「生活イチバン、ITニバン」という視点で、自分なりのITを追及するフリーエンジニアです。ストレスを減らすIT、心身ともにラクチンにしてくれるITとはどんなものかを考えていきます。

それでもサンタは世界を廻っている

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 今年もネットではクリスマス中止の叫びがあちこちで上がっている。

 しかし残念ながら、クリスマスは今年も止まらないし、サンタはGoogleに追跡されながらも世界を廻っている。

◼︎西洋のクリスマス

 もう何年も前のことだが、わたしはクリスマスシーズンにスペインを訪れたことがある。そこではイブも午後ともなると店は軒並み閉まって街は静寂に包まれた。イブの晩は、みんな家族で過ごすのだ。

 それに較べて日本のこのはしゃぎっぷりはどういうわけだ?

 と、苦言を呈するのが今回のコラムの趣旨ではない。

 西洋ではクリスマスは聖なるイベントであり、昔からクリスマス休暇を取って祝う習慣があった。

◼︎日本のクリスマス

 それに対して日本では、宗教的なバックボーンは取り除いて、お祭り気分だけを抽出している。

 しかも恋人たちにとっての重要なイベントという感覚が強いかもしれない。しかし、実際には日本でもクリスマスは家族のイベントという色彩が強い。

 親にとってのクリスマスは、『サンタさんからのプレゼント』というエサで子どもをコントロールする絶好の機会だし、子どもにとっては欲しいモノを手に入れるための処世術に磨きをかける絶好の機会なのだ。だから日本の家族にとってもクリスマスはなくてはならないイベントになっている。

 そのような子どもたちも、やがて成長して家を出る。都市部で独り暮らしをはじめた若者にとっては、お祭り気分を共有できる家族が身近にいなくなる。

 日本にクリスマス休暇はない。土日にぶつからなければ学生も社会人も基本的にはいつもの平日となんの変わりもない。だから故郷の家族の元に帰ることはできない。とはいえお祭りだから独りで過ごすのは寂しい。

 そんなわけで、家族と同じくらい大切な彼女や彼氏と一緒に過ごしたいと考えるわけだ。もしもそういう人がいなければ、なんとかクリスマス前までに作りたいと思うだろう。ごく自然なことではないだろうか?

 もちろん、彼女や彼氏だけを求めるとは限らない。運命共同体的な強い連帯感を持った仲間たちがいれば。そういう意味では、ネットでクリスマス中止を叫ぶのも、クリスマスのひとつの過ごし方、参加の仕方といえるだろう。

◼︎メリー・ローカル・クリスマス

 このように、その土地や社会の文化・慣習・ライフスタイルなどを抜きに、原理主義的に「こうあるべき」とか「これはおかしい」と断定してしまうのはよくない。

 日本には日本の、もっと細かく言えば、日本の都市部のリア充にはリア充の、そうでない人々にはそうでない人々のクリスマスのスタイルというものがあるのだ。

 このようなモノの見方はとても重要で、企業向けのシステムを構築する際にはその企業の事情というものをしっかり把握できているかどうかが成否を分けることも多い。日本で成功したサービスが海外ではウケなかったり、またその逆も然り。

 すべては「こうあるべき」という固定観念にとらわれてしまうか、「郷に従う」柔軟性を持つか、あるいは「郷を理解し、その郷にふさわしいものは何か」を考えられるか。

 結局のところ、エンジニアには現実をあるがままに受け入れる柔軟性と、その現実を自分ごととして考える想像力が必要ということだ。

◼︎それでもサンタはウチにも廻ってくる(かな?)

 ところでイブの晩、私はいつものように独りで遅くまでドラクエに興じていた。同じ時間に私の相棒はいつものように独りで別の部屋でニコニコ動画を楽しんでいた。

 わたしもエンジニアの端くれだ。この現実をあるがままにに受け入れようではないか。

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