聖夜とは、聖域の存在を受容する夜なのだ
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クリスマスは、日本の子どもたちにとって特別な意味を持つ。
普段は「知らないおじさんにモノをもらったりしちゃだめ!」と言っている大人たちが、この日ばかりは「サンタさん」という住所不定、年齢不詳で、深夜に大きな袋を担いで他人の家に忍び込みまくる髭面の怪しいおじさんからプレゼントを受け取っていいと言う。
「パパ、ママ、いつもと言ってること違うけど、いいの?」
この日、子どもたちはニッポンの社会の随所に見られる例外事項、つまり「聖域」のひとつの生きた事例を体験するのだ。聖夜とは、聖域の存在を学習する夜という意味に他ならない。
子どものころから、そんな訓練を受け続けて成長すると、前の世代から何の疑問もなしに聖域を受け継いでゆく奥ゆかしさをしっかりと身につけた大人になる。だからニッポンの組織の中は聖域だらけだ。受け継ぐだけでなく、自らも新たな聖域を作り出したりもする。
そのような聖域がシステム構築を難しくしているのは言うまでもない。だから我々エンジニアは、クリスマスなんて祝ってちゃダメだ。聖域を受容する人間を増やしちゃダメだ。クリスマスなんてぶっ潰せ!
きよしこの夜、聖域なきリファクタリングを!!
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