019.アリとキリギリス
初回:2018/12/12
1.今回は、アリとキリギリスです。
P子「このシリーズって、考えなくていいから楽よね」(※1)
う...(※2)
昔々、アリとキリギリスがいました。夏の間、キリギリスはバイオリンを弾き、歌を歌って過ごしていました。それを横目で見て、アリはほんの少しだけ働いてキリギリスと同じように遊んで暮らしました。そうこうしているうちに冬になり、アリはほんの少しだけ蓄えた食べ物を食べていました。キリギリスは何も貯えがなかったのでアリに食べ物を分けてもらおうとお願いしましたが、アリはキリギリスのお願いを、にべもなく断りました。
P子「にべもなく断るのが好きね」(※3)
そのうちに、キリギリスは飢え死んでしまいました。それを見たアリは寄ってたかって死骸を持ち帰りました。「ああ、これでこの冬の食料は十分だ」と喜んでいました。
P子「ダメ、無理、気持ち悪い...」
2.元は「アリとセミ」だそうです。
昔々、アリとセミがいました。夏の間、セミはバイオリンを弾き、歌を歌って過ごしていました。
≪中略≫
冬になり、アリはほんの少しだけ蓄えた食べ物を食べていました。ところがいつまで待ってもセミが訪ねてきません。セミは冬まで持ちませんでした。(※4)結果アリも冬を越すことができませんでした。
P子「いい加減、無茶苦茶ね」
実は、このお話、アリが食べ物を分けてあげない強欲なお話とは別に、アリが食べ物を与えてキリギリスに説教して心を入れ替えさせる話とか、食べ物を分けてあげる代わりにキリギリスがバイオリンを演奏するという話など色々とあるそうです。
3.この寓話の教訓は?
では、この寓話の教訓は何でしょうか?
ファーブルが怒っているように、セミは夏まで持たないという事を寓話作者なら知っておくべきでしょう。つまり、SEがシステムを開発するならプログラミングくらいはできないとダメってことでしょう。
P子「ちょっと違うような気もするけど、ま、いっか」
アリが食べ物を与えずにキリギリスが死んじゃう話は、キリギリスの様に危機管理能力が低いとシステム開発で痛い目に合うという事と、まじめに働いているアリのような人間は、ケチなので他人が開発したモジュールがトラブっても知らん顔をするという事でしょう。
P子「ちょっと違うような気もするけど、ま、いっか」
アリが食べ物を分け与える話では、教訓は生まれません。みんな仲良く協力しましょうという事です。危機管理が出来ていなくても誰かが何とかしてくれるとか、教訓にならないでしょう。
P子「それって、コミュニケーション能力があれば、トラブった時にもみんなに協力してもらえるっていう教訓じゃないの?」
コミュニケーション能力至上主義に対して絶賛抵抗勢力実施中ですので、心温まる話は不要です。やはりイソップ寓話は怖い話でないとダメなのかも知れませんね。
ほな、さいなら
======= <<注釈>>=======
※1 P子「このシリーズって、考えなくていいから楽よね」
P子とは、私があこがれているツンデレPythonの仮想女性の心の声です。
※2 う...
図星です。
※3 にべもなく断るのが好きね
先週の019.北風と太陽の時にも使ってました。
http://el.jibun.atmarkit.co.jp/pythonlove/2018/12/018.html
※4 アリとセミ
ウィキペディア(Wikipedia)より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%81%A8%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9
「昆虫記」のファーブルは、「アリとセミの寓話の作者は実際のセミをろくに知らなかったのではないか」などと述べている。