雨の中にいた真の職人の姿
◆雨が降る前の不思議なにおい
雨が降る前、不思議なにおいがするのを皆様はご存知でしょうか?
おそらく私の嗅覚ってどこか個性があるのだろうなぁ、と思う日々の森姫です。独特なので表現が難しいのですが、雨の降る前は「森林」と同じようなにおいがします。そのにおいが強ければ強いほど、雨が降るまでの時間が短いのです。
個人的には好きなにおいなので、梅雨の季節は大好きです。とはいえ、外出の最中に「にわか雨」がくるのは正直迷惑だと思ったりします。先日も、町を歩いている時に「まずい、これは降るな……」と思って近くの百貨店に逃げたら、30分後には大雨になっていました。
においから察するに「当分続く」と思ったので、しばらく百貨店に併設されていた東急ハンズを見て回っていました。
◆時間で変わる風景
エスカレータに乗ると、徐々に次の階の天井が見えてきて「おや?」というものが目に付きました。
天井から青と赤の何かを描いた“長い布”が垂れ下がっていたのです。長い布は1枚だけ垂れ下がっていました。気になったので布の下に行って、じっと見てみました。
赤と青で彩られた「手」の模様が、布と一緒に続いていました。
アシンメトリに描かれたその模様に思わずうっとりとして見ていると、後ろから「あのー」と遠慮がちに声をかけられました。振り返ると、自分と同じぐらい(だと思いたい)の女性がちょこんと立っていました。
「この布に興味があるんですか?」
そう聞かれたので「はい」と答えると女性は心底うれしそうに微笑みました。
「この布は、私が染めたんです」
◆染物を行う女性
「え? 染めた?? こんな感じですか?」
私は知っている限りの知識を振り絞って染物師のイメージを掘り起こしてどじょうすくいのような動作をしました。
「いえ、どっちかというと、こんな感じなんですけど」
女性はどじょうすくいで間抜けな格好な私を笑うことなく、真剣にペンキ塗りのようなポーズをとりました。
「へぇー!! 染物ってそうやってやるんですね!!これ、いっぺんにこうやって(ペンキ塗りポーズ1)、こうする(ペンキ塗りポーズ2)んですか?」
「いえ、こうやって(ペンキ塗りポーズ1)、一度1色に染めて、またこうやって(ペンキ塗りポーズ1)、1色染めるんですよ」
女性はとても丁寧に「染め物」について説明してくれました。
色が複数の場合は1色ずつ行うこと。
そして、うまくいかなかったときはもちろん、自分が納得がいかなかったときは遠慮なく捨ててしまうこと。
「大変ですね。あ、でもこういうのって、染めるところだけやり直せばいいのかな? 模様だから、ぺぺぺーって(パソコンの操作ポーズ)貼りつければいいんですよね? やっぱりIllustratorとか使うんですか?」
「いえいえ、全部手作業ですよ」
「え?」
Illustratorなんていう浅はかな知識でしゃべった自分が恥ずかしくてたまりませんでした。
Photoshopとの区別もつかないのに……というより、模様はパソコンのコピーアンドペーストでつくるものだという先入観を持っていた自分に。
しかし、言い訳をしていいでしょうか。
その模様は私に「パソコンでコピペじゃないのかな?」と思わるぐらい正確なものでした。機械を使っていないのに、機械的にアシンメトリでエンドレスな模様。
「こういうのは“柄”というんです」
「なるほど……。“柄”」
それから私は女性から「柄」についていろいろなことを聞きました。女性が持参していた工房の様子が撮影された写真を見ながら。
◆「柄」と「絵」の違い
「柄」と「絵」はまったく違う。
「絵」は1枚で勝負できるけど、「柄」は1枚で勝負できない。
「柄」は「連続したもの」でなければいけない。
派手すぎてはいけない。相手を超えすぎてはいけない。
しかし、表現したいものは表現しなければいけない。
自分はここで勝負する、ここにいるよ、と主張する。
だけど、決して主役を超えてはいけない。
例えば、「柄」のある洋服を若い女性が着ていたとする。
すれ違った女性の第一声が「柄が素敵」ではいけない。
「さっきの女性素敵ね」という言葉を出させ、その次に「洋服の柄も素敵ね」と言わせなければならない。
「絵」は1枚で自分を表現して、1枚で相手を負かさなければいけない。
しかし、「柄」は違う。
そもそも「絵」と対比させること自体が間違っている。
「絵」と「柄」は似ていても、まったく性質が違うのである。
◆自分の先の世界を見る
「大変そうですね。時間もかかりそうですし」
「そうですね。半年ぐらいかかります」
「半年!?」
1つひとつ手で描くこと。
そして気に入らない部分があったら染め直すこと。
それは決して効率がいいことではないけれど、女性は「気に入らないものはあまり作りたくない」と笑顔で言ってのけました。
半年という長い時間をかけてようやく日の目をみた布は、本当にきれいでした。
その一角で一番美しい。そういっても過言ではなかったのです。
「私はこの布が一番きれいだと思いました」と正直に言うと、女性はとてもうれしそうにしていました。
「たしかに、見る人を選ぶかもしれないけど」
1枚のイラストと柄だったら、10秒眺めた時にはイラストが勝つと思いました。
ですが、女性が作り出した「柄」は見る時間に比例して、美しさが増していくという不思議さを持っていました。
そういえば、私が目に入った時も「徐々に風景が変わっていく」マジックのあるエスカレータという乗り物に乗っていた時でした。
◆先に見えた光景を作る
女性が作ったというハンカチを触らせてもらいました。
手の指でなでると、粒子が細かいこと、そして市販されているものよりやや厚みがあることが分かりました。
「この布、けっこう高いんじゃないんですか?」
私が言うと、女性はさらにうれしそうな目で私を見てくれました。
「そうなんですよ! 他の人は薄い布を使うんですが、私は厚いのを使うんです!」
「……染めにくいからですか? それとも、うすかったらハンカチじゃないから?」
「後者ですね。ハンカチはうすかったらあまり使いものにならないでしょう?」
女性は布の持つ意味まで知っていました。ハンカチは手をふくもの、時には何かを覆うもの。
耐久性にすぐれてなくてはならないこと。水をなるべく吸収しなくては機能しないこと。使う人が見えている証拠だと、私は感じました。
私は女性からトートバックを売ってもらいました。
「このトートバック、商品なので“使用上の注意”という紙がついてきます」
「あぁ、染物だから洗ったら落ちますっていう……」
「いえ、このトートバックは洗っても大丈夫ですよ」
やはり、このあたりも計算済みなので、私は心底その女性を尊敬しました。真の職人は「見える範囲はすべて見ている」のだなぁと。
◆好きです
話し終わってその場を去っていくときに女性の声が聞こえました。
「見てください。この布は私が染めました!」
大きくはないけれど、とても芯のある声が印象的でした。
さて、この女性がいる東急ハンズは東京都で6月5日まで作品を展示しているそうです。
あえてどの店舗かは伏せますが、参考までに東急ハンズのキャンペーンページのURLを載せておきます。
http://tv.tokyu-hands.co.jp/event/hands_do_projectcraft_live.html
ご参考までに(注:キャンペーン終了後にリンク切れや私の意図しないページになっていたりしますので、そこは読者様の一期一会の機会ですのでご了承ください)。
まだ雨のにおいが続く毎日ですが、私はこのにおいがする日がとても好きです。
追伸:雨ってそういえば、柄に似てますよね。