いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

努力で解決すべき問題と方法で解決すべき問題

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頑張り過ぎると閃きは逃げる

 日本人というのは、本当に「頑張る」というのが好きだ。頑張れば、竹槍でB29を落とせると、本気で思っていそうなくらい、「頑張」るというのが大好きだ。現代の日本で、竹槍でB29を落とすなんて言ったら笑いものだが、同レベルの無茶を平気で口走る経営者も珍しくない。ちなみに、兵器(B29)と平気をかけた訳ではない。

 頑張るというのは素晴らしいと思う。精神力が鍛えられるし、自分の限界を超える手段として有効だ。ただし、頑張るというのは非常に多くのエネルギーを消費する。ここでよくある勘違いが、頑張ればなにかエネルギーが湧いてくる思われているところだろう。頑張るという手段は、生産ではなく、あくまで消費だということだ。

 そんなことで、どれだけ頑張っても元気にはなりません。常に頑張ろうとすると途中で元気は尽きる。元気が尽きてなお頑張ろうとすると、行動がおかしくなってくる。こうなる前に適切に休むのが正解だ。ちなみに経験則だが、パワハラをする人は、だいたい過度に頑張る人が多い。会社でパワハラする割に、家に帰るといいお父さんだったりする。どうも、頑張り過ぎておかしくなった結果で、人自体がおかしい訳でもないらしい。

 これもよくある勘違いだが、頑張っても大した事は閃かない。むしろ閃くのは、頑張った後に休んでる時だ。頑張りで閃くのではなく、頑張りとリラックスのバランスが取れた時に閃くのだ。これも経験則だが、意固地に頑張る人ほど発想が硬い。頑張りで解決しようとしている時点で、発想の転換をする気がないからだ。また、頑張り過ぎて疲れた状態で頭が働く訳がない。

努力をめぐる勘違い

 一般的な企業では、問題の解決策の筆頭に「努力」という手段を提唱する。ただ、あくまで努力というのは個人の取り組みだ。努力というのは、人の才能を開花させる。だが、いくら努力したとしても人間である以上、限界がある。どんなに努力をしても、時速200kmで走る事はできないし、素手で10トンの岩を持ちあげられない。

 時速200kmで走りたいなら新幹線に乗ろう。10トンの岩を持ちあげたいならクレーンでも使おう。努力は素晴らしいが、そんなことをするより、道具を使ったり、人に頼る等、他のやり方でやる方が早いこともたくさんある。努力はあくまで手段の内の一つでしかない。自分を成長させてくれるが万能ではない。

 問題解決の筆頭に努力を挙げる企業に問いたい。努力って時間かかるぞ。結果が出るまで待てるか?それができないなら、努力を問題解決の手段として活かせない。ものを買うのにお金がかかるのと同じで、努力が実るためには時間が必要だ。短期間で詰め込んだとしても、消化不良を起こす。

 確かに、努力すればその分、成長が期待できるが、無茶な努力では成長を期待できない。苦労した、しんどかった分、成長を期待するかもしれないが、それはまた別の問題だ。苦労やしんどい思いだけでは人は成長しない。あくまで、成長するためのアプローチをしてこそ成長できる。馬鹿みたいに仕事に熱心な人に限って、これを勘違いしている傾向が強い。

何も問題解決できてません!

 タイトルに、「努力で解決すべき問題と方法で解決すべき問題」なんてつけてみたが、よくよく考えてみると、単に労力を割いてしのいでるだけになっていないだろうか。努力すらできておらず、仕組みも存在しない。そりゃ、いろいろ問題が山積みになって然るべきだ。単に苦労したことを根拠に「これだけやったんだから!」と妙な期待を抱いても、問題が解決する訳がない。

 エンジニアをやっていて、仕事に慣れたこととスキルが上がったとを勘違いしている人をよく見る。確かに、報告や連携、フローの進め方は素晴らしいのだが、やっている中身が的外れだったり、無駄が多かったり、中途半端な人はいないだろうか。動き方だけプロで、中身の無い人だ。中身が無いから、動きの多さや見た目でカバーするしか手段が無い。

 こういう、なんでもかんでも労力で解決しようとする風潮になるのは、やはり、評価する基準がないからだろう。評価する基準が無ければ、見た目で判断するしかない。問題解決に対する方法が打ち出せなければ、努力することすらできないということだ。闇雲に動きまわるだけで、労力ばかり無駄に消費してしまう。

 まず、努力で解決すべきか、方法で解決すべきか、という段階に辿りつけているか。ここからチェックする必要がありそうだ。エンジニアやってるのに、全くスキルを磨かなければ、方法以前の問題だ。圧倒的実力不足では、翻弄されるだけで方向が定まらない。故に、適切な努力ができない。そんな状態で問題解決なんて議論しても、ろくな結果がでるはずもない。

努力とか方法以前の問題

 今まで問題が山積みの現場を多く見てきたが、共通しているのは、成果を急いで思考が飛んでいることだ。「進捗!進捗!」と畳み掛ける割に、やっていることは上からの指示をそのまま。進捗を進めるための工夫など何一つしていない。言われたことは熱心にやるが、言われないことに対しては、本当に何もやらない。そういう動き方をする人が多い。中には、このような動き方を推奨する現場も多い。

 また、うまくいかない現場ほど既存絶対主義や、上司に対する絶対服従が徹底している。つまり、個人に対して意見を言う自由が認められていないし、工夫や試行錯誤が認められていない。そんな環境で人が育つ道理も無ければ、活発な意見交換が起きる道理も無い。現場の方針やルールに縛られて動くしかできなくなる。

 コラムのタイトルからいけば、「チームのスキルを底上げしないと、どんなに良い方法論があっても役にたたないぞ!」とか「個人の努力ばかりに頼っていないで、方法論で解決すべきでは?」のような結びにいくのが普通だろう。だが、実際は、努力もしない、方法も考えない。問題解決などできるはずもなかろう。問題解決どころか、問題を直視しようともしていない。

 一定量の試行錯誤がなければ思索は成り立たない。思索もできない状態で、努力で解決すべき問題か、方法を検討しても答えはでない。答えは出なくてもいい。リスク覚悟で行動して、経験を積み、データを揃えよう。それが思考錯誤だ。努力で解決すべきか、方法で解決すべきか、それ以前にしっかり試行錯誤をしておこう。でないと、答えの出しようがないのだから。

Comment(1)

コメント

株式会社カレンコンサルティング 世古雅人

いい記事ですね!
いいツール(道具)があるにもかかわらず、努力・根性論がまだまかり通る日本企業ですが、「最短で最大の効果を出す」という視点を忘れちゃ、元も子もないですよね。

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