順当な成功率
■一つの試みに対しての成功率
IT系のプロジェクトに関わっていると、普段やらない試みをすることが多い。人が初めて何かをやる時の成功率とはどのくらいなものだろうか。失敗するプロジェクトが多いのは、この成功率の見積もりが甘いからではないかと思う。
この成功率の見積もりだが、仕事が絡むと本来の成功率より高めに設定されがちだ。仕事である以上、やるからには何かの成果が求められる。だが、現実はもっと厳しい。やれば確実に成果が出るほど甘くない。案外、ビジネスライクな人ほど考えが甘いと私は考えている。
■実際の成功率を検討する
どんな産業であれ、自然の摂理という影響を受けている。自然の摂理といっても、天候とか天災とかそういうのばかりではない。ここでは、人の意志だけで制御できない摂理を、自然の摂理と表現させてもらう。例えば、無理すればぶっ倒れる。疲れれば思考力が落ちる。そういうのも自然の摂理に含まれる。
過去のプロジェクトを分析して問題点を洗い出せば、限りなく成功率を高められる。そう考えてる人もいるようだ。しかし、それは無理だと断言できる。事を成す以上、必ず一定の割合で失敗をするからだ。その失敗する割合も、現代人が想定より遥かに高い。
現代人は失敗をすると、よくごまかす。損失が生じるので、素直に失敗を認めない。なので、実際の成功率を認識するのは非常に困難だ。それが、失敗する割合が想定より遥かに高いと考える理由だ。
■成功するためのアプローチ
それでは、プロジェクトの成功率を上げるにはどうすればいいのか。分析や問題点の洗い出しも大事だが、必要な失敗を適切に消化するというアプローチを提案したい。失敗を防ぐのでなく解消するのだ。
こういうアプローチは現代人には理解しずらいと思う。学校の教育にしても、会社の仕事にしても、常に勝ち続ける、常に成功し続けることが前提になっているから、そこから外れることを異様に嫌う。
確かに、失敗すると心理的、経済的、いろいろな方面にダメージがある。だが、必要以上に失敗を恐れると、決断が遅れる、無難な方法しか選べなくなるという弊害が起きる。今の大企業がイノベーションをおこせない原因がこれだ。
■失敗という名の精算
失敗自体は悪いものではない。未知な対象に対して何らかのアクションを起こせば、失敗する確率は上がる。失敗することで、現実と自分の考え方のズレを認識して、より適切な手段を選べる。そのためにどれだけの代償が必要か。それは人間が決めることでなく、やったことの蓄積によって決まることだ。
失敗とは、自分の積み重ねた間違いに対する精算だ。この精算を行わずに成功することは、借金して高い買い物をするようなものだ。繰り返せば、いつか代償を払うことになる。ましてや、何の苦労もせずに借金をしていたら、代償を払う手段すら無い悲惨な状況が待っている。
現代のIT業界とは、まさにこの悲惨な状況なのだろう。だが悲観する必要は無い。新たな成功を求めるのでなく、上手な代償の払い方を模索すればいいのだ。必要なのは、成功事例ではない。失敗への向き合い方だ。
本当の成功とは、身の丈に合った利益を負債を抱え込まずに得ることだと思う。何のリスクもなく大きな利益を得ることではない。きちんと失敗も受け止めていけば、身の丈に合った成功はそれなり訪れる。その確率は納得のいかないものかもしれない。だが、それが順当な成功率だと思うのだ。