いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

マウンティングより実力行使でいこう!

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とりあえずマウンティングを分析してみる

Webを見ているとマウンティングという行為に対しての批判が目立つ。コラムを書いていると、よくコメントでマウンティングを取ろうとしてくる人がいる。以前はそういう人を鬱陶しく感じていたが、最近は可愛く思えるようになってきた。いままでコラムを長く書いてきたが、思慮深いマウンティングというのを見たことが無い。同じ行為を思慮深く行うと、会話が成立してしまいマウンティングとは違うコミュニケーション手段になってしまう。こうなると、マウンティングの行為の目的である「オレ、凄い!」ではなく Win - Win が達成できてしまう。

ちょっと考えたのだが、故意的にマウンティングするとしたらどうすればいいのだろうか。考えてみると難しい。まず、相手が特定の個人でなければマウンティングにならない。このコラムのように、私、一個人から不特定多数にマウンティングっぽい内容を書いたとしても、意見の発信になってしまい、肯定的で堂々とした感じになってしまう。あのマウンティング特有のいやらしさというのが醸し出せない。だからといって、単に「ばーか、ばーーか」と言ってるだけでは誰も私のコラムを読まなくなるだけで、マウンティング以前にただの自爆だ。

マウンティングという行為の目的とは、相手に屈辱感を味あわせて自分が優越感に浸ることだと思う。多くの人の利益のために行うような、利他的なマウンティングというのも見たことが無い。また、相手に効果的に屈辱感を味あわせるというのも、実のところけっこう難しい。思いつきだけでは実現できるものではない。これをやろうとして思考力を駆使しすると、いい感じに考えが纏まって、優越感ではなく達成感を得てしまい、けなす相手などどうでも良くなってしまう。

幼稚園生などが無邪気に仮面ライダーの真似をしてポーズやっているのを見たことがあると思う。何故か知らないが、「変身!・・・たはぁ。」みたいに、中途半端に決めてその後にくねくねしちゃうんだよね。それが微笑ましくもあるのだけど。マウンティングって、それに似てる。幼稚園生がやっているくねくねしたポーズを大人が再現しようとすると大変だと思う。幼稚園生が何も考えずにやるからできることだ。マウンティングも同じで、何も考えていないからこそできるものだ。そう考えると、マウンティングというのは実にほのぼのとした行為に見えてしまうのは私だけだろうか。

マウンティングで成功するより美女に囲まれてキャーキャーいわれたい

マウンティングする人に問いたい。私に対してマウンティングを成功させるのと、美女に囲まれてキャーキャーいわれるのと、どっちが楽しい?私は美女にキャーキャーいわれる方が楽しいと思う。ネット上で顔も見えない人を悔しがらせても、そいつの顔を見ることができない。そもそも、人が悔しがる顔を見て喜んでいる時の顔って、写真に撮って後で見返すと、だいたい残念な表情をしている。そんな残念な表情より、多少みっともなくても幸せそうにデレデレした表情をしていたい。

そもそも、マウンティングを行為として考えた場合、何か中身がある行動が伴っているか?多分、口しか動いていないだろう。ついでに言うなら、思考力も大して働かせていない。手を動かしていない分、やったとしてもスキルのような形で残るものは無い。思考が伴っていないので、いくらやっても深みはでない。ただ、相手を苛つかせるつもりが自分が苛ついて、深みに「ハマる」ような事例ならたくさん見たことがある。マウンティングをいくら頑張ったとしても、得られるものは何も無いと言い切れる。

だからといって、「マウンティングを止めろ」と言って止める人もいないだろう。あれって、心が承認欲求に飢えているからやる行為だ。止めろと言っても心の渇きを癒やすまで、血を吐いてもマウンティングを止めないだろう。だったら、マウンティングを否定するより美女に囲まれてキャーキャー言われる楽しさを私は説きたい。美女に囲まれてキャーキャーが想像できないなら、会社の会議で筋道立てた説明をしてキッチリ納得させたという経験でもいいだろう。小さくてもいいので、中身のある成功をしたときの達成感の方が、マウンティングの成功より価値がある。

マウンティングしたければするのはいいと思う。誰でも成長の途中でそういう事をする時期があるからだ。マウンティングを叩いて止めさせるより、中身の成長を促して、マウンティングしなくても精神的に安定してもらう方がいい。マウンティングしながらでもいいから、ちゃんと行動して、経験を重ねて、何らか成功体験の楽しさを経験して欲しい。たしかにマウンティングという行為をしている人は恥ずかしい。ただ、そういう人を叩くと、余計に足掻かれて鬱陶しさが倍増する。むしろ、受け入れて生ぬるく見守る方が得策だ。

