技と名がつくと深入りしてしまうスキルマニアのエンジニア

デジタルネイティブとパーソナルナラティブ(3) 情報の錬金術師

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 活字ネイティブのはがねのつるぎです。

 インターネットを巨大な図書館だと感じたことはありませんか?

 昔から図書館が好きでした。本屋さんが大好きでした。規則ただしく並べられた本棚。そのひとつひとつにぎっしりと詰まった書籍たち。

 目に見えないはずの情報が本というかたちを手に入れたのです。情報のカタマリが質量と広がりを持ち、現実世界に存在する。それだけでワクワクします。わたしは情報ネイティブなのかもしれません。

 ちなみに、本に囲まれると、トイレに行きたくなるタイプではありません。

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■デジタルネイティブは「情報は無料」

 ネットにあふれる情報たち。わたしもかつては同じように無料だと考えていた時期があります。しかし、「フリーライド」「ただ乗り」という単語は嫌われやすい言葉のひとつではないでしょうか。ネットの情報が無料なら、わたしたちが作り出した情報もすべて無料ということになります。みずからの手で生み出した情報に値段はつかないのかもしれません。

 かつて、日本ではこういう言葉がありました。

 「水と安全はタダ」

 気がつけば、飲み水はお金を出して買うものになりました。安全でさえも。情報にも同じ運命が待っているのかもしれません。

 タダより高いものはない、というフレーズもあります。圧倒的多数のタダが存在する状況でこの命題は真なのでしょうか。

■無料の真実

 無料であるテレビ番組が今どうなっているのでしょうか。一部のひとには見放され、見向きもされなくなりました。あたりまえすぎるテレビの情報に価値がなくなったのです。

 なぜ無料なのでしょうか。わたしたちの代わりに、スポンサーがお金をだしてくれているからです。

 メインがテレビ番組、オマケがコマーシャルではありません。メインがコマーシャル、オマケがテレビ番組なのです。「ちゃんと観ていない」という人も多いでしょう。じつは、広告主にとってそれはどうでもいいことなのです。ほんとうは、何回もくりかえし流されることに意味があるのです。

■情報の環境問題

 たとえば、コンビニや自動販売機でジュースを選ぶとき。数十種類のなかから数秒で何を買うか意思決定します。その一瞬に無意識からわたしたちに向けて、「これがよい」というメッセージを発信されます。よほど注意しておかないと、ヒトはこのメッセージに逆らうことができません。

 では、どのようにしてメッセージが送られてくるのでしょうか。

 潜在意識とは、中身の見えない大きな箱のようなもの。中には、メッセージ付きのボールがたくさん詰まっているとイメージしてください。ここから、ランダムにメッセージ付きのボールがひとつふたつ、ポンッと取り出されます。現実世界のアクションをきっかけに、イベント駆動で抽選会が開催されるのです。このとき、商品メッセージの付いたボールが多いほど選ばれる可能性は高くなります。このボールをいかに増やすか。あとは確率の問題です。

 ボールはCM映像や音声を見たり聞いたりすると、「自動的に」箱の中で作られます。インプットが多ければ多いほど、ボールは増えていきます。

 では、どのようにしてボールは増えていくのでしょうか。

 ボールを作るのに方法は関係ありません。テレビのコマーシャルだけでなく、新聞や雑誌の広告、街で目にする看板、何でもいいのです。何回もくりかえし流れることによって、知らず知らすのうちに潜在意識に刷りこまれる。サブリミナル効果のようですが、合法的な手段です。

■情報汚染

 広告の表現は大きく発展し洗練されてきました。進化の果てにあるのは「数で勝負」の世界なのです。量は質に転化するといいます。質が増えた結果、再び量に戻るのです。

 ネット上の無料サービスには、なんらかの広告がついています。マウスでクリックされようが、されまいがどうでもいいのです。視線でクリックすれば、抽選会の箱へボールが送り込まれます。自分では気付かないうちに、意識の中に送り込まれているのです。

