Windows Serverを中心に、ITプロ向け教育コースを担当

漫才コンビは私生活でも仲が良いわけではない

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月刊「Windows Server World」の連載コラム「IT嫌いはまだ早い」の編集前原稿です。もし、このコラムを読んで面白いと思ったら、ぜひバックナンバー(2007年3月号)をお求めください。もっと面白いはずです。なお、本文中の情報は原則として連載当時のものですのでご了承ください。

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 人気漫才コンビの多くは、私生活では一緒に遊ばないという。「仲が悪い」と言い切る人もいる。どこまで本気のコメントか分からないが、ある程度は真実なのだろう。今月は、仕事上での付き合い方について考える。

 インターネット総合研究所代表取締役の藤原洋氏は、グループ企業向けのイベントで「ベンチャー企業で最も避けなければならないのは仲間割れだ」と力説したが、続けて「仲良しになる必要はない」と言った。

 思うに、必要以上に仲良くなると、相手の悪い面が見えなくなるからだろう。「あいつとは一緒に遊びたいとは思わないが、あいつの能力は信頼している」という関係が、適度な緊張感を生み、高い生産性を発揮するようだ。

 仲良しグループで作った会社は、いったん人間関係がこじれるとひどいことになるらしい。同僚が以前勤務していた会社では、派閥ごとに秘密会議が開かれ、互いに相手を陥れようとしていたと聞いた。

 そんな状態で業績が伸びるはずもなく、間もなく部門売却などを繰り返し、会社は事実上解体したという。単なる仲良しグループではなく、好き嫌いを超えて評価できる能力をお互いに認め合っていれば、会社が解体することはなかったかも知れない。

 ただし、実際に仕事を円滑に進めるには、私的なコミュニケーションもある程度はあった方がよい。多くのプロジェクトで、スタート時にパーティが計画されるのはそのためだ。

 プロジェクトは、目的と期間が決まった仕事である。ほとんどのプロジェクトは、いくつかの工程に分割され、ある工程を終了して始めて次の工程に進める。こうした工程の区切りでも小規模なパーティ(宴会)が行われることがある。

 会社の日常業務では明確な工程の分離がないので、半期や四半期といった会計上の区切りで宴会を行うことが多い。こういう場にはなるべく参加した方がよい。仲の悪い漫才コンビも、出演番組の打ち上げには参加するだろう。番組スタッフと交流を深めることが次の仕事につながるからだ。

 仕事をしていると、正式な業務ではなく、非公式な形で相談したいことも多い。このような場合、私的な関係が役に立つ。

 無理な仕事を依頼するときも、相手の性格を知っていれば便利である。情に訴えかけると弱い人には泣き落としで迫る。自分のキャリアに役立つかどうかを重視する人には、その仕事でどのようなキャリアを積めるのかを明示する。あくまでも部署の業績にこだわる人には、仕事の結果得られる利益配分を調整する。こうした対策を考えておくことができるからだ。

 仕事仲間と飲みに行くのは日本だけではない。韓国ドラマ「冬のソナタ」に「ぼくは、君と一緒にいたいから食事に誘っているんじゃない、その方が仕事がしやすくなるから誘っているんだ」という台詞があった。

 米国でも、プロジェクトの要所要所でパーティが開催される。筆者は、Windows XPの開発が大詰めを迎えた頃にマイクロソフト本社で研修を受けた。そのとき、同じクラスだったマイクロソフト社員に「金曜日はパーティがあるから一緒に行こう」と誘われた。正直言って、趣旨はよく分からなかったが、毎週金曜日はWindows XPの開発チームを中心に、社内食堂を使ったパーティが行われていたのだった。

 その場で、友人の友人ということで紹介してもらったのが、マイクロソフトの教育コンテンツを提供している部門のマネージャだ。おかげで、日本の状況を直接伝えることができた(筆者の本業は、マイクロソフト製品の教育コンテンツの企画・開発・実施である)。キーパーソンと直接コミュニケーションできるのもパーティのいいところだ。

 部門の飲み会を企画するときは、直属上司だけではなく、さらにその上司も呼ぶといい。可能なら役員クラスの人でも呼んでみよう。ちょっと緊張するかもしれないが、現場の声を伝えるいい機会である。

 江戸時代、指揮系統の秩序を乱すということで、直訴は(訴え自体は検討されるものの)厳罰の対象だった。今はもちろん(多くの会社では)そんなことはない。多くの経営者は現場からの直接の声を聞きたいと思っている。経営者の方も、社員と話をするきっかけを探しているものだ。

 事前に企画されたものではなく「仕事帰りにちょっと一杯」は、日本の会社における伝統的なコミュニケーションである。俗に「飲みュニケーション」と呼ぶ。

 一緒に食事をすることは人間関係の構築に効果的である。毎回とは言わないが、時間があれば時々は参加してみよう。仲良しになるのが目的ではない。今後の意思疎通をしやすくするための調査だと思って欲しい。

 一時期(特にバブル景気頃)、「飲みュニケーション」を拒否する人が増えた。飲みに行っても、主な話題は仕事上の愚痴、上司の悪口、部下への説教、同僚のうわさ話ということになっているからだろう。確かにそうだとしたら、あまり楽しいものではない。

 しかし、実際には「飲みュニケーション」が楽しいかどうかは相手による。当然の話である。初めての人と飲みに行く場合、以下の点に注意して参加しよう。

1.セクハラ対策

 厚生労働省作成のリーフレットによると、男女雇用機会均等法では、セクシャルハラスメント対策が義務づけられている。

 勤務時間外でも会社の行事や、会社の業務との連続性があれば「社内セクハラ」とみなされる。慣れるまでは、同性でも異性でもいいので信頼できる人と一緒に行くのが一番良い。

