「生活イチバン、ITニバン」という視点で、自分なりのITを追及するフリーエンジニアです。ストレスを減らすIT、心身ともにラクチンにしてくれるITとはどんなものかを考えていきます。

電気毛布はアンドロイドの夢を見させてくれるか

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 GoogleのAndroidのマークは、ちっともアンドロイドっぽくない。あれは、ロボットだ。

 どなたか教えて欲しいのだが、最近の風潮として、アンドロイドとロボットをあまり区別しない方向へ流れているのだろうか。古典的なSFが好きな私としては、どうしてもそこに違和感を覚えてしまう。

 ロボットとアンドロイドの違いは、その容姿にある。

 ロボットは作られたものであることを隠さない。アンドロイドはその逆だ。

 人間に近づくことを志向する。それが正しいアンドロイドの姿というものだ。

 映画『ブレードランナー』のレプリカントたちを見よ。あれこそがアンドロイドのあるべき姿ではないか。

 ところで、少し前のことになるが、今年の2月25日にICCで行われたシンポジウム『メディア・アートにおける音楽とはなにか』の中で、佐々木敦氏が興味深い指摘をしておられた。

 メモもとっていなかったのでうろ覚えだが、大体以下のようなものだったと記憶している。

ピコピコした電子音が特徴的な、明らかに人工的な雰囲気を醸し出すテクノミュージック。
例えばPerfumeのように音声にわざわざエフェクトをかけて肉声を殺し、わざと感情を込めずに歌う。
そこにヒトは、ハイテクな未来的なイメージを感じる。

実際には、人工的な匂いを消す方がハイテクなのだ。
加工しているのが分からないように、下手な歌手の歌を、自然さを損なわずにうまく修正する方が。

そしてそのようなハイテクな加工は日々、スタジオの中で行われている。
我々が耳にするアイドルの歌は、高度なテクノロジによって加工され、原形をとどめていない人工的な音声データである場合が多い。にもかかわらず、一般にヒトはそこにハイテクなイメージを持たない。

 どうやら、自然に近づきすぎると、ヒトはそこにテクノロジを感じないようだ。

 そういえばウィリアム・ギブスンのサイバーパンクな世界も、人体にプラグを埋め込み、ケーブルで端末と物理的に接続させるといった、ある種むき出しのテクノロジを多用することによって、退廃的な未来図を描いていた。

 不自然さ。違和感。人工的なモノ。そこにヒトは未来を感じるのだろう。

 GoogleのAndroidは、テクノロジむき出しのロボットをロゴマークの意匠に取り入れることによって、Androidの立ち位置を表明している。

 ちなみにAndroid 3.0の公式ロゴ(蜂)も、ご存知の通りやはりロボット的な雰囲気を醸し出している。

 Googleの使命は「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスして使えるようにすること」だ。

 ロボット蜂が世界中から情報という名の蜜を集めて回るイメージを思い浮かべてしまうのは私だけだろうか。

 結局のところ、Googleはテクノロジ志向だ。テクノロジ志向である限り、不自然さをぬぐい去ることはできない。

 だから我々は安心してAndroidを受け入れることができる。世界中にAndroidが組み込まれた電化製品があふれても、Androidである限り、そこにはテクノロジの匂いがするはずだ。

 Androidが組み込まれた電気毛布が、私の就寝中のさまざまな生体的情報を収集・整理して、世界中の人々がアクセスして使えるようにしても、何の問題もない。

 なぜならそれこそがきっと、その電気毛布のウリであって、購入者はそのテクノロジに惹かれて、納得済みで買うのだろうから。

Comment(2)

コメント

じろさ

共感を覚えました。

onoT

ありがとうございます。
共感していただけてうれしいです!

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