プロは顔色ひとつ変えずにスライムを斬る
最近、久々にドラクエをやっていて気付いたことがある。
ある程度のレベルに達してスキルも身についてくると、スライムなどの雑魚キャラに遭遇するたびにいら立ち、ムカつく自分がいる。舌打ちして「このザコどもがっ! 俺さまの前をうろついてんじゃねぇ!!」などと悪態をついたりもする。
ほんの数時間前には、レベルアップを目指してその雑魚キャラたちを探し歩いていたにもかかわらずだ。いったい誰のおかげで強くなれたと思っているのだ、と自分でツッコミを入れたくなってしまう。
そうかと思うと、強敵と遭遇した途端にアドレナリンが滝のように流れまくって、生きるか死ぬかのスリルに興奮してワクワクする。
しかし、そんなプレイヤーであるわたしの心理状態の揺れとは対照的に、画面の向こうでは雑魚にも強敵にも顔色ひとつ変えずに淡々と戦うキャラクターたちの姿がある。
なるほど、これぞプロフェッショナルのあるべき姿ではあるまいか。
■あなたは雑魚キャラに舌打ちしていないか?
スライムのような雑魚キャラとは、あなたがこれまでに習得したテクノロジやスキルの暗喩(あんゆ)だ。それは、すでに自分の血肉となっている大切な宝物といえるのだが、自分にとっては使い古され枯れ果てた面白みのないものに感じてしまうこともある。
しかし、結果を求められる仕事で期待通りの結果を出せるかどうかは、これらの雑魚キャラをどれだけ確実に倒していけるかにかかっている。それをつまらないと感じ、いら立ち、ムカつき、舌打ちし、悪態をつきながらおざなりな仕事をするのはプロフェッショナルな態度とはいえない。
■あなたは強敵にスリルを求めていないか?
強敵とは、未体験のテクノロジなどの暗喩だ。これは多くのエンジニアにとって、甘美な誘惑だろう。
しかし、だからといって、自らスリルを求めて強敵と死闘を繰り広げるような態度もプロフェッショナルとはいえない。なぜなら、スリルとはリスクの別名だ。真剣勝負のプロジェクトの中に、自らの満足のためだけにリスク持ち込むなど狂気の沙汰ではないか。
もちろん、ITプロジェクトにリスクはつきものだ。日々テクノロジの新陳代謝が行われている世界なのだ。好むと好まざるとにかかわらず、どんなプロジェクトでも何らかのスリルを味わうことになる。
そのような、お呼びでないのにやって来る厄介な魔物との戦いが迫っているのにもかかわらず、わざわざ口笛を吹いて無計画に別の魔物を呼び寄せたりしているプロジェクトも多いのではないだろうか?
■プロは粛々と、淡々と
李白の『俠客行』という詩に、以下のような一節がある。
十歩殺一人 千里不留行 (十歩に一人を殺し 千里 行を留めず)
事了払衣去 蔵深身與名 (事了れば衣を払って去り 深く身名を蔵す)
血なまぐさい詩ではあるが、己の仕事を驕ることなく粛々と、淡々と、しかし全力でこなすプロフェッショナルの神髄を感じることができるではないか。ドラクエをプレイしながら、わたしの頭の中ではこの詩の一節が繰り返し流れているのだ。
どんなに簡単な仕事でも手を抜かずきっちりと片づけ、どんなに難しい仕事でも眉ひとつ動かさずに片付けられるように日々の修練を怠らない、そんなプロフェッショナルに、わたしはなりたい。