二項対立的な落とし穴に陥らないためには
2005年9月21日の「@IT自分戦略研究所 Weekly」に掲載したコラムを紹介します。二項対立は便利ですが、事象を単純化し過ぎる傾向にあるので注意が必要ですね。ちなみに本文中の「スキゾ」「パラノ」とは、(いうまでもないでしょうが)浅田彰の『逃走論――スキゾ・キッズの冒険』から。懐かしいなあ。
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皆さん、お元気ですか? まだ暑い日もありますが、ようやく秋の深まりを予感させる気候になってきました。
ごく最近、二項対立的な思考法について考えさせられることがありました。ずいぶん前ですが、「ポスト構造主義」が持てはやされた時期には、「スキゾ(精神分裂)」と「パラノ(偏執症)」の二項対立が話題になったものです。この二項対立(「二項対比」と呼ぶべきかもしれません)的な物事の整理法は、文化などの特性を語るのに便利な方法なので、よく用いられますね。「個人主義的」対「集団主義的」、「ロゴス」対「パトス」、「右脳的」対「左脳的」(?)というものまであるようです。
さて、私がときどき無自覚に依拠してしまうこの手の対比に、「農耕民的」対「狩猟民的」があります。農耕民は反復的な作業に耐え、飽かず種を撒き果実を育んでいこうとするもので、何より忍耐強さが特徴です。しかし、農耕民的という言葉には往々にして「工夫がない」「(新規分野への)感覚が鈍い」など、ずいぶんひどい批判が含まれるのが普通です。
対して、狩猟民的(「ノマド的」とも呼びますね)はどうでしょう。定住を嫌い獲物を追って移動を続ける「行動的」スタイル、獲物との格闘に際して成否を決める「俊敏性」、五感に頼り直感的に行動することなどが美点です。時代背景もあるのでしょう、こちらはぐっと肯定的な意味で使っていることにわれながら気付きます。
しかしながら、考えてみると、獲物を追い求めて移動するだけ移動する、というのでは経済法則に合致しない気がします。何より体力の無駄遣いでしょう。わななどを設けてじっくり獲物の到来を待った方が賢そうです。さらに、定住を嫌い移動を好むとはいっても、行ったきりではなく一定の空間を巡回しているようにも想像します。狩猟民とはいえ派手に飽きっぽく生き続けるわけにはいかず、繰り返しに耐え、その中から生活の糧を見いだす思考法を生み出すはずなのです。
なるほど、自分の思考の整理法は何ていい加減なのだろうと思い始めました。反省を始めると思い付くことがあります。例えば農耕民的な思考には、時間をかけて品種を改良するなど研究開発志向があるのかもしれません。ぶらぶらしていれば「おいしい話(獲物)」にばったりと出合うかも……という仮定的な生き方より、効率の良い生活法かもしれません。こつこつと仕掛けづくりを進めて確度を高めるのです。
というわけで、どうやら自分の現在を反映する価値観に、俊敏性や創意工夫、新しいことへの挑戦などに期待する、ステレオタイプな思考があるらしいと感じています。自分にないものに期待するあまり、そのような浅い理解の文化論に飛びついてしまうというわけです。もちろんこのような思考が役に立つときもあります。比喩(ひゆ)として人の理解を促す際には分かりやすい議論を構成できます。しかし本当の意味での創造的な議論に不向きなことは見てきたとおりです。
現状を打破しようとする際に、二項対立の対極に飛びつきたい気持ちが高じます。しかし現状を生むのもそれを打破するのも、自分以外ではあり得ませんね。ない物ねだりの思考法が、現状の解釈を浅くすることに気付くことは重要です。最近得られた小さな発見でした。
(代表取締役会長 藤村厚夫)