小説「わたしのみらい」―偶然の出会い
あるエンジニアの歩み方を小説として連載しています。前回の物語はこちらです。
◇
「あ~、やっぱり近藤君だ~」
「神谷さん!」
神谷茂は、以前、タケシと同じ会社「スタットシステムズ」で働いていたプログラマの先輩だ。技術力では一目置かれたプログラマだったが、神谷は35歳のときに突然会社を辞めた。
送別会の最後の挨拶で、神谷はプロジェクトメンバーの前でこう言った。
「いや~、この会社で仕事ができて、本当に楽しかったです。みなさんと一緒に働けたのは最高の経験になりました。本当は、これからも一緒に働きたかったんですけど、マネジメントの仕事が増えてきちゃって……ボクは、以前から、エンジニアとしてもっとプログラミングを極めたい、技術を追求したいと思っていたので、今回、残念ですが、転職という道を選択することにしました。みなさん、ホントすみません。わがままを許してください。」
当時のタケシは、まだ会社に入って4年目。会社への不満は多少あるものの、仕事自体はそこそこ楽しく、会社を辞めてまでプログラミングを極めたいという神谷の気持ちはよく分からなかった。その一方で、自分の意思を貫いて会社を辞める神谷を、なんとなく格好いいと思っていた。
久しぶりに見る神谷は、ラフではあったが、高襟で淡い水色のストライプが入ったシャツに、品のよさそうなジャケット、黒のスリムのジーンズをはいている。
「近藤君、こんなところで何をしているの? クライアントのところにでも行ってきた帰り?」
タケシは、手にしていた転職情報誌を慌てて隠そうとしたが「時すでに遅し」だった。
「転職?そうかぁ、近藤君もそういう年齢になったか。近藤君は今いくつ? 31、2歳?」
「ボクですか? 36歳ですよ」
「おぉ、もう36歳か。僕がスタットシステムズをやめたのもちょうどそのぐらいの歳だったかな。そうか、転職か。エンジニアって迷うんだよね。そのぐらいの年齢の時ってさ。『このままでいいのかな~』って、自分の方向性に悩むっていうかさ。で、転職先の目星はついているの?」
(別に、転職したくてするわけじゃないんだけどな)
心の中でつぶやく。
「いや~、あの~、実はボク、会社を転籍になりそうなんですよ。転籍といえば聞こえはいいですけど、いわゆるリストラってやつみたいです。最近、不況で会社の業績があまりよくないらしくて……」
「え? そうなの? 転職じゃなかったんだ。ごめんごめん」
「いえ、全然大丈夫ですよ」
全然大丈夫じゃなかった。
神谷は、タケシの空いている向かいの席に座り、コーヒーをすすりながら続ける。
「でも、いいきっかけができて良かったじゃないか」
「会社をリストラされるのがいいきっかけって、そんな……」
タケシには、神谷が何を言いたいのかまったく理解できない。
「あ~、またしてもごめんごめん、悪気があったわけじゃないんだ。これをきっかけに、改めて自分を見つめて、自信を持って仕事に取り組めるようになればいいねって意味だよ」
(36歳で新しい仕事探しだぞ…)
神谷の言葉を聞いても、タケシの心は晴れなかった。だいたい、転職情報誌に書かれている「35歳からの転職は厳しい」という現実と神谷の話にはギャップがありすぎる。普通に考えたら、転職情報誌に書いていることのほうが、タケシには信じられるのだった。
「ところで近藤君は、将来何をしたいの?」
唐突な神谷の質問に、タケシは答えに困った。小学生じゃあるまいし、社会人になってから将来何をしたいのかなんて考えたことがない。
(ボクは将来どうしたいのだろう? プログラマ? 確かにプログラマは楽しい仕事だということには変わりはないけど……)
「そうですね、とりあえずプログラムを作ることが好きなので、プログラムでメシが食っていければいいかなあと、なんとなく思っています」
「そうか、プログラムでメシを食って行きたいのか。それは良いことだね。じゃあ、今回はせっかくの機会だし、独立してやってみたらどう?」
