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小説「わたしのみらい」―36歳、転職の現実

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 あるエンジニアの歩み方を小説として連載しています。初回の物語はこちら、前回の物語はこちらです。

 (独立か…)

 今までも考えたことがないわけではなかった。独立して自分がやりたい仕事を好きなようにできることに、一種の憧れのようなものを持っていた。システムを作る技術力やセンスには自信がある。以前パートナー会社の社員にこんなことをいわれたことがある。

 「近藤さんって、スタットシステムズのブレインですね。技術的に難しそうなシステムでもきっちりと作ってくれますし、不具合も少ない。だから、近藤さんに任せておけば安心できます。近藤さんの実力なら、独立しても大丈夫なんじゃないですか? 応援しますよ。」

 独立したら、パートナー会社が仕事を回してくれるかもしれない。

 (独立するためには、プログラミングのスキル以外に何が必要なんだろう? パートナー会社と取引するってことは、少なくてもお金に関する知識は必要だよな。請求書ってどうやって出せばいいんだろう? 領収書ってどうやって事務処理するのかもわからない。今までは経理任せだったもんな)

 憧れがある一方で、独立するためには何が必要なのかを考えれば考えるほど面倒臭くなる。とりあえず転職先を探すことにした。

 上司の笠原に転籍の話を聞いてから1週間が経とうとしていた、会社は3日休んだが、いつまでも体調不良という理由で休むわけにもいかないし、今進行中のシステム開発を止めて仲間に迷惑をかけるわけにはいかない。

 タケシは仕事を続けながら転職活動をしようと考え、インターネットの転職サイトに登録した。この転職サイトでは、転職の条件や職務経歴を匿名で登録しておくと、企業側からオファーをくれるような仕組みになっている。登録して1週間後、「あなた様のスキルや経験を弊社で生かしませんか?」というようなオファーのメールが数社から届いた。その中の数社にメールで連絡を取り、面接の日程を決めた。

 「オファーのメールが来るってことは、オレも捨てたもんじゃないってことだよな」

 タケシは、届いたオファーメールに返信しながら、転籍を告げられ、失いかけた自信少しだけ取り戻せた気がした。

 ある日の午後、会社を半日休んで面接に挑んだ。スタットシステムズと同じ規模のシステム開発会社だ。転職が始めてのタケシにとって、面接で何を聞かれるのか多少の不安はあった。だが、リクルートスーツに身を包んだ新入社員じゃあるまいし、オブラートに包んだ奇麗ごとではなく、今思っている本音をぶつけていくことに決めていた。

 受付でアポイントの確認を取ると、応接室に通された。喉が渇いてしきりに唾を飲み込む。静まり返った応接室で革張りの椅子にすわり、深呼吸をする。胸の鼓動が早くなっているのがはっきりと分かった。

 (大丈夫。今までやってきたこと、これからやりたいことをそのまま話せばいい)

 しばらくすると、ドアをノックする音が聞こえた。50代後半と思われる大柄な男の後に続いて、40代前半と思われる、やや若そうな男が応接室に現れた。

 「お待たせしました。近藤さんですね」

 「はい、近藤タケシです」

 相手が名刺を差し出してきた。名刺を出そうと上着の内ポケットに手を入れかけたが、これから転職しようと言うのに、今の会社の名刺を出すのは不自然かと思い、慌てて手を下ろした。相手の名刺には、人事部長とシステム開発課長と書かれている。40台前半のこの人が、未来の上司になるのだろうか?

 椅子に腰掛けると、人事部長がこう切り出してきた。

 「この不況の時に、なぜ、弊社に転職しようと思ったのですか?」

 「実は……」

 会社からリストラされそう……と言いかけたが、印象が悪いかと思い、一度口から出そうになった言葉を飲み込み、こう続けた。

  「わたしはプログラムが作ることが好きです。システムを作ることが好きです。これまでも、大手企業など、数多くのシステム開発に参画してきました。特に、インターネットの技術を中心にしたシステム開発には自信があります。わたしは今後も、システム開発の現場で技術力を生かしたいと思っています。ですが、現在の会社ではスキルを生かすことができず、御社への転職を希望しました」

 「なるほど、技術者として活躍したいんですね。よくわかります。弊社にもそういう社員がたくさんおりますので。逆に、弊社ではリーダー層が不在で困っているのです。ところで、近藤さんはプロジェクトリーダーの仕事についてはどうお考えですか?」

