いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

機械にできる事は機械にやらせて、人間はクリエイティブな仕事をするだと?それは幻想だ。

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正解は機械に仕事やらせて人間は真摯に遊べ

 どんなに頑張っても、遊びよりクリエイティブな仕事はできない。人間は遊びを通じて学ぶ。また、仕事を通じても学ぶ。しかし、遊びを通して子供は成長するが、仕事を通して成長した子供はいない。仕事で追及できるのは生産性だ。創造性を発揮するものではあっても、創造性を鍛えるものではない。これはよく混同される。

 生産性というのは無限に上がりそうな気がするが、意外と頭打ちだ。素晴らしいものを作れば求める人が増える。だから良いものを作ればいくらでも売れるというのが一般論だ。しかし、過剰な生産性は供給過多を引き起こして無駄な仕事を無尽蔵に増やして、仕事のための仕事ばかりが増えていくことになる。

 人が一番人らしくあるには、必要な分だけ仕事したら、あとは精一杯遊べ。これに尽きる。ただし、遊ぶことと怠けることは違う。遊ぶとは面白さの追求だ。何をすれば楽しいかを突き詰めることだ。単に、食うだけ食って寝たい時に寝るだけでは怠惰だ。創造性とは程遠い、生きながら死んでいるに等しい。

 真摯に遊ぶことでこそクリエイティブになれる。仕事はそれを実現するためのおまけだ。真摯に遊ぶことで多くを学び、精神的な満足を得てこそ良い人生だ。そのために、機械を使って仕事をさっさと片づけて、自身の幸福のために多くの時間を費やすことこそが、あるべき姿だと思う。

仕事が早く片付いたら何をする

 大概の人は、仕事が早く片付いたら更に仕事を詰め込むだろう。だから効率が悪いのだ。人間の体力や気力は無尽蔵ではない。詰め込んだ分、確実に負荷がかかる。そのことを考慮していない。ましてや、詰め込む仕事の量を競ったら、簡単に体力や気力なんて吹っ飛んでしまう。

 もし、仕事で時間的な余裕ができたら、他にやることは無いか探すと思う。そこまではいい。見つからなかったら、仕事を作り出すとする。そうやって、自分には仕事がある、この場所にいる意味があるというのをアピールする。無意味とは感じていても、それをしなければ組織に残れないのが現実だ。

 もし、自動化の仕組み等を導入して仕事が早く済むようになったら、新しく仕事を作る労力が増える。この、新しい仕事を多く作れる人が「クリエイティブな仕事をやる人」ではない。でも、それをやらないと暇な人と判断され、組織にいられなくなってしまう。自動化で時間に余裕ができても、できる行動に制約が多い。なので、結果としてクリエイティブにはなれない。

 仕事が早く済んだら、公園に行ってみんなでドッチボールでもすればいい。むかつく上司に思いっきりボールぶつけてやれ。きっと楽しいぞ。もしくは、ビルの屋上で花の世話でもしよう。他にもやって楽しそうな事はいろいろあるはずだ。そして、片っ端からやってみたらいい。仕事はさっさと済ませて楽しく遊ぼう。楽しさがなければ創造性は発揮されない。

クリエイティブの本質

 そもそも、クリエイティブの本質は、99%の無駄と1%の成果だ。多大な試行錯誤が伴うので、イメージとしてのクリエイティブと実際のクリエイティブには大きな差がある。その無駄の中には、自分の納得の追求、何も考えずに、とりあえずやってみる等、仕事として説明のつかないものが多い。周りから見れば、遊んでいるようにしか見えない。

 「機械にできる事は機械にやらせて、俺様のやりたいようにやってやるんだ!」では、どこかで見た二流の悪役みたいだ。「機械にできる事は機械にやらせて、鼻ほじりながら眺めてまーす♪」では恰好がつかない。「機械にできることは機械にやらせて、人間はクリエイティブな仕事をします!」と言えば、@ITの記事に載せても恥ずかしくないくらいの体裁は保てる。

 成果の1%ばかり語る人は、クリエイティブから程遠い。発想の幅が狭くなり易い。見ている幅が全体の1%だからだ。本当にクリエイティブな人は、無駄の部分の99%をよく知っている。元から見ている幅が違うので、アウトプットされるものもそれに比例して大きくなる。故に、発想力が豊かだったり、新しいものを創造できるのだ。

 ここまで踏まえた上でクリエイティブを語る人は、あまり多くないように思う。クリエイティブの実際とビジネス的な思考には、大きな隔たりがある。特に、ビジネスを語る上でクリエイティブを語る人を見たら、話をよく聞いてみるといい。99%の無駄について触れられているかどうかで、その人の創造性が測れる。

99%の無駄とは何か

 99%の無駄とは、成果として判断できない要素だと考えている。例えば、業務において十分な睡眠を成果として挙げるだろうか?成果として挙げることはできないが、十分な睡眠をとれないと仕事で成果を挙げるのは難しい。では、映画で「シン・ゴジラ」を見て面白いと思うことはどうだろう?人によっては、登場人物がカッコよかったので仕事しようとモチベーションが上がるかもしれない。だが、そんなものを成果として挙げるには、あまりに理屈が通らない。

 「「シン・ゴジラ」で見たオペレーションルームに閃きを得て、オフィスのレイアウトを変えたら、非常に効率よく動けるオフィスになった」みたいに、具体的な結果を出してからでないと、99%の無駄については説明が付かない。最初に「「シン・ゴジラ」で見たオペレーションルームがカッコいい!」という話から切り出すと、だたの幼稚な人と思われるのが関の山だ。

 なので、効率や理屈を追求する組織ほどクリエイティブとは遠ざかる。だから日本の企業はクリエイティブから程遠い。SIerなんて最たるものだ。クリエイティブから遠ざかるとは、硬直化してしまうことだ。硬直化している組織というのは、理屈を通していないのではない。理屈を追求しすぎたが故に動けなくなっているのだ。

 「機械にできる事は機械にやらせて、人間はクリエイティブな仕事をする」という理屈で恰好がつくのも、クリエイティブであることの価値が分かるからこそだと思う。99%の無駄を受け入れるか否かで、その言葉が幻想で終わるか、本当にクリエイティブになれるかが決まるのではないだろうか。

Comment(2)

コメント

完全に同意です。
特に、仕事が早く終われば「次の仕事が待っている」と「遊べる」では雲泥の差があります。
前者であればダラダラ仕事をするようになるのは必然です
前の会社ではみんなダラダラ仕事をしていて、早く終わればその人たちを手伝うので、損でした。
そこは驚くべきことに、プログラミング歴1年未満の後輩の方がタスクが早く終わるような職場でした。
今の会社は結果主義なので、早く終われば遊べますので、今の会社に来て、モチベーションは違うと感じています。

最近のベンチャーは、「クリエイティブ」であり、遊びの部分を重要視するようになってきている求人が見受けられますので、期待しています。

天狗の高下駄

日本人のどれだけが偏見なしに「遊び」を理解してるんでしょうね。
流行っているもの、有名なもの、昔から大人の遊びであったもの。

仕事における遊び(余裕)ですら理解されない状況では、まだまだ厳しいですね。

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