター(IC:独立請負業者)」と呼ぶ。特定非営利活動法人インディペンデント・コントラクター協会では、ICを以下のように定義している。

期限付きで専門性の高い仕事を請け負い、雇用契約ではなく業務単位の請負契約を複数の企業と結んで活動する独立・自立した個人のことをインディペンデント・コントラクター(IC=独立業務請負人)と呼んでいます。雇う企業から見ると「必要な時に必要なだけ」専門性の高い領域をコミットし業務を遂行するICを活用することにより、確実にプロジェクトを成功に導き、かつコスト面でもメリットが高いと思われます。

 ICというと、弁護士や医師、会計士のようなイメージが強いが、最近ではあらゆる業種に及ぶ。例えば、前のコラムで紹介した木原浩勝氏の本業は作家であるが、書籍や食玩の企画ブレーンとして活躍している。IT業界では、トレーナーやWebサイト構築、プログラマなどが多い。ICを支援する組織もある(例えばここ)。

 ICは雇用された社員ではない。多くのICが会社組織を作って活動しているが、事業家ではない。事業家には業務拡大が求められるが、ICにとって業務拡大は最重要課題ではない。

 多くのエンジニアは事業拡大に関心がない。自分が決めた規模で事業を継続できるICはエンジニアにとってかなり魅力的である。優秀なエンジニアがマネージャになったとたんに能力を発揮できなくなるケースは多い。「人は無能になるまで出世する」(ピーターの法則)と言うが(*1)、マネージャに求められる能力とエンジニアに求められる能力は違う。ICでは管理者としての仕事を最小限に抑えられる。

 ITエンジニアの寿命は、かつて30歳と言われ、その後35歳になった。周囲を見ていると、この年齢はまだまだ延びている。筆者は45歳だし、米国では50歳代のプログラマもざらにいる。30代まで会社でスキルを磨き、マネージャになる前にICになったとしても、まだまだ職業人生をまっとうできる。

●しかし独立は慎重に

 このようにICは魅力的な職業スタイルである。しかし、安易な独立は危険である。最近は、労働コストを抑えるために非正社員の利用を進めている企業が多い。

 調子がいいときは、ICとして得られる報酬は、社員として得られるものよりもずっと多いのが普通である。しかし、それが永久に続く保証はない。特に、現在の勤務先との契約は慎重に行いたい。

 最初にいい条件を出しておいて退職させ、その後に安い価格で買いたたく会社もあるという。悪意はなくても、業績悪化により急に仕事がキャンセルされる可能性もある。独立する前に、何社か訪ねて仕事をもらえる可能性があるかどうかを調査しておくべきだ。

 近年の労働市場は劇的に変化している。「自由な働き方」として持ち上げられたフリーターはネットカフェ難民となり、ホームレスに近い状態の人までいる。最低賃金の保証や有給休暇の確保など、フリーターの要求は19世紀の工場労働者のようである。

 しかし、既存の労働組合はフリーターを排除していることが多く、集団交渉の場もない。最近、やっと組織化の動きが出ているが、まだまだ成果は出ていない。

 ICといっても、保証はフリーターと変わらない。十分に計画を立ててから独立しよう。特に、上司や同僚とは良好な関係を維持したいものだ。また、高い技術を身に付けることはもちろんだが、それを客観的に証明することも考えておきたい。資格を取ることもその1つだ。社外コミュニティ活動に力を入れるのもよい。

 現在、多くの会社の就業規則に兼業禁止規定が存在する。しかし、兼業禁止規定を原則無効にするという動きもあるようだ。一見いい話だが、兼業禁止が無効になると、会社は兼業を前提に給与を引き下げる可能性もある。

 兼業といっても2社に就職するのは現実的ではないだろうから、ICのような形で週末や休日に仕事をすることになるだろう。つまり、ICとしてのスキルがないと、現在の給与を維持することができなくなる可能性がある。正社員といえども安心できない。実にやりにくい社会になったものである。

