地方エンジニアが感じる地方・中小企業での悩み

老害と言われないためにも

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 自分が年を重ねていくにつれ、不安になる事の一つに老害があります。自分たちが若い頃から見かけていた困ったお年寄り、そうはならないぞと思いここまで年を重ねてきたのですが果たして自分が老害になっていないのかは、とても不安になります。老害と呼ばれる人たちには、怒りの沸点が低い、自説を曲げない、自分の話ばかりするといった特徴がありますが、自覚していないだけで自分がそうなっていないとは言い切れません。

 時々眺めているグループが Facebook にあるのですが、そこに参加している人達の一部が自分の中でイメージしている老害な人そのもので、その人たちの書き込み内容を見ていると非常に老害というものを意識してしまいます。不思議なもので短い言葉だけなのですが受けるイメージはあまり良くなく、このように年は取りたくないと思わせるに十分な悪印象を受ける事があります。他人とのやり取りが加わると、それはさらに倍増です。

 反面教師としてそのグループは眺めているのですが、そこにいる人達と自分とでどれくらい違うのかは、本人にはわからない所です。もしかすると自分もその人達と同様に、周りから距離を置かれるようになっているのかもしれません。そうはならないように意識して行動を続けていないと、簡単に仲間入りしてしまうことでしょう。

 実際に年を重ねて思うのですが、本人にはそういった自覚がないことが非常に厄介です。先のグループでそう見える人たちも、恐らく自分がそうだという自覚はないと思われます。これまでと変わらない接し方をしているつもりなのですが、そうはなっていないと考えられます。考えられますという書き方をしたのも、自分では自覚がないため本当にそうなのかの確証がないためです。

 このように考えていくと、他人と接するのが怖くなってくることもあるのですが、関りをなくすことは最も避けたいことです。このあたりは難しいものですが、悩みの種を解決すると別の悩みが出てきてしまいます。それならばどちらで悩むのがまだ楽か、無意識か意識してかはわかりませんが、このような選択のうえで他人と接することになります。こう考えると、老害かどうか、という悩みはほぼほぼ解決できない悩みなのかも知れません。

 解決できないのであれば付き合っていくしかないのですが、どう考えて行けば少しでも不安がへるか、というのも難しいものです。先に書いたように、常に意識して行動する以外には解決策はないのですが、意識しすぎると疲れてしまいます。疲れてしまうと、今まで気を付けていた部分がおろそかになり、よくない反応や行動をしてしまいます。そうであれば、できるだけ簡単な一つの対処に絞り込み、少しでも負担を減らすのがよさそうです。自分の場合は、脊髄反射をせずに一息おくようにする、これを最重要に意識しています。一息おくことで、少しでも気にすることができるようにもなり、失敗を減らす可能性が高まるのではないかと思うのです。

 どのような状態でも自分を貫き通せる心の強さがあれば、このような事に悩まないのかもしれません。しかしそれも良し悪しで、場面によっては貫かないことがよい結果となる事も多いです。それこそ人の話を聞かずに自分の話をする、そのような老害らしい行動となることも増えるでしょう。それならば自分を抑えることを意識する方が、周囲の人ともよい関係を続けていく事が出来るのではないでしょうか。

 肉体的な点は年を重ねるとどうしても問題が出てきますが、精神的な点ではまだまだ対処も可能です。まだまだ、というあたりで既に年齢を感じてしまうのですが、実際にいい年齢になってしまった自分としては、老害と言われない気持ちを忘れずに行動していきたいと思います。

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