15年ひと昔
こんにちは、46です。
前回のラスト、管理するスタッフの数が増えるというお話をしましたが、イノベーションどころではなく、てんてこまいでご無沙汰しました。
今回は桜の季節(遅いか)、というわけで新人時代を回顧しながら。
実際のところ、外資系で働くようになって10年。どこの情報システム部でも採用は中途のみで、「新卒エンジニア」とはずいぶん疎遠になっていますが……。
バブルがはじけた、景気が悪化した、といっても、ボクが30歳になるころまで続くなんてまだ誰も思っていない、牧歌的なころ。ちょうど15年前に学校を卒業して、社会人になった。
そんなに大きな会社に入ったわけではなかったけれど、数カ月におよぶ新人研修というものを体験できたことには感謝している。
10数人の同期は……ちょうど2年後にボクがやめるころには半分ぐらいになっていた。いわゆる「3年で3割」をずいぶん上回るハイペースだ。
当時をふりかえると、たった15年、されど15年。なにしろ初代プレイステーションが登場したころだ。仕事の環境もずいぶん変わった。
まず、電子メールなど我が社にはなく、自社と客先との連絡方法は電話とFAX。PCも1人に1台などなく、開発用の端末も共有で使用していた。
これは、なにも悪いことばかりじゃない。
マス目つきの紙に手書きでコーディング(なんせAS/400ですから)
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端末の前にすわったら一気に入力、そしてコンパイル……失敗
↓
エラー内容を出力してデスクに戻り、デバッグ
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仮説を立て、次の機会に再トライ、を繰り返す
↓
達成感
うーん、一度デスクで手作業をするっていうのは、たしかに悪いことばかりじゃないけど、やっぱり多分、いまから見ると非効率きわまりない、そんなエンジニア時代だった。
他に思い出すのは
- 以前にも書いた朝の日課:先輩社員の机ふき
- 朝礼、社訓の唱和、そしてなぜか頻繁にまわってくるスピーチ(今ではいい経験だったと思うけど)
- となりの先輩には負けまい! という野心
- 新人同士で話していた不満を、新人研修レポートで主張したら取締役に呼び出されたこと
- 何も分からないまま書き始め、だんだんまともになっていった議事録
- 毎日、終電に乗るため東京駅構内を京葉線プラットフォームに向かって走ったデスマーチ的生活
- 会計の理解が深まるたびに世界がひろがっていった感覚
- 結果を出せないのは、他人のせいではないことに気付いていく日々
などなど……。
うん。ふりかえると、新人時代のボクは、自信に満ちているけれど、思慮浅く、経営的な論理とはほど遠いところに生きる、自分に都合のよい権利だけを声高にさけぶだけの子どもだったかもしれない。
でも、それがまずいか? というと、そうは思わない。
やがて他社の新人と一緒になったとき、あるいは翌年の新人=後輩と話したときの、「何もできないくせにデカイことばかり……」という感覚とその違和感の本質。
そして、やっと気付く自分の小ささ。
でも、新人とはそういうもの(半分はひらきなおり)。
もしかしたら、そのぐらいの気持ちだからこそできた成長もあるかもしれない。
根拠なく「自分は特別だ」と信じて、クチに出す。そんなことできるのは新人だけの特権だ(この歳になって、そんなことをしたら、どうかしたのかと思われる)。
というわけで、今日の教訓は、
「若さゆえのあやまちは、早いうちにやっておこう」
ってことで。
次回は、今回ふりかえる中で気付いた、ボクのなかで15年前と今とで、一番変わったことについて、(できるだけ早く)書いてみたい。
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