自分のことは自分が一番知っている? -ジョハリの窓とリフレーミングと
みなさま、おはようございます。Kyonです。
攻めたコラムを書こうとしているのですが、お腹に優しい感じ(参照元:『群雄割拠を生き抜く12人の侍たち』)のコラムになりがちです。まぁ攻める系のコラムは他のコラムニストさんに譲ることにして、引き続き乳酸菌飲料っぽい(≒お腹に優しい)コラムでいこうかと思います。
その前向きな姿勢、いいね
先日、とある学会のオンライン研究会に参加しました。私自身は学会員ではないのですが、数年前から研究会だけ顔出させていただき、お勉強させてもらっています。
その研究会の後、お知り合いの学会員Aさんから「次回の研究会で、一緒に発表しないか」というお誘いをいただき、快諾しました。発表というのは、あるテーマに基づいて調べたことや意見等をまとめて、ミニ研究論文みたいな形で、参加者に発表し、議論をするというものです。そのお誘いをいただき快諾した時にAさんが「その前向きな姿勢、いいね。」とお返事をくださりました。
私が注目したのは【前向きな姿勢】という言葉です。私自身は、何かチャンスがあったりすると「やってみよう」と行動を起こせるが、それは前向きということではなくて、ただレスポンスが良いだけ・行動する力があるだけだと自己分析していました。なので、それが【前向きな姿勢】だとは全く考えたことがなく、ごく軽い衝撃を受けました。
リフレーミングとは
この私の行動をどのように分析するかが、リフレーミングに近い気がしました。
リフレーミングとは、出来事の枠組み(フレーム)を変えることで、出来事に別の視点を持たせるものです。
(引用:https://www.nlpjapan.org/nlpword10.html)
よく使われる例で説明します。目の前に水が半分ぐらい入っているコップがあったとします。この状態をあなたはどのように感じるでしょうか。「半分も入っている」と感じる人もいるでしょうし、「半分しか入っていない」と感じる人もいるでしょう。半分の水を「半分も」というフレームなのか、「半分しか」というフレームなのかでは、随分感じ方が異なりますよね。
あと、もう1つ例を出します。私は多趣味で、いろいろなことに興味を示す傾向があります。こういう性格のことをどう捉えますか。「1つのことが長続きせず飽きっぽい」とも捉えられますし、「1つのことに執着せず切り替えが早い」とも捉えられます。
自分の中でリフレーミングをするのもいいですが、誰か他人の視点を分析することで新たなフレームに気付くことができるという体験でした。
ジョハリの窓とは
あともう1つ、自分が知らない自己に気付くことができたという点で、ジョハリの窓を思い出したので、紹介しておきます。
ジョハリの窓とは、自分が知っている自己、他人が知っている自己を格子状に4つの窓に分類することで、自己理解と他者からの理解のズレがあることをわかりやすく示した考え方です。格子状の図を見たことがある人も多いと思います。
それぞれの窓は以下のように分けられています。
i. 「開かれた窓」 ――自分も他人もわかっている部分。公開された自己(open self)
ii. 「気づかない窓」――自分は気がついていないものの、他人からは見られている自己(blind self)。意外な長所や短所、思いがけないクセなど
iii.「隠された窓」 ――自分は認識しているが、他人には知られていない部分。隠された自己(hidden self)。コンプレックスや過去の失敗、トラウマなど
iv. 「閉ざされた窓」――自分も他人も気づいていない部分。誰にもまだ知られていない自己(unknown self)
今回は、「開かれた窓」として自分では理解していたけど、異なる視点から見ると「気づかない窓」にも気付くことができました。
自分のことは自分が一番知っている?
自分自身と最も長く付き合っているのは自分です。だから、自分のことは自分が一番知っていると思いがちですが、実際のところはどうでしょうか。
仕事の面談等で上司と話している時、「あなたってこういうところあるよね?」等と言われて、「えっそうなの?」と思ったりすることありませんか。
一番近いからこそ見えていない・わかっていないところがいっぱいあるんだろうなと感じた出来事でした。