「独立……ですか? そんなことできるわけじゃないですか。だいたい、独立なんでとうしたらいいのか全然わかりませんし、今のこの不況の時代に、プログラマなんかで独立して食っていけるわけないじゃないですか!」
突拍子もないことばかりを口にする神谷に、タケシの口調は強くなりかけた。イライラしていた。
(神谷さんだって同じIT業界にいたんだから、35歳からプログラマの仕事を続けることがいかに難しいかってことぐらいわかっているはずだろう? そうだ、神谷さんだって、プログラミングを極めたくて会社を辞めたんだったな。神谷さんは会社を辞めてからどうだったんだろう? プログラマの仕事をしているのだろうか?……)
タケシは、気になって聞いてみた。
「ところで、神谷さんが会社を辞めたのは、ちょうどボクと同じぐらいの年齢の時でしたよね? 確かあのとき、プログラミングを極めたいとおっしゃって辞めたと思うんですけど、その後、どうしていたんですか?」
神谷は、少しバツが悪い表情になった。
「ボクかい? ボクのことはいいじゃないか……」
(ほら、やっぱり、人にはきれいごというけど、どうせうまくいかなかったに決まってるよ)
タケシのその思いとは裏腹に、カジュアルだが品の良い神谷の服装が気になった。
「そんなのずるいですよ。今、何をやっているのか教えてくださいよ」
「わかったよ、仕方ないな~。ボク今は会社を経営しているんだよ」
経営? タケシには、その意味をすぐに飲み込むことができなかった。
「経営って、社長ってことですか?」
「そうだよ。うーん、なんて言ったらいいかな? 簡単にいえば、ホームページを作成する会社を経営しているんだ」
「へぇ~、すごいですね。それでうまくいっているんですか?」
「そうだね。まあまあね」
タケシは、神谷の服装の意味がわかった気がした。今の自分と同じぐらいの年齢のときに、同じような考えを持っていた神谷が、会社を経営しているなんて思ってもみなかったが、一体どのような経緯があってそうなれたのかを聞いてみたくなった。
「神谷さん、もう少し詳しく教えてくれませんか?」
神谷は店内の壁を見回した。
「もう少し話してあげたいところなんだけど、今日はそれほど時間がないんだ。名刺を渡しておくから、何か1人で悩むようなことがあったら連絡ちょうだい。俺もこれまでいろんな経験をしてきたから、力にはなれると思うよ」
神谷はもう一度コーヒーを口にして、席を立とうとした。その瞬間、タケシの横の椅子においてある自己啓発書が目に入った。
「あっ、その本、すごくいい本だよ。今の近藤君にとって、読んでおいて損はないと思うよ」
コーヒーカップをカウンターに置き、「じゃあ」と言わんばかりに軽く手を上げながら店を出て行く神谷に、タケシは軽く頭をさげた。
◇
これは物語です。話の展開上、特定の個人、企業、商品名等を連想させる表現が場合によってはあるかもしれません。 いずれの場合においても、それらを批判、非難、中傷するものではございません。主人公が成長する過程で起こりうる思考や体験を再現するものとして、ご理解 いただければ幸いです。
コメント
どうもです。僕も「独立か?」と思った時に、真っ先に受けたのが、中小企業基盤整備機構(中小機構)のセミナーでした。ここだけが、タケシくんと違うところかな、と思います。
僕が怪しいのか、それとも経営コンサルの方が怪しいのか次第に分からなくなりましたが、結局、目論見書ひとつ書けない自分に気づかされました。以来、身の振り方を悩み続けて早や5年。まもなく40歳です。3連チャン厄年ですw
生島勘富さんから言われたのが「あきないえーどを受けたらどない?」というものでした。でも、明らかに足りなかったのは、信用です。クビと同時に破産、免責しましたから、今ではお金は借りられないことはなくなりましたが、当時も今も足りないものは「先立つもの」と「目論見書」です。
弥生会計? ぜんぜんわかりませんねw では~。