継続を阻むもの
『継続は力なり』というコトバをよく耳にする。確かにそのコトバは真だ。そこに複雑なことなど何もない。ただ単に続けることだけを要求している。単純明快な真理だ。
しかし、単純と簡単の間には、同じ『単』の字が含まれているにもかかわらず、数億光年もの距離がある。
我々のような一般小市民にしてみれば、続けることのなんと難しいことか。『継続は困難なり』といった方が納得できる、というのが正直なところだ。
■続けられない理由
モノゴトを続けるのがイヤになったとき、多くのヒトは「もう飽きた!」という。では、ずっと続けているヒトは、なぜ続けていられるのだろう?
聞いてみると、大きく分けて2つの典型的な回答が帰ってくる。ひとつは「楽しいから」、そしてもうひとつは「もう慣れたから」。
ふつう、ヒトは前者のパターンを求めてモノゴトを始める。しかし、このパターンで継続するためには快感を刺激され続けなければならない。それだけでも大変なのだが、厄介なことにヒトは同じレベルの刺激ではすぐに満足できなくなってしまうものだ。もっと強く、もっと激しく!
いやいや、R-18系の話ではなくて。
どんなに好きなことでも、常に楽しく、しかもその楽しさが日増しに膨れ上がるような状況が続くことなどほとんどあり得ない。つまり、楽しさを求めて何かを始めた場合、楽しさを感じられなくなった時が続けられなくなる時なのだ。
そしてそれは、想像以上に早く訪れる。我々が挫折するのは、まさにこのパターンではないだろうか。
■続けられる理由
それに対して後者のパターンはどうだろう。「もう慣れた」というコトバの裏には、つまらない、退屈、キツイ、面倒といったネガティブな刺激を受けていることが暗示されている。どうやらネガティブな刺激も強度が増えない限り、慣れてしまうようだ。つまりネガティブさを感じなくなるということだ。
この場合は、ネガティブな刺激と分かっていながら始めたので、ある程度の覚悟はできている。さらに、最初から期待していなかった分、失望も感じない。だからこのパターンは長続きする。
こう考えると、継続を求めるなら、そこにポジティブな感情を持ち込まない方がいいといえる。もちろんわざわざネガティブになる必要もない。ネガティブも強さが増せば「もう嫌だっ!」とキレてしまうから。
つまり、プラスでもなくマイナスでもなく、ニュートラルを保つことこそ、モノゴトを続けるためにもっとも大切なことなのだ。
それを究極まで突き詰めれば、悟りをひらいて聖人君子になれるだろう。もちろん我々のような一般小市民はそこまで徹底できないからこそ小市民なのだ。
しかし、ネガティブだけが悪いという偏った考えは捨てて、ポジティブにも弊害は潜んでいるということを理解して、どちらにも偏らず、自分をニュートラルに保つように注意すれば、今よりはモノゴトを継続することができるようになるのではないだろうか。