ボクは29歳、無職で21世紀をむかえた
2000年の冬、無職となり、ハローワークでの手続き。はじめての経験。
いっしょに職を失った元同僚と、「ミレニアム無職だな」などとわらっていたが、すぐに年は明け、「21世紀無職」の身となった。
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みなさんこんにちは!
前回は、ミュージシャンを志望してドロップアウトした後に、生計を立てていた勤務先が倒産した……というお話でしたが、今回は、そこからのキャリア・リカバリーの一端をえがくドロップアウト的自己紹介パート2。それではどうぞ!
年明けから、失業給付での生活がスタート。支給期間は90日。貯えはほとんどなし。時間はたっぷりあったが、先の見えない休みに、開放感はなかった。
「まるで毎日が日曜の夜みたいだな」、と思った。
職業訓練校に通って、支給期間を延長することも検討した。けれど、説明会に参加したときに、卒業後に就業できるイメージが持てなかったため、選択肢から外すことにした。
無職となってから1カ月半後、意外とはやく社会復帰の第1歩をふみだした。
データセンターでのオペレーター業務。派遣社員としての仕事だ。
夜勤があるが、そのおかげで休みが多い点が、「これなら音楽活動もできる」と魅力に思えた。
面接に行くと、あっさり採用。あとで聞いたところ、新卒のころに受けた情報処理1種をもっていたのが採用の決め手だったらしい。資格に救われた……これが原体験となり、その後の資格マニアっぷりにつながったのかもしれない。
データセンターでの仕事は楽しかった。夜勤がある分、給与も倒産した会社より多く、自由な時間は増えた。元同僚にも紹介して、また同じ職場ではたらくことになった。
しかし、そんな時間は長くはつづかなかった。
2001年9月11日。
忘れもしないこの日。
営業不振から、データセンターの閉鎖が決まった。ハケンの我々の契約は期間満了の10月いっぱいとなった。「楽しい仕事」は、裏を返すと「仕事が少ない」「キケンな仕事」だったのかもしれない。
その夜、現実感がないWTCのニュース映像をみながら、「戦争がはじまるのかな」と思った。
そのころには、もう音楽活動はほとんど行っていなかった。「音楽活動に支障がないように」休みの多い仕事を選んだはずなのに、いつのまにか時間の多くを読書に費やすようになっていた。
呼吸をするようにいつも音楽をつくっていて、音楽がないと生きていけないはずだったのに、音楽をつくらないことが、普通になっていった。
「潮時っていうことなのだな、きっと」
翌日から、10月以降に「正社員」として復帰するための就職活動をはじめた。
方向が決まれば迷いはない。とはいえ、キャリア的にはすっかりドロップアウト済み。職務経歴書と格闘のすえ、Webから複数の人材紹介会社にコンタクトをとった。
いくつかの会社は、面談を設定し、案件を紹介してくれたが、「残念ながら(あなたに)紹介できる案件はありません」と返事をしてくるところもあった。マーケットの非情さについて、わかってはいたけど、やっぱり凹んだ。
しかし、紹介してもらえた企業との面接を受け続けるにつれ、だんだんこの「ゲーム」のルールがわかってきたのか、落とされることは減っていった。最新のIT知識の不足はいなめなかったが、図書館とネットを活用して、付け焼刃なりに身につけていった。
最終的には、リミットとなる10月に、3社から内定をいただくことができた。
A社:ネットワークエンジニア職。ハケン仕事の延長線上だ。もちろん夜勤もある。
B社:外資系製造業の社内SEとして、ERPの担当。はるか昔の会計システムの経験が買われた格好だ。ただし、通勤圏ではないため転居が必要となる。
C社:都内製造業での、おなじく社内SE。というかなぜかチームリーダー。ドロップアウトから社会復帰する人に、なんでいきなり複数人のスタッフをつけてリーダーをまかせようと考えたのかは今でもナゾ。
「いまの仕事よりも、はるか昔の会計システムの経験の方が買われてるんだな」と、この結果をやや意外に思いながら、転居を決意し、B社を選択。社内SEとしてキャリアをリスタートすることが決まった。
管理職待遇のC社をえらばなかった理由は……1つは務まる自信がないから。もう1つは、入り口に社長の銅像があったことから想像される社風に「なじまないだろうなぁ」と。
ちなみに、A社はそのあと上場までした後、数年前に倒産しました……あやうく3度やってしまうところでした!
