歌うこと
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歌うことが好きだ、と気づいたのがここ最近のことだった。
カラオケで、普段しぼっていたエコーの分量を上げ、適量の感情を乗せて歌ってみると、体内の毒っ気がすうっと抜けていくようで気持ちいい。無理のない歌を歌っていれば苦しむことはないのである。
半ば望んで、半ば必要にかられ、学生時代はわけもわからずばんばか歌っていたが、たいがい歌は、はかない自己肯定の拠り所でしかなかった。すべきことがミスなくできている、と満足することもあったが、うっかり自分の外部のような声が出ることのほうが面白かった。ただ、おおむね自分の歌は落胆の対象であった。
そもそも、歌うことはウソだと思っている。あんなに大声を出して言いたいことなど、人生にそうそうあるわけではない。ある人もいるのかもしれない。感情の起伏の乏しい自分には、少なくとも全然ない。
だから、歌に寄り添いすぎると、感情のリアリティがなくなってくる。1、2曲が限界で、それ以上は出がらしのお茶である。歌えば歌うほど、ウソと自分だけが残る。この気持ち悪さは筆舌に尽くしがたい。
適当に歌うことは楽しい。そこにある無責任を深刻な実存にオーバーラップできれば、人歌一体の無責任な歌が歌えるはずである。
自分の実存に対しても、ゼロ距離で凝視するだけではなくて、しっかりと握ったまま腕を伸ばして見るような、そういう付き合い方もあるかもしれない。実際に力が必要なのは握る力だけかもしれない。
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