技と名がつくと深入りしてしまうスキルマニアのエンジニア

デジタルネイティブとパーソナルナラティブ(番外編) 自称ミュージシャン

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 生活のなかに音楽はあふれている。CDやMP3にパッケージされたものだけがすべてではない。パソコンを起動すれば、ハードディスクの回転音が鳴り響き、冷却ファンの風切音が聞こえる。

 窓をあけてみる。

 通りすがる人の話し声。行きかう車のエンジン。アスファルトを掘りおこす工事現場。遠くから学校のチャイム。生きていくなかで耳にする音、すべてが音楽だ。

■インプット

 シンセサイザーというものは変わった楽器である。デジタルの恩恵で飛躍的に進化したもののひとつだ。

 いちおう、鍵盤はついているが、それはシンセサイザー本体とは違う。

 ちょうどパソコン本体とキーボードの関係のようなもの。[A]という文字が書かれたキーを押す。[A]という文字がディスプレイに表示される。コンピュータ上でふたつの動きに物理的な関係はない。

 タイプライターであれば、[A]キーと印字する文字[A]はアームで物理的につながっている。しかし、コンピュータの世界では、キーボードの[A]を押した結果、ディスプレイに[B]という文字が表示されてもおかしくはない。[A]が表示されるのは、プログラムという論理的なお約束にすぎないのだ。

 ピアノの前に座って、[ド]というキーをたたけば、[ド]の音が鳴る。キーと弦は、ハンマーとダンパーによって物理的につながっている。

 しかし、シンセサイザーにとって鍵盤はただのスイッチにすぎない。[ド]のキーを押下して[レ]の音が出ても不思議ではない。プログラムさえ、そのように組まれていれば。

 鍵盤は数ある入力装置のひとつにすぎない。白鍵と黒鍵ではなくギターやドラム、フルートやヴァイオリンの形をしたインターフェイスも存在する。はじめから、デバイスが付属していないものも存在する。音階と長さがわかればスイッチである理由すらなく、プログラムされたデータであっても不都合はない。

■アウトプット

 じつは、演奏を入力する方式はたいした問題ではない。シンセサイザーが電子楽器とよばれる理由は、その音を出力するユニークな方式にある。この仕組みを音源方式と呼ぶ。いくつかの種類があるが、おおきく分けると2つの種類が存在する。

 ひとつはサンプリング音源とよばれる方法。あらかじめ録音されていた基準の音を用意いて、音の高い低いにあわせて加工して出力する。符号化方式ともいう。

 もうひとつは、減算方式に代表される演算子を使う方式。ふたつ以上の音を使って計算をおこなう。

 音の演算とはなんだろうか。音とは波形である。単純な音であればきれいなサインカーブを描く。

 たとえば、ここに音叉があるとする。片方がU字型になっている金属の棒だ。これをひざに向けて軽くたたく。このとき、「ポーー……」という少し震えた音が音叉から生まれる。この音がほぼ純粋なサインカーブのカタチをした音である。

 さて、この音叉をふたつ用意する。同時に、でなくてもよいがふたつの音が重なり合うように音叉をたたく。ひとつのときと違った音が聞こえてこないだろうか。ふたつのサインカーブが少々ずれたタイミングで同時に響き、新しい音が誕生する。これが音の足し算だ。

 y=sin(x)。サインカーブは数式で表現できる。数式で表現できるのならば、コンピュータでもあつかえる。計算もできる。数学の時間にならったサイン、コサイン、タンジェントで音色を作ることができるのだ。

 といっても、それは難しい話ではない。デジタルネイティブにとっては雑作もないことである。基本的に「公式」はコンピュータにおまかせするからだ。演算結果もわざわざグラフや数式で確認しなくてもよい。

 わたしたちは、耳で聴いてフィーリングで判断すればよい。やるべきことはただひとつ。xの値を少し変える。聞く。また少し変える。また、聞く。ちょっとしたことで、音は劇的に変化する。

■It's So Easy

 この「ちょっとしたこと」というのがポイントだ。それは、設定されている数字を1から2に変える程度のこと。いくつかのパラメータを組み合わせるだけで、かんたんに「自分の音」ができるのだ。

 音作りさえできれば、ドレミの歌でも、サクラサクラでもなんでもいい。てきとうに弾いてみよう。知っているはずのメロディが輝きだす。ロジックはまったく必要ない。わたしたちがおこなうことは、設定可能なパラメータを変更するのみ。

 そう、シンセサイザーを購入するだけで、自分探しができるのだ。それも、決められた数字を触るだけで、無限の音が待っている。技術は音楽をわたしたちのそばに引き寄せることに成功したのである。

■Welcom To The Jungle

 しかし、ちょっと待て。こんなにも、たやすく個性ができていいのだろうか。数字をいじくりまわして音色を作る。いっけん、自由な方法にもみえる。しかし、それは、あらかじめ決められた機能でしかない。「たくさんのなかから、ひとつを選ぶ」。わたしたちの内なるものから生まれたようにみえて、ほんとうは用意されたレールの上。お釈迦さまの手のひらのうえで踊っているだけなのかもしれない。

 ギター。なかでもエレキギターは、個性の出しやすい楽器といわれてる。しかし、「これこそ、我が音。我が分身」という境地にたどりつくまでには、長い練習期間を費やすことになる。

 錬金術師がいう等価交換の原則では「何かを得るためには、同等の代価が必要」である。一般的にひとつの楽器をマスターするには、それなりの時間が必要だ。

 デジタルだからこそなんでもできるという。それは、言葉を変えれば、デジタルがないと何もできない、なのかもしれない。システムエンジニアの仕事は、デジタルがなければそもそも成立しない。わたしたちの乗る巨人の肩はあまりに大きすぎて、ついそのことを忘れてしまう。

■Paradise City

 ピアノには、音色を変更する仕組みは存在しない。そして、鍵盤はただのスイッチである。理論的には、誰が押しても同じ音色がひびく。しかし、そのなかで自分の個性、自分らしさを発揮する音楽家がいる。

 デジタルでは絶対に置換不可能なことがあるとすれば、そこに人の可能性に限界がないことを感じずにはいられない。楽器という物理的な制約。不自由さのなかに自由がみえる。

 どこか遠くからレベルアップを告げるアラート音が聞こえる……。

【本日のスキル】

  • コラムニストスキル:レベル15
  • デジタルネイティブスキル:レベル7
  • 音楽スキル:レベル9
  • 自分探しスキル:レベル3
  • 自己紹介スキル:レベル0

【「デジタルネイティブとパーソナルナラティブ」バックナンバー】
 ・デジタルネイティブとパーソナルナラティブ(6) オーバーネイティブ
 ・デジタルネイティブとパーソナルナラティブ(5) デジタルなソクラテス 後編
 ・デジタルネイティブとパーソナルナラティブ(4) デジタルなソクラテス 前編
 ・デジタルネイティブとパーソナルナラティブ(3) 情報の錬金術師
 ・デジタルネイティブとパーソナルナラティブ(2) Dear friend
 ・デジタルネイティブとパーソナルナラティブ(1) Born to be Digital

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