地方エンジニアが感じる地方・中小企業での悩み

ガラパゴスでいいんじゃないかな

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 技術系の記事や Blog などを見ていると、日本独自仕様のものを見かけるたびに「ガラパゴス」と揶揄している意見を目にすることがよくあります。調べてみると、初見がいつごろなのかははっきりとはしていないのですが、大体 2006 年ころからはこのような言われ方をしているようです。

 実際、それまで日本の中において、圧倒的なシェアであったものは数多く存在していました。携帯電話にはじまりカーナビや家電製品など、技術に強い国日本をイメージさせるものが、皆さんの身近なところにもあったのではないでしょうか。それが今では海外からの製品に押し出されるように、わずかなシェアでしかなくなっています。製品としての質は決して悪くないのですが、世界的な流れから外れていたために標準的な製品が上陸した際に淘汰されていったのがこれまでであったと思います。

 このような経緯を元に、日本独自な製品に対して「ガラパゴス」とけなすことが多いのですが、それは良い流れなのでしょうか。

 製品に搭載された技術一つ一つを見ていくと、決して悪いわけでも問題があるわけでもない事が多いのですが、それらを組み合わせて一つの製品とした結果、独自仕様としてメーカーの都合を押し付けるような形となってしまったものが敗因の一つかと感じています。
 IT業界で淘汰されたものと言えば、日本電気の PC-98 シリーズが真っ先に思い浮かびます。一時期は日本のパソコンにおいて圧倒的と言えるシェアを持ち、市販されるソフトウェアの殆どは PC-98 用であったのを覚えている方は多いと思います。ところが Windows が登場したあたりより PC/AT 互換機と呼ばれる形式のものが、その安価さと高機能さで日本の PC を駆逐していったのです。

 このケースのように、同等の海外製品がより安価で国内に流入してきた場合に、それまでの製品が淘汰されてしまうのは仕方がない事と感じます。ですがここ数年、ベースは同じ技術であるのですが、細部が微妙に異なる用い方をしている海外製品が増えてきているのを見ると、ガラパゴスと揶揄されるべき箇所の一つが見えてきたような気がしてきます。

 それは「仕様」の定義に関わる部分ではないのでしょうか。仕様を策定する際に、あまりに独自の部分を盛り込みすぎてしまったがために、海外に適用できない製品として流通させてしまおうとしているように思えてしまいます。それもユーザーの事を考えずに、既存の制約を生かそうとするために仕様を盛り込んだものほど、大体は淘汰されているのではないでしょうか。

 独自仕様を盛り込むこと自体は、ある程度仕方のない事かと思います。ソフトウェアの世界では特にそれが顕著で、元々がある特定のユーザーを対象にすることを考えた上で、仕様を作成していくことが殆どです。そのユーザー向け独自仕様が盛り込まれることは避けようがありません。この領域において、それが独自であるかどうかは判別つかないことが殆どだからです。ペルソナを定義してソフトウェアを考えたとして、そのペルソナが一般的かどうかというのは知る術はありません。
 そのような状況もあり、私たちが考えるものはどうしても独自の要素を除外することはできませんし、仮に除外できたとしたらそれは何の特色もないものとなってしまい、議論される対象とすらなりません。ガラパゴス以前の問題です。

 このような状況を考えると、ガラパゴスと呼ばれることを恐れてありきたりな方向を目指すよりは、独自仕様を貫くことの方が次につながる可能性が高いように思えます。守りに入ることは決して良い方法ではないのではないでしょうか。

 実際にこれらの言葉を用いて非難する人の多くは、開発以外の分野で活動されている方々です。非難するだけであれば簡単ですが、実際にどうすればよいかまで考えることができる人はそうそう存在しません。そこを気にしすぎるよりは、挑戦して失敗する事の方が大切なのではないか、と私は考えます。

 批判されるのを承知で進めるのは、強い精神力が必要になります。ですが近視眼的に考えていったことでこの現状を招いたのだとしたら、あえて批判される道を突き進むというのも良いのではないでしょうか。

 それともう一つ、これらの事を気にする必要がある人たちとそうでない人たちというのは、明確に分かれてよいと思っています。考えなくてもよい状況で、変に世界がどうだという事を考えてしまうのもどうかと思うところです。世界の流れに沿う事で、自分たちのユーザーが目的を達成できるならば乗るのが良いですが、判断つかないのであれば何も考えずに突き進む、ということが最も現実的な方針なのではないでしょうか。
 もちろん、最初から世界を相手にする、というのであればちゃんと流れにのる必要があるでしょう。そこで変に独自なものを押し通すのではなく、流れに付け足す程度で進めることが、案外今の私たちに適した方法なのかも知れません。

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