倒産からはじまるキャリアアップ
「今日は大事な話があるからまだ帰らないでくれ」
急ぎの仕事を終えた同僚が、早く退社しようとしたら社長にとめられた。その時の言葉が気にかかった。
やがて17時ごろ。初老の男性がやってきた。
全社員が集められ、そして彼の口から終わりが告げられた。
「突然ですが、この会社は本日をもって事業を停止、わかりやすくいうと倒産することになりました。このたび、管財人として……」
その後のことは、よく思い出せない。
最後に「本当に、もうしわけありませんでした……!」と深々とあたまを下げる社長の姿は、どこか遠くのできごとのように現実感がなかった。
29歳になって数日の冬のことだった。
冬のボーナスどころか、今月の給料さえ出ないことにまだ気づいていなかった。
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@IT自分戦略研究所をご覧のみなさま、はじめまして!
このたび@IT自分戦略研究所 エンジニアライフに寄稿させていただくことになりました46(しろー)です。よろしくお願いいたします。
今回は「ドロップアウトからのキャリア七転び八起き」の第1回ということで、ドロップアウト的自己紹介その1、ITとの出会いからドロップアウト~そして無職になるまでをお送りします。
今30代後半のわたしのITとの出会いはかなり早く、8~9歳までさかのぼります。
出版社に勤めていた父がPC(当時はマイコンと言っていた)雑誌の担当になったのを機に、家にPCが転がりはじめ、ゲームなどに触れる中で自然とBASICでのプログラミングに向かっていきました。
「コンピュータでいろいろできるなんて、これはまるで未来社会……!」と中学まではプログラムとの格闘に明け暮れたパソコン少年。しかし、高校でROCKに出会ってからはパソコンにさわる時間がギターにとってかわられて音楽三昧。進路も理系から文系へと大きくシフトしました。
大学でもバンド活動をする中で、DTM(DeskTop Music)で思わぬ形でコンピュータとひさびさの再会。
当初はバンド向けのオリジナル曲のイメージをメンバーに伝えられれば十分、と思うも、性来のオタク心がくびをもたげてきて、気づけば当時少し安くなってきたMacintoshベースでの音楽制作にどっぷりと浸かり、わけのわからない音楽を作っては悦に入っていました。
ちょうど就職氷河期のはじまりの頃。なんとか大学を卒業して会計監査事務所系のシステム会社へ入社した後は、中型ホスト機での会計システム構築プロジェクトなどに携わるも、毎日終電の日々。
忙しいあいまを縫ってほそぼそと音楽活動を続ける中、バンドのコンテストで最終選考まで残ったのを機に、若気の至り。
「人生一度きり。プロミュージシャンになる」と、せっかく入った会社を退社しました。
とはいえすぐに音楽の仕事に就けるアテもないため、とりあえずもっと音楽に時間をとれるようにと、印刷会社でのDTP制作職に就くことに。
住まいも「音楽を仕事にするには東京じゃないと」とのシロート的な思い込みから郊外を出て新宿区へ(家賃を抑えるために築50年モノの物件)。いっぽう収入は激減し、家族からは猛反対をされた。
そして……2000年に、約5年間勤めた印刷会社が倒産。
これが冒頭の場面。この年の収入は300万円に届かず。
とりあえず私物を持って会社を出て、「あ、親に知らせなきゃな」と電話したのを覚えている。
突然の無職生活。ハローワークに通い、失業保険の手続きへ。
ここから今にいたるまで、いろ~んな体験をしながら考えた
- 「キャリアってなんだ?」
- 「給与ってどうやったら上がるの?」
- 「転職面接って何を準備するべき?」
- 「経験がないから経験ができない、を突破するには?」
- 「英語の効能って?」
などなど主にキャリアにまつわる話を書いていきたいと思います。
それでは、次回は自己紹介の後編、IT復帰~現在にいたるまで、を予定しています。よろしくお願いします!
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