【34】多数派の意見が正解ではないからこそ、常識にとらわれないように
こんにちは、手塚規雄です。
エンジニアに限らず日本人は多数決でなにかを決定するのが好きですが、そもそも多数派の意見が正しいという思い込みはどこからきているのでしょうか?
民主主義的な決め方で、子供の頃からやってきた手法だからこそ、多数決という意志決定に信頼している、心酔しているのかな、と思っています。あと他人も自分と同じ考えだと安心感がある反面、逆の場合は疎外感があります。その不安を解消するためにも人と同じ考えのほうがいい。これが「環境が人を作る」といわれている原因の一つだと思います。
また集団や組織の場合では多数決でものごとを決めると混乱が少なく、反対意見も少数派になるので反乱も起きにくい。だからこそ良さげに思えますが、それで物事を決めていくとどうなるのか?
多数派の意見=平凡で普通なものにまとまっていく
当たり前と言えば当たり前の話ですが、多数派の意見ばかりでものごとを決めていくと極めて普通になっていきます。多数派の意見というのは普通の人の意見と言い換えることができます。なぜなら普通の人の割合が一番大きいかからです。次のケースを多数決で決めた場合を想像してください。
・事業で新規開拓を目指しても、誰もが思いつく事業内容ばかり
・会社で心機一転して改革を目指しても、ありきたりな改革ばかり
・新商品のアイデアを考えても、どこにでもあるアイデアばかり
こんな状況が容易に想像できます。つまり安定や守りを考えるなら多数決はいいのですが、変化や改革を考えていくと多数決ほど役に立たないものはありません。会社がV字回復するときもどちらかといえば異端のリーダーやワンマン社長の場合が多いです。今までの常識では考えらない方法で変化することを選ぶ場合にはすべての権限を特定の人物に任せる場合ばかりです。
このことを踏まえて、集団や会社でなく個人にあてはめるとどうでしょうか?
多数派の意見に従っていては、多数派の人と同じような人生に
悩みを解決する場合、最初に思いつくのが身近な人への相談です。その相手が、自分より明らかに人生経験が豊富な人、または尊敬でき信頼できる人だったら聞く価値はあります。でもほとんどの人の場合はそのような相談相手がいません。そうすると、基準は自分との仲の良さと相手の人数できまります。そうなると結局は多数決と同じこととなり、自分の環境の常識に埋もれていきます。これも環境が人を作る要因の一つです。
次にネットで調べる。情報量では圧倒的ですが、これも多数決と同じ原理が働きます。多数派の情報ばかりがヒットしてしまい、少数派の情報は埋もれているので気が付きません。またネットは匿名性が高いので、どんな人が情報発信しているかわからない。もし少数派の良い意見があっても信用出来ないまま終わってしまう。
個人の悩みを解決する場合も平凡な方法となり、結局は世の中の多くの人と同じような人生を歩んでいきます。
信頼できる人の少数派の意見を探すには
信頼できる人とは誰か?というのがありますが、社会的に信頼できそうな人といえば本を出している人と思われます。書籍で「非常識な○○」や「○○力」という本が流行っていますが、ビジネス書に限らず新書などでも似たようなタイトルがいっぱいあります。これって身近な人への相談やネットの情報だけでもどうしても上手くいかない。そんな人が信頼できる人で、自分がまだもっていない情報はないか?と思っているときに本に頼りたくなる。そしてついつい気になったタイトルに釣られてしまう。だから売上が伸びるのかな?と思ってしまっています。
ありきたりな回答、意見とは違った情報や考え方を求めている人は本に頼ってみるといいかもしれません。もっともその内容が正しいかどうなのかは別の話。本といっても出版社が儲かるから出版しているだけですので。内容については自分で判断するしかありません。
それでも情報を入手するという意味では書籍のコストパフォーマンスが一番高いと思います。