地方エンジニアが感じる地方・中小企業での悩み

無意識に経験を語ることはよくないことになりやすい

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 やはりというかなんというか、今月も早いもので 10 月の終わりを迎えてしまいました。少し前は暑い暑い言っていたというのに、こちらでは数日前に市街地でも初雪に見舞われるなど、逃げようのない冬が迫ってきているのを感じます。積雪まではもう少し時間がありますが、空気の冷え方はかなり冬になっているので、2カ月かからないくらいには積もるんだろうなと感じています。

 季節の繰り返しを何度も感じていることもあり、気が付けば周りの色々な物事も同じように多くの年数を過ごしていました。例えば私が好きでやっているゲームだと、本番開始してから来月で 12 周年になるものや年明けに 11 周年になるもの、もうそろそろ 10 周年になるものなど、二桁の年数に突入して運営を続けられているものが増えてきました。また家族が利用しているPCを見ると、CPU に Core i5-8600 と表示されていたりするので、購入してからもうそんなに立つんだと感慨にふけりつつ、いい加減どうにかしないととも思わせてくれています。それと同じように、自分の業界歴も十の位が 2 ではなくなっていたりするので、本当に時間の流れとは恐ろしいものです。

 ただこの業界歴というか、一つのことに対して取り組み続けてきた時間の長さというのは、なかなかに面倒を引き寄せるものです。自分に対して自信をもつことは良いことだと考えています。ですがそれを外にひけらかすのはどうかと思われるのです。そして何より厄介な点は、年数を重ねるとそれに見合った経験を積んでいることになるのですが、そこにある種の絶対的な信頼を置いてしまうことです。

 同じように年を取った人なら理解してもらえると思うのですが、年を取ると自分が経験してきたことを昔語りしたくなってしまいます。これは意識していないとやらかしてしまう可能性の高いもので、年をとればとるほど、しでかす率が向上していくものです。性格的に自分から話すよりも他人の話を聞くタイプであれば回避しやすいのですが、そうでなければ昔はこうだったとか言いたくなってしまうもののようです。

 昨今の AI 流行で感じた人も多いと思いますが、これまでに得た経験の価値を一気に引き落としてきたのが AI です。AI の仕組み上インターネットにある集合知をベースとしているため当然なのですが、人一人が経験してきたことでは戦えないレベルな相手になります。よく Web 媒体で世代差によるコミュニケーショントラブルな話題につながるかもですが、今のご時世では実際に人と会話すると面倒なことも多いので AI から知識を得るようになってしまっても致し方ないところかもしれません。

 得た経験に対する価値がかなり変化していますが、そこに気づかないまま過去の経験を語ろうとしてしまうのが、私たちベテラン世代のっ問題の一つかもしれません。インターネット老人会のような集まりで話すことは何ら問題がないのですが、若い世代に同じように話してしまうことはやらかしの一種とも言えます。これが積もり積もって世代間での交流が減っていたとしても不思議ではありません。

 もちろん経験の中には AI がカバーできない領域はあります。感情的なものを含め、明文化できないものは世の中にたくさん存在しています。どうせ語るなら、その領域の話題を語ることが互いにとってよい付き合い方なのではないでしょうか。

 私たちベテラン世代は、自分たちの経験の価値を一度見直してみることが必要なのだと思います。自分が思っているよりも価値が減っているものもあるでしょうし、反対に価値が増えたものもあると思います。いつまでも同じ価値観で突き進めることは一つの美学かも知れません。ですが、それは周囲からどう思われようとも貫き通せるくらいの気概が必要な道です。私のようにそこまでの気概を持たないのであれば、自分の価値観を一度考え直してみるのが良いのだと思います。

 年を取れば周囲が敬ってくれるなどというのは、それ相当の人物であった場合だけです。そのような人物になれていればよいのですが、私は全くなれていません。それであるならば、少なくとも周囲から煙たがられない程度に、自分の考え方や価値観を変えていく必要があるのだと思っています。

 なお、若い世代の人たちへお願いしたいところとして、ベテラン世代な私はちょろいのでおだてると大変喜びます。それはもう簡単に喜びます。そういったタイプの人と一緒に仕事をされるときは、ちょっと誉めるだけで物事が大分楽に進むかもしれませんので、覚えておくと便利かもしれません。あくまでも、かもしれません、ですが。

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