実力行使で覚悟のある生活を

マウンティングはうざい。マウンティングをするような人を全面否定して、そういうことをさせないというのも分かる。しかし、人が成長する上で、かならずマウンティングをしたがる時期というのがある。そういう人には実力行使をしてみるといいと思う。実力行使といっても、相手の胸ぐらを掴んでぶん殴るということではない。元々の意味は、「ある目的を達するために、話し合いによらず、武力や腕力などをもって実際の行動に出ること。」だが、相手に対して行動をもって示すというくらいに考えて欲しい。

私たちは争いごとを避けすぎてはいないだろうか。「みんな仲良く」で自分の主張を押し殺して、愛想笑いを強要される。そんな偽りな仲良しはうんざりだ。リアル暴力はよくないが、自分の鍛えたスキルで行動に訴えてみるのもいいと思う。暴力ではなく、自分の行動で相手に訴えるのだ。そういう、闘争心を発散することができないと、マウンティングという捻くれた形で闘争心が漏れ出してしまう。どうしても出てしまうものなら、何らか活かせる形で出せばいいのではないだろうか。

行動で訴える以上、失敗したらかなり恥ずかしいことにはなる。失敗すれば残念さに悶えることになるだろう。やろうと思ったら度胸が要る。多少のリスクが伴うが、ため込んだ闘争心を良い形で昇華させるには実力行使が一番だと思う。失敗を糧にとは思わないが、行動しないと経験が積めない。思考するにしても、材料がすくないので幅が広がらないのだ。マウンティングはノーリスクでできる分、何も積み重ならない。単なる攻撃は単に人に迷惑なだけで何も生まない。紳士的に正面切って実力行使というのがいいんじゃないかと思う。

結局のところ、実力行使とマウンティングの違いは行動が伴っているかどうかだ。行動が伴わないから無意味だといいたいとこだが、ちゃんと行動ができるようになれば、ちゃんと結果を出せるようになる。そのためには、単にマウンティングをぶっ潰すのではなく、何かを覚悟するときのスリル、取捨選択の駆け引きでの緊迫感を楽しめるようにしたらどうだろう。マウンティングとい幼稚な行為でも、何らかやりがいを付け加えてやることで一歩先に真価する可能性は秘めている。ただ誤解しないで欲しいが、マウンティングするのは構わないが客観的には恥ずかしい行為だからな。そこはちゃんと気付いて一歩のステップに進んで欲しい。

そんなことでさっそく実力行使だ

さてここからが本題だ。今度、OSC名古屋で登壇する。Powershellについて話すのだが、いつものノリでSIerをDisろうと思う。OSCという場を借りて、技術の話でクソな仕事っぷりへの対抗手段を話したいと思う。技術をもって意見としてDisりたい。コラムでガタガタ言ってるだけではただのマウンティングだ。ちゃんと人が来るところで話をできてこそ実力行使になると思う。

話す内容だが、Powershell云々の話と実際に仕事でどう使っているかの話をする予定だ。ただ、「言われたことを忠実にこなす」ためにスキルを使うタイプの人にとっては面白くない話かもしれない。なぜなら、言われた通りの手法にそって仕事をするならPowershellをわざわざ使わなくてもいい。そこをわざわざ定石を覆してPowershellを使うという話だ。仕事で結果を出すというより、単に人と違うことをしたいといノリが強い。ぶっちゃけ、ネタとして面白ければそれで充分だ。

今私は東京にいるのに、どうしてわざわざ名古屋まで行って話すのか。理由は当然、名古屋観光だ。OSC登壇というプレッシャーを乗り越えたあとの名古屋観光は最高だ。一つやり終えた達成感と開放感が最高だ。いつもOSCで登壇するときは、新しい技術を開拓してネタを探すようにしている。あえてリスクの高いことをやっている。その方がスリルがあって緊張感を楽しめるからだ。登壇という手段を選ぶのは、単に目立ちたがり屋な性格だからだ。そんなことで、登壇を楽しんでいきたいと思う。

簡単なマウンティングよりも、難易度が高い方がやり遂げた時に楽しい。言ったからには有言実行でいきたい。気が向いたら是非OSC名古屋に来て私の話を聞いてみると良い。ノリはIT技術の話というより音楽のライブだ。技術をやることが楽しいと思えるような、そんな話ができたらと思っている。そんなことで、宣伝したいから一本コラムを書いた訳だ。

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