疲れた身体と心に響く書籍をご紹介

書籍「世界は贈与でできている」を読んでみた。お金で買えないものに満たされたい。【第43回】

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ありがとうございます。平岡麻奈です。一気に冷え込んだ今日の空気。四季を感じられることに、人生の豊かさを感じます。前回のコラムでは、手放すことに目を向けていました。ちなみに32歳の誕生日には『コーラ』を手放しました。毎日飲んでいましたが、今は全く。単純な人間だなと我ながら感じてしまいます。

モノに溢れた生活は、判断を鈍らせることになるかもしれない。考え方も出来る限りシンプルに、そうすることで身軽になれる。手放すことは潔く清々しい。そう感じた後に、ふと頭に浮かんだことは「果たしてモノの力で、私達は本当に満たされるのか?」ということでした。要らないモノ、大切なモノ。対象物が同じでも、人それぞれに価値観が変わります。前回のコラムで最後に記した【プライスレス】という言葉。この世界では、お金と交換し、あらゆるモノを手元に集めることが出来ますが、それだけで満たされているとは考えにくいと感じ始めました。

私達は人になにかを与えたり、なにかをしてあげたりします。プレゼントを選ぶ時は相手の喜ぶ顔を考えたりして。その時の感情はどうでしょうか。『与えたんだから、今度はあなたがなにかしてくれる番でしょ?』なんて感情が心の片隅にありませんか。まるで受け取ってもらえることが当たり前のように感じてはいないでしょうか。自分で買う、若しくは買ってもらう、買ってあげる。動くお金が同じでも、人の感情はなんと虚ろなことか。隙間を埋めるためにモノを集め、敷き詰めたとしても、なんらかの力が働いて、初めて【満たされる】のではないか。少し視点を変えてみます。私達の悩みを生み出すものは、大抵【お金では買えないもの】ではないでしょうか。ましてや、悩み解決の為にお金が交差し始めるとなると、急に冷たい風が流れ始めるのは気のせいでしょうか。エンジニアライフコラム「平岡麻奈のちょっと一息」の第43回は、私達を満たすものの正体に迫る1冊をご紹介します。


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世界は贈与でできている
【著】近内 悠太
https://www.amazon.co.jp/dp/4910063056/

贈与。
今回紹介する書籍で鍵となる言葉です。本書と出会う前には馴染みのない言葉でした。本書では、必要としているにもかかわらず、お金で買うことのできないものおよびその移動を【贈与】と記しています。【贈与】とは、モノを『モノではないもの』へ変換させる創造的行為であり、「商品」が「贈り物」に変化し、【贈与】が生まれます。ただし注意は必要。計画的な【贈与】は『偽善』と化します。よく思われたい、褒められたい。これが透けて見える行為に人は『偽善』と感じると記されています。自然と湧き出る気持ちからの【贈与】とは、似ても似つかないものとなります。

【贈与】には、必ず返礼が後続することも特長のひとつとして挙げられています。「贈与は、贈与を生まなければ無力である」と記されている通り、新たな【贈与】を生み出さなければなりません。そして【贈与を受け取ってくれる】事実があることを願います。私達は、他者から【贈与される】ことでしか、本当に大切なものを手にすることができないことに気づかされます。

本書の中で何度も読み返した内容がこちら。
【金銭と交換すれば負い目がチャラになる】という考え方に関して。(第2章ギブ&テイクの限界点 P,59)キャンセル料金や違反の罰金などを考えてみると、罰金額を増やすことで一見厳しく取り締まれるかのように感じますが、事実はまるでその反対。お金を払えば許されるという形が横行します。結果、減らしたいキャンセルや違反が増えてしまう。お金を支払うことで【許された】という気持ちになるが故、有力な解決方法ではないことが解ります。

そして、交換の倫理を採用し、贈与を失った社会では、「助けて!」を訴えられない状況が生まれます。「助けてあげる。で、あなたは私に何をしてくれるの?」だなんて言葉が平然と罷り通る世界に悲観することになります。誰にも迷惑をかけない社会は、定義上、自分の存在が誰からも必要とされない社会です。生きていれば誰かに迷惑をかけている。それが存在するということ。

これは【贈与】ではないか?と感じる時、それはある行為から【合理性を差し引いたときに残るもの】と示されています。例えば、色んなお店を調べて、時間をかけて見つけたモノか、ネットで検索して見つけたモノ、どちらが嬉しいか。合理的に時間もかけずに見つけてくれてありがとう!と、思えたら幸せですが、色々苦労してやっと見つけたんだ!と言われると、やっぱり心は動きます。【贈与】は合理的には現れず、そして愛は不合理からしか生まれない、愛は複雑です。

この世界が安定していることが前提となると、【感謝】を失ってしまいます。例えば、1日何も起こらない。つまらない1日でしょうか。そこには『何も起こらない』という達成があります。資本主義はありとあらゆるものを「商品」へ変えようとする志向性を持つため、対価を支払ったことで得られる「サービス」が溢れています。そのため、【商品ではないもの】に気づくことができます。満たされた感覚から想像力を働かせて、【贈与】の存在を探してみてください。

私達は色々なことを学びますが、科学者や研究者の苦労を知ると、その学びには深みが出ます。これは歴史を学ぶ大切さに通ずるのではないでしょうか。「贈与は未来にあると同時に過去」という定義通り、時間差で【贈与】を受け取る気持ちとなれば、自然と自分がどれだけ恵まれているか、満たされているかが解ります。【贈与】の結果として、「仕事のやりがい」や「生きがい」が偶然返ってくるものとされ、この世界の【すきま】を埋めていくものが【贈与】となります。「贈与か交換か」という二者択一ではなく、その両者を混ぜ合わせた、社会を作り直す新たな視点。現代に生きる私達は、何かが「無い」ことには気づくことができますが、何かが「ある」ことには気づけない時が多いかもしれません。立ち止まって、合理的で【なかった】ことを思い出してみてください。そこには【贈与】が隠れているかもしれません。

季節も冬。名乗らない贈与者として有名な人物【サンタクロース】が活躍する季節です。【サンタクロース】は、資本主義が生み出した現在の神話とされています。最後に、プレゼントの個人的な話。愛が深いほどプレゼントに見返りを求めなかった過去を思い出します。「気に入らなかったら捨てていいから!」「煮たり焼いたり好きにして!」あれだけ必死に選んで時間をかけたのに、いざ渡したかと思えば「捨てていいから!」と。全くもって乱暴極まりありません。けれど、ようやくこの不可思議な気持ちが理解出来そうです。愛とは見返りを求めない、届いてくれたらいいなと、【贈与】の気持ちが湧き出るものだということを知ったので。


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