 こうした社会を、エンジニアとして生き抜くにはどうすればいいか。それは、何度も指摘しているとおり、「ほかを圧倒する技術力」しかない。会社員であろうとICであろうと、個人の価値を高めることができれば、「下請け」と見なされなくなる。冒頭で紹介したような「身分を偽装せよ」という要求もなくなるだろう。

 英語で芸術を意味するartの語源はラテン語のars(アルス)で、ギリシャ語のtechne(テクネ)の訳である。そして、techneは「技術」を意味するtechnicの語源でもある。そう思うと、エンジニアにとって、この言葉が身に染みる。

芸は身を助ける

(*1)能力主義の階層社会において、人間は能力の極限まで出世する。すると、有能な平構成員も無能な中間管理職になる。つまり、こういうことだ。ピーターは仕事ができるので係長になった。係長の仕事はそれまでの仕事と少し違ったが、頑張ったら評価されて課長になった。課長の仕事はいままで経験したことがなかったが、それでも頑張って部長に抜擢された。ところが、部長の仕事はピーターに合わず、無能力者の烙印を押されてしまい、出世が止まる。

■□■Web版のためのあとがき■□■

 20年以上前、筆者の知人である中国人は、大学の教師をしながら日本の商社でアルバイトをしていた。出張で日本に来ることもあった。問題はないのかと聞くと、中国には兼業禁止規定がないのだという。「第2職業」と呼ぶそうだ。第2職業のための無給休暇も簡単に取れるらしい(さすがに有給ではない)。

 そういえば、北京に行ったとき、旅行会社を通して雇ったガイドも本職は教師だった。どうも中国の習慣はよく分からない。一種のICなのだろうか?

 そういえば、白タクらしきタクシーも、要求すれば領収書をくれた。あれは白タクだったのだろうか、それとも本物のタクシーだったのだろうか。買い物に行けば、在庫を探しもせずに「没有(メイヨウ)」つまり「ないよ」と言われ、およそサービスという概念がなかったことも覚えている。

 その後、中国は大きく変化し、10年ほど前に訪問したときは普通の国になっていた。白タクはいないし、商店では愛想がいい。欲しいものは面倒がらずに調べてくれる。その代償として失ったものもあるだろうが、観光しやすい国にはなっていた。

 ところで、話はまったく変わるが、筆者の学位は「M.A.(Master of Arts)」だ。英語版Wikipediaによると、M.A.は、芸術、人文科学・社会科学・工学に対する修士号を意味する。特に工学を意味する場合は「Master of Arts in Theology」のように表記する場合もあるらしい。

 Master of Technologyという表現もあるそうだが、筆者の学位授与書には確かに「Master of Arts」と書いてあった。実際の筆者の学位は「工学修士」である。

 Art(芸術)とTechnology(技術)は妙な取り合わせだが、どちらも「人間が手を加えたもの」という意味なのだそうだ。芸術であっても実用品であっても陶器は陶器、そういうイメージなのだろうか。

 本文中で書いたとおり、英語のartはラテン語のarsに由来し、arsはギリシャ語のtechneと同じ意味である。また、techneはtechnique(技術)の語源で、technologyはtechniqueからの派生語である。だから「Master of Arts」も「Master of Technology」も似たような意味になるのだが、どうも芸術と工学はあまり結びつかない。レオナルド・ダ・ヴィンチは芸術家であり技術者だったから、昔は両者が一体だったのかもしれない。

Comment(1)

コメント

>こうした社会を、エンジニアとして生き抜くにはどうすればいいか。それは、何度も指摘しているとおり、「ほかを圧倒する技術力」しかない。
本当にそうですかね?
圧倒する技術力を持ちながらも潰れていく会社、人間はたくさんいるのではないでしょうか。
"しかない"という固定的な考え方は危険だと思います。

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