 逆に、加害者とみなされる可能性のある人(必ずしも男性とは限らない)は、親しくなるまでは1対1になるような誘い方は避けた方が無難である。また、個人的な人間関係や容姿について、あまり深く詮索しないように心がけたい。

 セクハラで恐いのは報復人事である。もちろん、法律で明確に禁止されているのだが、しばしば発生する。まず上司、次に人事部に相談し、それでだめなら社長と直談判する。

 ただし、筆者の知っている例では、セクハラを人事部長(女性)に訴えたら「あなた、何が目的なの」とひどいことを言われた人もいる。同性だからと言って安心はできない。

 結局、被害者が自ら退職するという最悪の結果になったそうだが、別の社員が全社的な問題に広げて、正式に謝罪をさせたと聞く。再発を防ぐ効果はあっただろう。

2.アルコール強要の回避

 最近はずいぶん減ったように思うが、会社によってはまだまだあるようだ。「アルコール飲めません」シールなどもあるようだが、そんなものを使わなくても「飲めません」と言えばよい。

 「オレの酒が飲めないのか」と言われたら「あなたの酒だから飲めないんです」と言ってやればよい。いや、それは言い過ぎか。体質によっては、アルコールの過剰摂取で死ぬこともある。

 自分にとっての適量をきちんと把握しておこう。セクハラと違って、報復人事はあまりきかないので心配はいらない(たぶん)。

3.上司の悪口・部下の説教・同僚の愚痴の聞き流し方

 最も困るのがこれである。愚痴の中には、会社の状況を改善するためのヒントも隠されているので、完全に無視することは適切ではない。適当に聞きつつ、適当に聞き流すスキルが必要である。担当を決めて交代で対応するのもいいだろう。

 筆者の場合は、いったんトイレに行ってから別の席に逃げることにしている(その後、近くにいた別の誰かが犠牲者になる)。

 それでも、上司の悪口や同僚の愚痴はまだいい。適当に相づちを打っておけばいいからだ。問題は自分への説教である。これはなかなか逃れられない。うまい方法があったら教えて欲しい。もっとも「良い上司」と呼ばれる人は、あまりくどくど説教しないものである。無駄に長い説教をされそうな人を見分ける嗅覚は養った方がいいだろう。

 私的な人間関係は仕事の幅を広げる。無理のない範囲で「飲みュニケーション」を図って欲しい。

 ただし、忘れてはいけないことがある。プロは仕事の内容で勝負することが第一だ。一般に、プロフェッショナルは、高い専門能力を持った人には敬意を払うが、できないやつとは表面的な付き合いしかしない。単に飲み会に出席するだけではなく、並行して自身の能力を高めていきたい。

 最近は、飲みニュケーションに積極的な若者が増えているそうだが、単に酒を飲んで世間話をして終わりなら意味がない。

「アマは和して成し、プロは成して和す」

■□■Web版のためのあとがき■□■

 「冬のソナタ」に続いて、韓国ドラマをいくつか見た。シリーズ全話を見るほど熱心ではないが、どれもけっこう面白かった。

 よく指摘されるように、韓国ドラマには、1970年代の日本のドラマ手法のいくつかがそのまま使われている。「冬のソナタ」を見ているとき「これで、本当は2人が兄妹だったらお笑いだな」と思っていたら、実際に兄妹疑惑が持ち上がった。実に分かりやすい展開である。

 1970年代のドラマの定番は、主人公たちは「実は親子」「実は兄妹」であり、一方(たいていは女性)が不治の病にかかる。病名が告知されることはない。

 白血病は、当時は不治の病だったので「再生不良性貧血」ということになった(再生不良性貧血も恐い病気だと知ったのは後の話である)。ガンも、当時既に種類によっては不治の病ではなかったのに、絶対に告知されない(が、主人公は必ず気付き、肉親を問い詰める)。

 分かりやすい展開が悪いわけではない。山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズなど、毎回同じストーリーを踏襲しながら、見るものを引きつける。筆者は、わざわざ映画館で見ようとは思わないが、テレビで放映していたらつい見てしまう。

 2時間枠のサスペンスドラマや、時代劇なんかも同じである。「水戸黄門」も「暴れん坊将軍」も、5分見たら、つい(少なくともしばらくは)見続けてしまう。どれも、ストーリーは毎回大差ないのに、いやストーリーが大差ないからなのだろうか、実に素晴らしい演出である。

 ところで、これら定番の作品の演出に比べ、一般のTVドラマやTVアニメの演出は少々控えめに思える。「「魔法の天使クリィミーマミ」に見る職業観」の原稿は「魔法の天使クリィミーマミ」のDVDを見ながら書いていたが、それほど気は散らなかった。

 大方のストーリーを知っていたせいもある。しかし、それだけではない。その証拠に、付録として収録されていたオリジナルビデオに切り替わったとたんに仕事ができなくなったのである。以前見たことがあり、ストーリーも知っているのに、まったく眼が離せないのである。

 制作費を抑えると演出の質が落ちるということは、かつてビデオ教材の制作で体験したことがある。

 アニメの制作費は意外に安いと聞くが、そのことがTVシリーズの演出にも影響しているのであろうか。また、同じ低予算でも、オリジナルビデオの場合は、スタッフの意気込み違うのだろうか。よく分からないが、新たな発見であった。

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