意思を伝えるための「主語」の重要性―Androidマーケットから見た言葉
◆開発者の憂鬱
Androidスマートフォンの普及からか、Androidアプリケーションを作成する人に会う機会がめっきり増えた森姫です。先日も、とあるアプリケーション作成者さんに会ってお話をさせていただきました。
「今後はどういうアプリをつくるんですか?」
という私の質問に対し、開発者さんは少し切なげな表情で
「もう、アプリをつくらないかもしれません」
といいました。
普通の人なら、ここで会話が終了するのですが点空気がいまいち読めない私は
「なんでですか? あなたならもっとすごいアプリがつくれると私は思うんですけど」
馬鹿正直に感想をいってしまいました。開発者さんはそんな私にも優しく答えてくださいました。
「コメント欄見たら分かるよ」
そこで時間がきてしまったので、それ以上のお話はきけませんでした。
◆現状のマーケットに住む「モンスター」
さっそくAndroidマーケットで、アプリケーションのコメント欄を見てみました。いろいろな意見が飛び交っています。さすが、人気のアプリケーション。
ただ、鈍感な私でも目につくコメントがありました。
「いらない!!」
「うごかねー!!」
「使えないよ!!」
誹謗中傷としか受け取れないコメントです。
いろいろな人気アプリケーションを見ると、どのアプリケーションのコメント欄にもこのようなコメントはありました。
私は思うのです。
これは「モンスタークレーマー」だと。
◆足りないのは「愛」ですか?
私が作成しているアプリは残念ながら良いコメントも悪いコメントもいただいたことがないので
「その気持ちよく分かる」なんてことは開発者さんには言えません。
ですが、1人の人間として思うことがありました。
短文のコメントを残す人には何かが欠けているのです。
それは何かというと……
「愛」です。
アプリに対する「愛」が足りないのです。
という、私得意の精神論(笑)になってしまうとコラムとしても実用性がなくてつまらないし、こういうコラムも「モンスターコラム」となるのでもっと具体的に書きます。
◆いいえ、足りないのは「主語」です
「いらない」「動かない」「使えない」などの動詞だけの感想だからいけないのです。
もっと言うと「主語がないこと」に問題があるのです。
「いらない」と言われても、なにがいらないのかわかりません。
コメントを書いた本人には「いらない」の意味がわかると思います、もちろん書き手なので。しかし読み手には分かりません。
よく「言葉の行間を読め」とありますが、だれしもが行間が読めるわけではないのです。
特に「コメント」という文章のみで意見を伝える場合には「主語」が抜けている文章は致命的以外のなにものでもありません。
単純に「いらない」だけだと……
「自分に対してこのアプリケーションは必要ない」
と、開発者さんの被害妄想は拡大します。
もしかしたら「アプリケーション内の無駄な余白がいらない」という意味の「いらない」かもしれません。
「いらない」という言葉だけではなにも伝わらないのです。
一番最悪のケースを考えてしまう開発者さん、繊細な開発者さんにはそれらはどのような効果を与えるでしょうか。
そうです、それはモチベーションの低下です。
「私のアプリケーションは必要ない」
「私のつくるものはくだらない」
「こんなコメントばかりならもうアプリケーション開発なんてやめよう」
という発想の連鎖が起こって、開発者さんの憂鬱になるのです。
◆正確に伝えると、世の中も変わる
開発者さんにとって、意見はモチベーションの向上につながります。
ですが、まったく違う捉え方をされるとそれは低下にもなるのです。
コメントを出すことは大切です。コメントを残すことはなにも悪いことではありません。
ですが、「具体的にどうしてほしいのか」というところを伝える必要性はあります。
たとえば、シンプルな画像表示アプリケーションであっても、
「いらない」という一言ではなくて「写真にコメントをつけられる機能は必要ありません」という要望として発することが必要なのです。
コメントをつけるというのは「開発者に向かって伝えたいなにかが存在する」ということです。
