文学部出身のややくせのある視点から見た、IT業界、人工知能、働くこと、などなどについての文章

三行で要約するAIを試してみた

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 どうも~、消火器です(Twitterはこちらです→https://twitter.com/super_syokaki)。

 話題の、なんでも三行で要約してくれるAIを試したい!と思ったので、先日書いた自分の困った文章(https://el.jibun.atmarkit.co.jp/uwagoto/2021/08/post_14.html)を突っ込んでみました。さて、結果は......、

キャプチャ.PNG

死に怯えるのではなく、生を生きるべきだと筆者は主張している。死の影にべったりくっつき、それに怯え続けるのは本来的な生ではないと指摘。死に怯えるのではなく、あえて気まずさのほうを選ぶべきだとも。」

 すごい!なんかすごいこと言ってる文章みたいに見える!まぁ自分の文章から言葉をそのまま抽出しているだけなんですが、めっちゃいい感じに見える!というかこうはっきり書かれるとかなり恥ずかしいですね......。こんな勇ましいことを書いたつもりではないのですが......。

 と考えてみると、一文目の「べきだ」がちょっと強すぎるのかなぁ。これだと普遍的な義務のように見えちゃいますが、元の文章は自分の生き方に疑義を呈しているだけなので。ただ、疑義を呈するときに普遍的な概念の存在を示唆しているので、確かにその概念を他者に向けることにはなんの論理的矛盾もない。ただ、自分に対して普遍的概念を持ち出すのと、他人に対してそうするのでは、やはり話が違ってくると思う......。自分の認識の枠組みにも関わってくる話ですが、「自分にとって普遍的」と表現できるような感覚があると思うんですね。これを「確信」と言い換えてもいいですが、こうした感覚を概念化するときに、留保なしの普遍的概念として扱うのはやはり問題があるような気がして。自分は結局真理はなく確信しかない、という立場(ってほどのもんじゃないですが)なので、そのへんの話題がAI要約によって炙り出されている気がしますね~。

 もう少し違う視点として、これはAI関係なしに要約全般に関連する話題だと思うのですが、ニュアンスが欠落する、ということはどうしてもあると思います。この要約だと「自分の人生に対する疑義」というニュアンスは丸々欠落しているわけで。人間だともう少しうまくやれるかもしれませんが、いずれにせよニュアンスをすべて拾い上げることはできないし、人によっちゃニュアンスなんてどうでもいいと思っている。でも、ニュアンスというのは本来はどこに強調点を置けるものでもなく、その総合が有機的全体を形成するものであると思うんですね。人間と同じだと思います。だから、ちょっとしたニュアンスの欠落で、「そういうこと言ってないんだけどな~」という要約が出来上がっちゃう。もちろん、そうしたズレをまったく許容しなければ人付き合いなどできたものではないし、むしろそうしたズレこそがインタラクティブな人格というものを......、なんかめんどくさくなってきたな。ファスト映画とか本の要約とかに似たようなことを思っています。人は情報じゃないと思うんですよね。

 あと、個人的にツボだったのは、3文目の無責任さ。「とも。」という文末に笑ってしまいました。1行目が要約、2行目が1行目の補足(根拠)だとして、3文目は、文章に含まれている内容のうち、2行目までで拾えていない内容なのかな。大学受験現代文でよく言われるような「MECEの法則」に従っていますね。ただ、「とも。」と書くだけでは、2行目までとの論理的な結合がわからず、たんに内容を追加しているだけになってしまいますね。現に、「気まずさ」という概念が「死に怯える」や「生を生きる」とどう関係するのかは、この要約からは見えてこない。まぁ、そこまで求めるのは酷ですが......。

 ともあれ、AI要約かなり面白いです。ツイッターでもさまざまな面白い実例がアップされていると思うので、ぜひ探してみてください~。こちらから試せます→https://www.digest.elyza.ai/。ではでは~。

 

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