 顕在意識、潜在意識を問わず。知らない間に考え方や行動に影響を与えているもの。わたしは、これを情報汚染と呼んでいます。

 もはや、日々の生活のなかで、まったく情報に汚染されないでいることは困難でしょう。

■情報が歴史を動かす

 情報の賞味期限が短くなってきています。今日役に立つ情報は、明日役に立たなくなっているかもしれません。そのなかで1000年、2000年と残るものがあります。

 活版印刷が普及したとき、聖書という情報が人々に公開されました。教会だけが聖書ネイティブを持っていた時代から、聖書ネイティブは文字が読める人々にまで広がる時代へと変化しました。

 教会から人々へ一直線におりる情報。タテの情報からヨコの情報へ。人々から人々へ展開される情報。聖書の言葉は変わりません。変化したのは距離です。ヒトはRead Only Memberではなくなりました。

 1対nからn対nへ。デジタルネイティブと呼ばれる人たちが多数を占めたとき。もっともっと、おもしろい人たちがでてくるのではないでしょうか。デジタルネイティブはまだ、第1世代です。おもしろくなる時期は、もっと先のセカンドチルドレンや、サードチルドレンの世代なるのでしょう。

 聖書ネイティブの普及がいまの時代をカタチづくる大きな要素のひとつ。デジタルネイティブもまた、これからの時代を構成するエレメントのひとつになるのかもしれません。

無料と有料の間に

 10年前はまだブログなんてものは存在していませんでした。いまではお気に入りの著者の本を読むような感覚でブログを読みます。そういえば、ブログを書籍化した本もたくさん出版されるようになりました。ネットで読むのと活字に目線を走らせるのとでは、何が違うのでしょうか。無料と有料の違いは物理的なモノだけなのでしょうか。

 ブログが活字になるとき。いちど記事を取捨選択し、まとめ直しています。独自のフィルタがかけられているのです。そこにお金をだす価値があるのかもしれません。非ネイティブ、非デジタルのためだけに出版されるわけではないのです。

 ブログの記事のまま、生の情報では振り向いてもらえなくなりました。整頓された情報でないと対価を要求できないのです。

 有益であれば、値段を気にしない。情報が無料というフレーズを「お金を出したくない」という言い訳にしてはいけません。お金が必要なら、迷わずにお金を出す。無料という言葉にとらわれていない、デジタルネイティブを越えた人たちもすでに現れています。

 水道でも水は飲めます。なぜお金を出してまでミネラルウォーターを買うのでしょうか。水に味があるように、おいしい情報が欲しいのです。もちろん適正価格で。

■歴史は情報を生み、育てる

 無料の情報とは単に有料になれかかった情報でしょうか。

 需要と供給のバランスが崩れた結果、相対的に情報の価値がさがりました。無料だと錯覚するぐらいに。ふつうの情報ではなく、より高い次元でなければ価値を得ることはできないのかもしれません。手付かずの情報に価値はなくなりつつあります。

 情報が氾濫する以前。明治の偉人たちは、知識と経験を求めて遠い異国の地に学びを求めました。当時は、情報ではなく、知識と呼ばれていました。最新の情報ではなく、最新の知識だったのです。いつのころからでしょうか。知識ではなく、情報という言葉が使われるようになりました。

■情報は再帰する

 知識とは情報の集合体なのでしょうか。情報を系統だてると知識になり、知識のコモディティ化が情報なのだとしたら。知識と情報は相互に構成、分解可能です。無料の情報とは知識の断片のひとつにすぎません。ひろい集めることによってあたらしい知識が構成されるのです。

 情報は情報の素材となり再利用が可能です。情報をまとめ、整理し、加工する。さらに価値を高める必要がでてきました。量は質に転化する。質が増えて量になる。そして、量は再び質になる機会を待っている。情報はどこまでも成長し続けることでしょう。

 遠くからレベルアップを告げるアラート音が聞こえてきました。

【本日のスキル】

  • コラムニストスキル:レベル11
  • デジタルネイティブスキル:レベル3
  • 活字スキル:レベル99
  • 図書館スキル:レベル99
  • 本屋スキル:レベル99
  • 無料スキル:レベル5
  • 環境スキル:レベル9
  • 歴史スキル:レベル1
  • ブログスキル:レベル4
  • 再帰スキル:レベル1
  • 自己紹介スキル:レベル0

【「デジタルネイティブとパーソナルナラティブ」バックナンバー】
 ・デジタルネイティブとパーソナルナラティブ(2) Dear friend
 ・デジタルネイティブとパーソナルナラティブ(1) Born to be Digital

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