『ディスタンクシオン』から考えるエディタ闘争
みなさま、おはようございます。Kyonです。
NHKの『100分de名著』という番組をご存知でしょうか。
いわゆる名著と言われる著作を取り上げ、25分×4回(週1回で1ヶ月)の100分で読み解こうという番組です。その名著に詳しいゲストによる解説とアニメーション等を駆使し、案内役の伊集院光さんと安部みちこアナウンサーによるトークで、どんどん名著の世界に引き込まれます。
今まで取り上げられた名著には、デフォーの『ペストの記憶』やミヒャエル・エンデの『モモ』、ダーウィンの『種の起源』、『旧約聖書』に『般若心経』まで。国内外、ジャンル問わず、取り上げられており、毎月「次の名著は何だろう」と楽しみです。
さて、今月の名著は、ピエール・ブルデューの『ディスタンクシオン』です。『100分de名著』初の社会学の本ということで、社会学部卒の私は毎回欠かさず見ています。今週の『第2回 趣味という闘争』を観て、エンジニア界で時々見かける闘争について考えてみることにします。
ざっくり『ディスタンクシオン』
詳しいことは原著を読んでみるか、『100分de名著』のテキストを読むか等をしてください。私の語彙力・文章力では、コラム1本にはまとめられないので。
『ディスタンクシオン』が気になって仕方ない方向けに、ざっくりと説明します。
まず、ディスタンクシオン(La distinction)は、フランス語で「区別」「差別」という意味とのことです(辞書調べ)。「卓越化」と訳されることが多いようです。
1979年にピエール・ブルデューというフランスの社会学者・哲学者によって、書かれました。著者の1963~1968年に渡る実証研究を元にした著書で、当時のフランス文化を社会学的に分析した本ということです(Wikipedia調べ)。
・・・と、もうちょっと続けたいのですが、ここを書くためにいろいろ調べたけど、深みにはまっていまい、コラムどころではなくなりそうです。なので、上手く説明できないので、このへんにしておきます。
趣味という闘争
先日の『100分de名著』では、「趣味という闘争」がテーマでした。
ブルデューによると、人々は自分以外の誰かよりもちょっとでも上に(優位に)立とうとしていて、無意識に闘争を繰り広げているといいます。自分の好き嫌いや趣味を、自分以外の他人に、お互いに押し付けあっているとのこと。その闘争をしている所を「界」と呼び、その界がどうなっているかを知ることで、社会の仕組みが浮かび上がってくると。
たとえば、知人と自分が好きなスポーツのチームの話になったとします。自分はチームAが好きで、チームAの話をすると、知人Xは「チームAは◯◯がダメだから、チームBが良いよ」とか「チームAのどこが良いの?(チームBの方が良いのに)」みたいな会話になってしまうことって、よくありませんか。自分と知人の間で、好きなスポーツのチームという「界」における闘争が始まっていることだといえるのではないかと思います。
今っぽい言葉でいうと、「マウントをとる」が近い感じがしますね。「◯◯のほうが・・・」と言って、相手よりも優位に立とうとするイメージです。
エンジニア同士で話していても、こういう闘争を見聞きしたことがありますね。
プログラムの書き方闘争
変数やメソッドの命名や、条件分岐の書き方、SQLの組み方等で、同僚と書き方について、「書き方なんて(わかるものであれば)個人の趣味だから」と言いつつ、どっちが良いのか論争になったことがあります。これも一種の闘争と考えられるのはないかと感じました。
たとえば、何かの計算をするメソッドの命名。下記の2つが候補に上がったとします。
- keisanXXX()
- calcXXX()
「keisan」の方がローマ字読みすれば意味がわかるから良い。「calculate」が「計算」という意味なんて知らない人が多いとか。英単語から取ったほうがわかりやすいとか。
命名規則に則っているか、同システム内で統一できているか、は気にした方がよいと思いますが、わかりゃあいいのではないかと思います。(処理のスピードや各言語の命名規則等は加味せずに書いていますので、この言語ではこうじゃないとダメだからというケースがあることははわかっているつもりです。)
エンジニアのエディタ闘争
ここを書くにあたって調べてみたら、『エディタ論争』というWikipediaのページ(コチラです)を見つけてしまいました!
うーん、なんか穏やかでない感じがするので、火の粉が飛んでこないように、当たり障りなくまとめます・・・。
チームで開発していて、統合開発環境とかを合わせて用意するとか決めていない限りは、どのエディタでも良いとは思います、私は。「◯◯という点で△△が優れている」とか「□□は××がダメ」とか言ってやりあっているのを、遠くの島から見ることがあったりしますよね。完全に押し付けあっている感があります。
闘争が悪いというわけではないことを書き加えておきます。ある側面から見ると、趣味って闘争だよね、闘争って自分が優位に立とうとしているってことだよね、ということだけです。
何気ないことを分析する面白さ
このコラムで書いたのは『ディスタンクシオン』のほんのごくごくごーく一部です。
ブルデューは5年に及ぶ実証研究で、フランスの文化を分析し、『ディスタンクシオン』という著書にまとめたわけです。私たちが何気なくしている行為や行動を統計やデータ(量的データも質的データも)で紐解こうとする社会学って、改めて面白いなと感じました。
大学4年間社会学部で過ごして、自分で言うのもなんですが、結構たくさん講義を取って、それなりに書籍も読んだり勉強したつもりですが、社会学を語るには時間が短すぎます。
ちょっとずつ"趣味"で社会学を勉強して、コラムでも紹介できたら良いなーと思いました。
あ、"趣味"って書いちゃったけど、闘争はしないですから。
コメント
炎上したい
viこそ至高!vimなんて邪道!
・・・emacs?何それ美味しいの?
Kyon
炎上したい さま
コメントありがとうございます。
エディタに関して、個々人において様々な感じ方があるようですね。