30歳になる1週間前、ミュージシャンをめざした新宿区のオンボロアパートを6年ぶりにあとにした。がらんどうになった部屋を掃除して出るとき、「こーんなボロいところに住んでたんだ!」ととても感慨深かった(コウモリが住み着くようなところです)のをよく覚えています。
そして社会復帰後、はじめて触れるERPという代物のあつかいを担当し、キャッチアップに追われながら、3年間必死にすごしていたところ、その会社を直前に辞めた人からとつぜん電話がかかってきた。
「ボクに手を貸してほしい。ITマネージャとしてうちに来てほしい」
「いいですよ」
即答した。
その翌日、「そういえば、あの人がどこの会社に移ったのかも知らなかったな」と思い、「ところで、何ていう会社ですか? 場所はどこですか?」とたずねたほど、無頓着に返事をしていた。
理由は、その人の有能さについては、疑う余地がなかったことから、「この人が行く会社なら、まちがいないだろう」と勝手におもいこんでいた。
その後、会社に辞意を伝えたところ、引き抜き阻止のための猛説得がはじまったり、給与額大幅アップのオファーがあったりもするけれど、それはまた別のお話。
3日悩んだ末に、「この魅力的なカウンターオファーも、引き抜きの声がかからなければなかったこと」と考え、引き抜きに乗ることを決めた。
そんなこんなで33歳のとき、都内の外資系製造業のITマネージャに就任した。
……といっても、社内ITのメンバーは、わたし含めて1人。孤独なプレイングマネージャだった。会社の規模は小さくなったが、海外とのやり取りなど責任範囲が大きくなった分、グッと経営層との距離は近づき、視野が一気にひろがった。
このときマネージャとしてのチャンスを与えてくれた上司とともに3年間、1人マネージャ(+アシスタント)を経験したあと、35歳になった自分の今後のキャリアを考えたときに、「スタッフやチームの管理経験がどうしてもこの先、求められる」ことから、上司との目標設定面談の際に「今年は転職活動をします」と伝えて、オープンな転職活動を開始した。
「スタッフを持った経験がないから経験を積むことができない」という「ニワトリが先か~」的なジレンマにさんざん苦労するも、縁あって、3社目の外資系。人材ビジネス会社のIT部の課長として3名のスタッフを持つポジションに就任。
「人の管理」という新たなチャレンジに、日々苦しみながらも楽しんでいます。
ここまでで現在に追いついたわけですが、倒産後、正社員に復帰してから、長かったようで、短かったような7年間。
さまざまな選択とアクションと、そして出会いによって、面白い経験をたくさん積むことができました。
その中で「キャリア」について向き合い、人一倍かんがえてきたと思っています。
さて、次回はドロップアウト的自己紹介の番外編。人生を加速し、ふくらませるための複線化……わたしの場合の「中小企業診断士」や「キャリア・コンサルタント」「ミュージシャン」とその効用について、をお送りする予定です。
それでは、次回もよろしくお願いします!
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コメント
匿名
タイトルに惹かれて見に来たけど。
成功談ですか。
自慢ですか。
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コメントありがとうございます。
期待した内容ではなかったようで申し訳ありません。
とはいえ、これまでの人生で、いちばん時間と情熱をついやした「音楽」で成功していないので「失敗談」でもあります。
自己紹介パートが終わったら、もう少し考えている内容について、拙いながらもアウトプットしていきたいと思いますので、機会がありましたらまたご覧ください。
Anonymous Coward
確かに、薬にも毒にもならない内容だ。
自己紹介も結構だけれど、なぜ自己紹介が必要なのか。
これから先語ることで、自己のバックグラウンドが押えられていないと理解できないような事柄が存在するのか。
もしそうだとしても、語りの中でサラッと触れる程度で良いのではないか?
自分戦略研究所に来ている多くは、ストレートにいえば自分が前に進むための燃料・添加剤を求めてやって来ていると思うので、余計なInputは不要だと私は思います。
はじめまして。
同世代の私としては面白かったです。
受験も下の世代とは桁違いの競争率だったし、バブル世代を見ながら氷河期を向かえ苦しんだ世代ですからね。
バブル世代の人達は良くも悪くもバイタリティがあったから、働くときは滅茶苦茶に働いていました。そのバブル世代を見ている私達の世代は、「必死で働く」の意味が下の世代とは次元が違うと感じてます。
今ほど「あきらめ感」がなかったからでしょうが、今でも努力は報われるということを、やっかむ人たちは気にせずに書いてもらえたらと思います。
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Anonymous Cowardさま、はじめまして。
内容および構成についてのご指摘コメント、ありがとうございます。
万人のInputになることを書くことはできませんが、
どなたかのInputになれるようなことを書いていけたら、と思っています。
機会がありましたら、またお寄りになってください。よろしくお願いします。
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生島勘富さま、はじめまして。
「面白かった」とのコメント、ありがとうございます。
氷河期初期は、その後の「超氷河期」と比べると、まだマシ、との説もありますが、
目の前でとびらが閉ざされたことで、準備や対策ができていないまま臨まなくてはいけなかった世代ですよね。避けようと大学院に進んだら超氷河期に入ってしまったり・・・
「面白い」とまた思っていただけるような記事を書いていけたら、と思います。
よろしくお願いいたします。