技と名がつくと深入りしてしまうスキルマニアのエンジニア

デジタルネイティブとパーソナルナラティブ(6) オーバーネイティブ

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 インディーズレーベルで活躍している無名のバンド。小さなライブハウスで演奏するミュージシャン。自分だけしか知らないマニアックな音楽。ふとしたきっかけで、一躍、有名になる。売れはじめる。そんなとき、もうファンををやめようと思ったことはありませんか。

 主流になると興味は薄れていきます。メジャーになれない男。永遠の野党。脱デジタルネイティブのはがねのつるぎです。

■音楽はあまねく存在する

 音楽はすでにフラット化済みだといわれています。フラット化の行きつく先には何があるのでしょうか。

 世界中にある録音物を集めます。記録された演奏時間を合計すると、人が生きている時間よりも長いとか。CDショップやレンタル店。街かどの小さなお店でさえ、並べられたアルバムの量に圧倒されます。オンラインでもおしよせる音源の数にひるんでしまいます。残りのすべての人生を音楽を聴くことだけに捧げたとしても、まだ足りません。

 例えば、ここに100人の人間がいるとします。すべての人がまったく同じ音楽を聞いている。という状況はありえないないでしょう。全員の音楽性がバラバラ。それぞれが、まったく違う音楽を聴いている、という可能性でさえ否定できません。もう昔のように、たったひとりのミュージシャン、たったひとつの楽曲がすべてを染める。そのような状況はありえないのです。

 しかし、ちょっとしたことで、曲名やメロディの一部が耳に入る。「ああ、知っている。聞いたことがある」。そのうち何人かは、ネットでダウンロードしたり、アルバムをチェックしたりすることでしょう。音楽は、わたしたちのそばにいます。最後のきっかけを待っているのです。

■音楽は融合する

 ひとつの音楽は他の音楽に影響をあたえます。情報と同じように音楽もまた再構築可能です。ボサノバはジャズとサンバから生まれました。フュージョンはジャズとロックから誕生しました。「ゴスペル×ラップ」「ハードロック×オーケストラ」……。ジャンルを越えてあたらしい音楽が作られるのです。

 ジャンルだけが交じりあうのではありません。音楽とダンス。音楽と映像。さらに、音はつながる相手を求めます。「音楽×ミュージシャン」。音楽と人も組み合わせ可能です。

 そして、音楽とわたしたち。「聴く」という受動的な行為だけではありません。

 カラオケ文化の繁栄だけが答えでしょうか。ミュージシャンでなくても、音楽に対して能動的に働きかける人がいます。自分で音を作る。それは、特別なことではありません。

■No Music No Life

 机をトントン。リズムを作る。誰かがトントン。音を重ねます。同じリズム。違うリズム。同じ強弱。違う強弱。ホラ、誰もがみずから音楽を生み出しているではありませんか。楽器を習得したり、特別な練習をする必要はないのです。

 誰もが自由に音楽に触れる。リズムを取る。演奏する。歌う。踊る。参加する。紅音也は祈ります。「人々が心に奏でる音楽を守りたい」

 音楽をすべての人々に届ける、ではありません。音楽はすべての人々に届きました。すべての人は自分の音楽を持っているのです。

■言葉はあまねく存在する

 世界の国では、書き言葉を持たない言葉があります。哲学を表現できない、コンピュータ用語をうまく翻訳できない、そんな言語も存在します。

 比較して日本語。わたしたちが、日常使っている言葉。じつは、言語としてかなり高い性能を持っています。あまりにも近くにありすぎて、なかなか気づくことができません。

 長い歴史を経て、日本語は成長しました。そして、文豪や知識人たちが坂の上を目指していた明治の時代。現在の書き言葉はほぼ完成します。日本語は、はるか昔にフラット化していたのです。それから、100年あまり。

 本屋に行けば大量の本たち。図書館に蓄積された本の群れ。一生かけても読みきれません。ブログの数は無数にあります。いつでもどこでも書き言葉は手に入ります。

■No Language No Life

 書き言葉は読むためだけのものではありません。私的な手紙やメール、日記。言葉を書くという行為は、わたしたちの日常に溶け込んでいます。ほんとうの意味でネイティブですから。

 ブログが日本に上陸してまだ5年。たった5年です。あらゆる人がネット上にモノを書く時代がやってきました。ネットは言葉であふれています。書き言葉はカンブリア紀を迎えたのでしょうか。

■ダブルフラット

 で、言葉は進化するなんてお話を広げるつもりでした。ところが、『日本語が亡びるとき』を読むとそんな広げた風呂敷もしぼんでしまいました。この本については、いろんなところで、いろんな人が語っています。まさに、No Language No Life。

 ところが、音楽が西洋音楽一色に染まったように。その先にあるのは……。そのお話はまたいづれ。

■情報はあまねく存在する

 「誰もが自由に情報にアクセスし、世界中の誰とでもつながる世界」。インターネットが普及をはじめたころの未来予想図を思い出してください。デジタルネイティブの出現は予期せぬできごとではありませんでした。

 13歳のCEOの出現。ネットでエイズ撲滅活動を続ける青年。これらすべて想定の範囲内です。いつか実現するだろうという話でした。あたらしい考え方が出てきたわけではありません。

 IT業界はドッグイヤーといわれています。しかし、真にあたらしい技術はごく少数です。意外にも、量的な拡大や昔の技術のリメイクであるほうが多数です。情報の再構築と同じように技術も再構築、再生産されているのです。

 あたらしい皮袋には古い酒が入っています。だたし、古い酒も古いままではありません。年月を経て熟成されていたり、あたらしい酒が少し混ざっていたりしています。いい味をだしているのです。

