@IT自分戦略研究所 メールマガジン「@IT自分戦略研究所 Weekly」に載ったアイティメディア社員のコラムを紹介します。

矛盾の意味

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 2008年12月12日の「@IT自分戦略研究所 Weekly」に掲載したコラムを紹介します。数学の等式は美しいですが、数学のようにきれいな答えが出ないところに、人や社会の面白さがあるのかもしれません。

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 「『物事をはっきりさせること』が、そんなに重要なのか!」

 先日、先輩にいわれてハッとした言葉だ。先輩の営業先に同行した際、いつもお客さまへの対応として心掛けていることを話し合っていた。

 自分と先輩の考え方が随分と違ったため、議論がヒートアップしていったときのことだった。急に先輩が、「まあ、お互い頑張ろう」みたいな発言をし、議論を止めようとした。それに対してわたしが「いい加減な返答しかしないのはなぜだ」と噛みついたところ、出てきたのが上の発言だったのだ。

 わたしはこれまでずっと「何かをはっきりさせること」「相手ときちんと対峙すること」が社会人(大人)には必要で、自分の疑問には必ず答えがあると考えていた。自分で考えても分からなかったとき、迷ったときには、方向を指し示してくれるのが社会や年長者の務めだと思っていた。

 学生時代、いや、社会人になってからも、課せられたハードルに対して、より高く、速く、遠くへ飛ぶことさえすれば周りからは認められた。答えは常に存在し、それは狭い社会において絶対的な正義だった(少なくとも、わたしの中では)。

 しかし、当たり前だが物事は常に相対的で移ろいやすく、その原型を留めることはしない。ほとんどの問題に対して、答えなどありはしない。それが唯一の答えではないだろうか。

 分からないこと、矛盾した問題に対して批判することはもちろん必要だし、大事なことだ。一方で「矛盾したものが発する意味」をきちんと咀嚼(そしゃく)し、あえて明らかにしないこと、明らかにならないことに関して折り合いを付けることが、大人になるということなのかもしれない。

(ITインダストリー事業部 アカウント営業統括部 山田竜司)

Comment(4)

コメント

石神

落とし所を見つける、大人の対応、それは本当に大切だと思います。
ただ、私はそれでもロジックにこだわり続けようと思っています。
「どうせ答えが出ないから考えない」になってしまわないように。

無理かもしれないと思っていても、「数学のようにきれいな答えが出ない」と
現時点で思われているようなことに、「誰もが納得できる答えを出す」
ことができたらなぁと、考えています。

突然失礼しました。「何かをはっきりさせること」に未だに
こだわり続けるものとして、反射的に意見を言いたくなってしまい
書き込みました。
「大人になる」って何なのか、私ももう一度考えてみます。

大久保

人の世界では「物事ははっきりしていく」のもなんだと思います。
特に、答えはない。
人は、物事をはっきりとさせる方が精神的には楽で、安心するので、はっきりさせようとしますが、そうすると失敗するんだと思います。方向性を出すのは大切ですが、合ってるのか判らない不安を持ちつつも、手探りで先に進み、結果をもって「物事をはっきりさせる」ことになるのだと思います。

河合

河合です。

物事をはっきりさせること、大切だと思ってます。
ただし、仕事では時としてこうならないことがありますよね。

だれかが「納得解」という言葉を使っておりました。

双方が歩み寄ったポイントという意味だそうです。

ADA

「はっきり」させるべきことは断固「はっきり」させるべきだし、そうでないとこは「落としどころ」という大人の概念で曖昧にすればいい。なにを「はっきり」させ、なにを「はっきり」させないか
という判断こそ大人の「分別」ってものじゃないでしょ
うか。

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