 36歳という年齢を考えるとこの質問は妥当だった。ここで変にウソをついてリーダーにされても困る。自分の気持ちを正直に話すことにした。

 「わたしもこれまでチームで仕事をする機会もありましたので、プロジェクトマネジメントの重要性はよく承知しています。ですが、わたしは開発の現場に身を置きたいと思っています。先ほども申し上げたように、わたしはプログラムを作ることが好きなんです」

 この後、システム開発課長から、これまでどんな仕事をしてきたか、どんなスキルを持っているかをヒアリングされた。

 「近藤さんのお気持ちはよくわかりました。それでは、面接の結果は1週間ほどで改めてご連絡されていただきます。本日はご足労いただきましてありがとうございました」

 今日の面接が終わった。

 面接の結果の連絡はまだ来なかったが、その後もいくつかの会社の面接を受けた。どの会社に行っても、「将来はリーダーになって欲しい」という会社がほとんどだった。36歳という年齢を考えれば、それは、当然のことだと頭ではよくわかっていた。

 だが、タケシにとっての転職条件は「とにかくプログラムを作り続けること」。それが叶うのなら、少しぐらいは給料が下がってもいい。単純にプログラムを作りたい。ただ、それだけだった。一方で、それは、それ以上のことはあまり考えていないことを意味していた。

 ある面接で、小規模のシステム開発会社の経営者と面接を受けた。今までの面接のように「プログラマとして現場で働きたい。プログラミングを極めてみたい」ということを告げた。その言葉を聞いた経営者は、タケシにこういった。

 「残念だけど、プログラマとしては採用できないな。正直なことを言えば、プログラマならもっと若い人がいい。近藤さんは、仕事への情熱は前向きだし、プログラムを作り続けたいという気持ちはよく分かる。20代ならそれでもいいのかもしれない。だけどね、いくら『極めたい』と言っても、それだと趣味の域を超えていないんだよね。趣味はお金をもらってやるもんじゃない。お金を払ってやるものだよ。そんなに極めたいのなら趣味でやればいいじゃない。近藤さんの場合、視点が自分にしか向いていないんだよね。お金をもらって働くプロだったら、自分自身のスキルを極めたいだけじゃなくって、仲間とかお客さんとか、他の視点も必要なんじゃないかな」

 ショックだった。顧客への視点が必要なことぐらい、言われなくても分かっていた。純粋な気持ちでプログラムを作りたい……ただそれだけなのに、エンジニアのど真ん中にあるものを否定されたタケシは、人格を全否定されたような気持ちだった。

 (こんなに現場で働きたいという気持ちがあるのに、オレは、やりたい仕事をすることも許されないのか……)

 これが、36歳、転職の現実だった。

 これは物語です。話の展開上、特定の個人、企業、商品名等を連想させる表現が場合によってはあるかもしれません。 いずれの場合においても、それらを批判、非難、中傷するものではございません。主人公が成長する過程で起こりうる思考や体験を再現するものとして、ご理解 いただければ幸いです。

Comment(4)

コメント

第3バイオリン

竹内さん

第3バイオリンです。

なかなかハードな展開になってきましたね。

「視点が自分にしか向いていない」という一言は、私にとってもズキッときました。
私自身、自分のためだけにスキルアップを図って、行き詰まりを感じたことがあります。
なんというか、それだと身に付けたことがうまく生かせないというか
「身に付けた」時点で止まってしまってそこから先に進めないような感じになってしまったのです。

身に付けたスキルを誰のために生かすか、それを考えられることができるように
なったことで、行き詰まりを打開することができたように思います。
(実際にできているのかといわれるとちょっと怪しいところもありますが)

第3バイオリンさん、コメントありがとうございます。

> 身に付けたスキルを誰のために生かすか、それを考えられることができるように
> なったことで、行き詰まりを打開することができたように思います。

すばらしい体験をされているのですね。
タケシにも「誰のために生かすかを考えてみたら?」と伝えておきます。

こんばんは。「自由業」と「生活保護」や「無職」や「年金生活者」の間を激しく行ったり来たりしている田所ですw

人間はやがて加齢します。いつまでも「選手」ではいられないのです。「バッティングコーチ」になったり「監督」になったり「野球解説者」になったり、自分のお店を持ったりします。野球に例えるとわかりやすいですかね。

タケシくんも「選手」を続けたいが、有能な「選手」なら、若い子が次々デビューしてくる。毎年毎年。でも、誰しも「監督」になれないし、有能な「選手」が、果たして有能な「監督」たり得るのか。そんなところで、逡巡しているのだと思います、タケシくんは。

では~。

田所さん、コメントありがとうございます。

タケシがどのように成長していくのか、見守ってあげてください(笑)。

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