■No Digital No Life

 そして誰もが情報を発信する世界。「いつか」が「今」になりました。

 これからも、デジタルネイティブたちは増殖しつづけることでしょう。デジタルネイティブはあまねく存在するのです。

■Highway Star

 何かを成し遂げたいとき、人は思いの道を通ります。ネットの出現により、その道に高速道路が整備されました。スタートからゴールまでの距離が一気に短縮されたのです。目的地に向けて一直線に向かうことができます。しかし、その便利さゆえに人々は殺到します。将棋ネイティブである羽生善治の言葉を借りれば、出口付近で大渋滞が発生しているのです。

 デジタルネイティブたちは高速道路の出口付近の渋滞につかまることなく降りることができたのでしょうか。あるいは「けもの道」をみつけたものこそがデジタルネイティブなのでしょうか。

 しかし、けもの道という存在はすでに明らかになりました。発見された以上、人はそれを目指します。誰も通ったことのないはずの、けもの道はもうすでに他の誰かが通った後なのです。それはニッチが埋め尽くされたことを意味します。もはや、ネット上にフロンティアは存在しないのかもしれません。

■オーバーネイティブ

 もはや、けもの道は既存の道です。人々が殺到し、ここでも渋滞が起こっているのです。ここでのんびりと歩いていては高速道路の渋滞と同じです。けもの道でさえ、全速力で走る必要があるのです。

 しかし、けもの道はけもの道。アスファルトで舗装された道路のように、軽やかに走れるわけではありません。大きな石が転がり、行く手をさえぎることもあります。木の根につまづくこともあるでしょう。整備工事は未着手です。

 グーグルが生まれる前。同じように情報整理の重要性が問われていました。いま、ふたたび、けもの道で道しるべが必要とされています。なんとかハックとか、なんとか法みたいな本が売れる理由のひとつでもありましょう。わたしたちは「情報を整理する」情報を求めています。

 けもの道で「そこ、危ないよ」と教えてくれる人たちがいます。デジタルネイティブたちの道先案内人。けもの道を知り尽くし、自由自在に駆けぬける人たち。それは、ネイティブを越えたネイティブ。オーバーネイティブです。いま、けもの道で交通整理をしているのはシステムではなく人なのです。

 それは、イノベーターであり、アーリーアダプターです。あるいは、アルファブロガーと呼ばれる人だったりするのかもしれません。具体的な名前をあげればいくらでも出てきます。小飼弾とか、勝間和代とか。ある意味、「デジタル」や「ネット」という枠さえ超えています。

 オーバーネイティブの能力は案内役だけにとどまりません。自分自身を導くことさえできるのです。いえ、順番が逆でした。自分自身を導くスキルが高いレベルで完成しているからこそガイドができるのです。

■対位法

 デジタルとネイティブ。ふたつの言葉のシナジーを見て気ました。ひとつの旋律がふたつになる。お互いに独立してきた音が融合する。ふたつの音はどちらも主役です。

 メロディと伴奏ではありません。どちらもメロディ。それは同時に流れます。ふたつ以上の主旋律を組み合わせる。音楽の世界では対位法といいます。バッハのブーレなどはその代表的な楽曲です。

 ふたつのメロディが再構築されます。要素の組み合わせに使う演算子は「×」です。「+」ではありません。足し算であれば、主旋律と副旋律になります。メロディに伴奏とアレンジが加わっただけなのです。

 オーバーネイティブでさえ、たったひとりでは意味がありません。優れたメロディがひとつあるだけにすぎないのです。

 イオリア・シュヘンベルグが提唱するあたらしい理論。ふたつの太陽炉を同調させることにより、粒子生産量を2乗にする。それがツインドライヴシステムです。2つあるから2倍ではありません。お互いに共鳴しあう。ひとつの太陽炉がもうひとつの太陽炉に作用するのです。

 メロディとメロディは交差し、同調する。音楽や言葉は融合し、ひとつになります。

 自分×音楽

 自分×言葉

 自分×情報

 そして、最後の組み合わせ。それを、ナポレオン・ヒルはマスターマインドと呼びます。

 自分×人

■いつでも、どこでも、だれでも

 情報は再構築される。音楽や言葉は互いの世界で融合を繰り返してきました。そして、より大きな存在となり、ひとつの要素、「ヒト」に集約されていきます。

 わたしたちの中に、音楽があり、言葉や情報が存在するのです。ステージを見上げている時代は終わりました。ひとりひとりが主役になる時代。みたこともない組み合わせ、聞いたこともない音を奏でるのはわたしたち自身。

 最後はシェークスピアの言葉を借りましょう。

 「人は役者、世界は舞台」

 ナラティブはわたしたちのものです。

 遠くからレベルアップを告げるアラート音が聞こえてきました。

【本日のスキル】

  • コラムニストスキル:レベル14
  • デジタルネイティブスキル:レベル6
  • 反体制スキル:レベル3
  • 音楽スキル:レベル8
  • 日本語スキル:レベル9
  • フラット化スキル:レベル3
  • 融合スキル:レベル1
  • コンビネーションスキル:レベル2
  • オーバーネイティブスキル:レベル1
  • 自己紹介スキル:レベル0

【「デジタルネイティブとパーソナルナラティブ」バックナンバー】
 ・デジタルネイティブとパーソナルナラティブ(5) デジタルなソクラテス 後編
 ・デジタルネイティブとパーソナルナラティブ(4) デジタルなソクラテス 前編
 ・デジタルネイティブとパーソナルナラティブ(3) 情報の錬金術師
 ・デジタルネイティブとパーソナルナラティブ(2) Dear friend
 ・デジタルネイティブとパーソナルナラティブ(1) Born to be Digital

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