いつも心は穏やかにと思っている私ですが……

宿命を背負うことによりプロになっていく

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 今月のお題は「エンジニアという仕事のやりがい」である。どこの会社でも、年に1回か2回かは上司との個人面談があると思う。社会人になって最初の上司との面談での上司の言葉。

 「おまえ仕事が好きか? もしそうでなかったら、悪いことはいわん。工場のラインとか肉体労働とか、ほかの仕事についたほうがいい。この仕事は、好きでないとできない仕事なんだよ。いままで見てきたけどダメになった人は結局仕事が嫌いな人だったよ」

 就職してまもない未来のある青年に対して、何てことをいうとんでもない上司か! と心の中で思った。「学校を卒業したら就職しお金をもらい、自分で独立して生計を立てる」、それが世間のならわしで、新入社員を職業人として育てるのが上司の役割ではないのか?

 当時の日本の状況は、技術立国日本の時代。まだまだパソコン創世記の時代で、日本企業は電子機器に使用するメモリ製造技術で世界一! まさにメモリは製造業の米といわれた時代で、「企業に就職すれば、レールの道を歩むように安泰な生活が約束されている」と信じられてきた。就職した学生は仕事の内容よりも、会社に就職しているかが重要であり、とにかく会社に行って雑用をしようがボケーとしようがそれは世間体には関係ないことだったのだ。

 そんな上司の話などをまともに信用して、会社を辞めるなんて馬鹿げている。仕事が好きだ、楽しいなんて、芸術家ぐらいだろう。厳しい上司の元で、仕事がつらくても毎日胃が痛くても、とにかくエンジニアを続けた。そのうち、わたしはシリコンバレーで米国の企業とジョイントプロジェクトに参加する機会を得た。

 1年半の米国滞在を経て帰国したわたしは、会社の気配が一変しているのを感じた。いわゆる、バブルの崩壊である。しばらくその会社で働いた後、ハードウェアエンジニアだったわたしは、その会社を辞めてシステムエンジニアの道を進むことになった。

 1日12時間以上、365日プログラムを作ってたりハードをいじくっている、それほどエンジニアの仕事を本当に好きな人は幸せだろう。ただ、わたしは実をいえば、それほど仕事は好きではない。それでもなんで4半世紀もエンジニアでいたのか?

 野球馬鹿・鬼親父の息子であった星飛雄馬は、野球しか道がなかったのだから、野球が楽しいともなんとも思わなかっただろう。野球をやるのが当然なのだ。ボロ車に乗ったよれよれコートの刑事コロンボは、犯人を逮捕したときに笑ったであろうか? アメリカン・ドリームとはまったく縁のない仕事をそこまで必死になってするのか?

 結局、それは「やらねばらなぬ!」という宿命を背負わされているヒーローの物語である。だから多くの人から共感を得るのだ。

■刑事コロンボのように執拗(しつよう)な捜査を粘り強く行う

 わたしは仕事がさほど好きでもなかったが、自分の設計したシステムが動かないのは不満であり、くやしく思えた。どこにバグがあるか、刑事コロンボのように執拗に、捜査をねばり強く行う。そのような努力を継続して行うことにより、いつしかその世界で十分に飯が食えるようになるものだ。

■人は宿命を背うことにより、いつしかプロフェッショナルになっていく    

 エンジニアになってよかったなと思うことは、やはり自分の作ったシステムが多くのユーザーに支持されることかな……そしてやっぱり給料をもらうとき。だってプロなんだから多かれ少なかれお金をもらえるってことはありがたいことでしょう。仕事がなければそれがないものなあ……。

 仕事の出来、不出来は一種の勝負事。そのようなスリルや緊張感がいいという人もいるだろう。囲碁や将棋の世界では、段というものによって身分が保証されているし、強いもの勝つものは上位の段に上がっていく。エンジニアの世界ではそういったものがないという点で、多くの人は不満かもしれない。

 わたしの時代には、コンピュータシステムやITが急成長して、苦しかったけど退屈はしなかった。今後は老朽化したシステム、複雑すぎてメンテ不能になったようなシステムの再構築などシステムの維持にかかわるような仕事がメインになるだろう。以前ほど技術革新というものを実感できない予感がし、エンジニアという職種はそれほど魅力がなくなっていくかも……。個人的には、エコとか環境保護、あるいは自給自足というフリーな生き方に魅力を感じる。

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