バラ色の未来を届けよう
われわれエンジニアは、ユーザーにバラ色の未来を届けなければならない(たとえそれが業務システムでも)。しかし、忘れてはならないことがある。キレイなバラにはトゲがあるものだということを。
■解放か、排除か
今、クルマのIT化の勢いが止まらない。特に安全性の向上という点では、自動運転の技術が注目される。この分野ではGoogleが先頭を切っているが、伝統的な自動車メーカーである日産も先日、2020年までに自動運転車を発売すると発表した。
この自動運転、安全という点でいうと、ヒューマンエラーによる交通事故をなくすという目標が見え隠れする。
これは、継続的な注意深さを要求される煩雑な運転という雑事からヒトを解放してくれるバラ色の未来なのだろうか。
それとも、信用のおけないヒトを、ストレス解消に最適なドライブを楽しむための運転席から排除しようというトゲなのだろうか。
■欲求の段階は騙し絵の階段
マズローは欲求段階説を唱えた。ピラミッド形式で表現され、下から『生理的欲求』『安全欲求』『社会的欲求』『自我欲求』『自己実現欲求』となっている。一般にはまず生理的欲求が満たされた後、安全欲求を求め、それが満たされたらまた次の、もっと高い次元の欲求を求めるといわれている。
しかし私が思うに、それは低次から高次へと続く単純な段階ではない。なぜなら、高次の欲求を求めていると、時として低次の欲求を満たしていないことに気がつくことがある。階段を一段ずつ確実に上がっていたはずなのに、いつの間にか下がっているのだ。逆に、下りているかと思ったら、いつの間にか上がっている。エッシャーの騙し絵の世界に入ってしまったように。
■ヒトは二律背反の欲求を持つ
何が言いたいかというと、高次の欲求は低次の欲求を脅かすことがあるということだ。あるレベルまで到達すると、すでにクリアされていたはずの安全欲求が満たされない危険な状況にいることに気づいて愕然とする。また、低次の欲求は高次の欲求に干渉を及ぼす。安全欲求を重視するあまり、自己実現に二の足を踏んだりする。
あちらを立てればこちらが立たず。その時にどちらを立てるかによって、欲求の志向が分かれる。
安全だけど退屈。
楽しいけれど危険がいっぱい。
どちらのバラを選んでも、チクチクとしたトゲに悩まされることになるわけだ。
製品やサービスがリリースされると、どんなものでもそれを歓迎する者と拒絶する者が現れる。それはヒトそれぞれ、欲求の志向が異なるから仕方のないことなのだ。
だから我々は胸を張って一部の人にとってのバラ色の未来を届けよう。万人に受け入れられるものは、きっと無味無臭のつまらないものにしかならないだろう。それならいっそ、自分の信じるバラ色の未来を追求してみよう。
コメント
仲澤@失業者
車に関してですが、要は両方できれば良いのではないでしょうか。
実例として「ナイト2000」なるAI車があります(お話上)が、
自動走行モードと、マニュアル運転モードがありました。
ガキの頃にはあこがれたもんです(笑)。
実際のところ単なる移動手段としての車は、
やや扱いが複雑すぎるのかもしれません。
このようなケースの部分的実例としては、
マニュアルトランスミッションといわゆるオートマ車がありますが、
既にポルシェですらオートマです。
身の回りでもマニュアル車は田舎の軽トラしか残ってません。
免許も別になっちゃいましたし。
さて、個人的には免許不要自動運転専用車を母に買ってあげたいですが、
まぁ間に合いそうもありませんね(vv;)。
onoT
クルマに関しては、日産のクルマの走行を収めたYouTubeの動画はまさにナイト2000の世界ですね。
まぁ、ここで言いたかったのは、あれもこれも入れてターゲットを中途半端にするより、トンがったものの方が面白いかもーということでして。
そうそう、とりあえず仲澤さんの母上には、タクシーチケットをプレゼントしてはいかがかと(笑)