伝えたいことが伝わらない、そしてそのままアプリは進化も退化もしない。
これは悪循環につながります。
ですから、アプリケーションのコメント欄には必ず「自分が開発者にどうしてほしいのか」ということを書きましょう。
単純に称賛であっても同じです。「すごい!!」だけではなく、「写真にコメントをつけられる機能がすばらしい!」など。
◆関連性のない他者に伝えるための「主語」
主語なしで通じる相手というのは自分と関係があるごくわずかな人に限られます。
逆をいえば、自分とあまり関係がない人に意見を正確に伝えるためには「主語」は必ず必要になります。
例にあげると、普段から一緒に仕事をしている後輩に日課を伝えるときに「いつもやってるあれやっといて」でいいかもしれません。
しかし、自分と関連性のない他者に日課を「あれ」で伝えるのは困難です。
こういうときには「いつもわたしがやっている、会議室のテーブル拭きをやっておいてね」と具体的に言う必要があります。
このことと「アプリケーションのコメントを書く」ということはまったく一緒なのです。
◆自分の意見をいうための「主語」
生産されたものにたいして、意見を言うことは本当に大切なことです。
これまでの世の中はただ「メーカーが提供したものを使用するだけ」であったかもしれません。ですが、これからは「自分が意見を出して、世の中を変えていく」ぐらいの勢いが必要になります。意見を聞いてもらうため、自分の意思をつたえるためには正確に伝達する力が必要になります。
「こうしてほしい」という気持ちがあるならば、具体的にどうしてほしいのかという「主語」を必ずつけるようにしましょう。
◆人が「好きです」
主語の大切さは特にAndroidマーケットに限ったことではありません。
普段の仕事や人間関係にも言えることだと私は思います。
と散々偉そうに書きながらも私もまだまだ修行が足りず、いろいろな人に迷惑をかけて人生生きてます。
最近は人に重要な話やメールをする前には主張をまとめてノートに書きだすような工夫をしています。
それでも、自分の意思は半分も伝わっていません。
人を動かすということは、本当に大変なことなのだと実感する毎日です。
コメント
匿名
仰る通りだと思います。
私はモンスタークレーマー集団に誹謗中傷・名誉棄損・業務妨害などをされました。
その時感じたのは、やはり主語を読解しておらず、主語の使い方も滅茶苦茶でした。
さらに、論理も理性も知識もなく、自分が分からないAND自分が知らないから間違えている一点張りです。
そういった人達は主語だけではなく、人として大切なものが数多く欠けていました。
モラル・読解能力・知識・技術・経験・理性・マナー・コミュニケーション能力...
その人達を反面教師にして色々勉強になりました。
私も人に何かを伝える事は本当に大事で難しい事だと思います。
コラムニストのあとむと申します。
仰る通り、Androidマーケットのコメント欄は結構酷いもの多いですねぇ。
ただ、ユーザ側の私からすれば、このコメント欄、意外と見てますし
やはり「使えない」「動かない」等のコメントが多数並んでいるアプリは
ダウンロードするのを控えようという意識が働くのも事実です。
開発者としてはアプリの存在が本当に価値あるものだと思えていれば、
上記のようなコメントは無視して、建設的な意見に対して真摯に
実装・改善を継続していけば良いのかな?と思います。
まぁ、精神的に落ち込むのは人としては同感ですけど^^;
>「こうしてほしい」という気持ちがあるならば、具体的にどうしてほしいのかという「主語」を必ずつけるようにしましょう。
裏を返せば、具体性のないのは単にケチつけたいだけでしょう。
残念なことに、そんな輩はどこにでもいます。
> まぁ、精神的に落ち込むのは人としては同感ですけど^^;
同じく。
何の反応もないのも凹むから、「それよかマシ」くらいに受け止めてはいかがかと。
# 慰めにも激励にもなってませんねー。すんません orz
--- 別件 ---
アルマジロさん:
> あとむさん、ご意見ありましたらお聞かせください。
blogの主を差し置いてそれは失礼でしょ。